【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
 ――ピンポーン。

 滅多に人が訪れないこの家に、馴染みのない機械音が響く。

「はい、どなたですか?」

 この家を訪ねてくる者など、一週間に一度の食材配達員くらいだ。麻里はエプロンで手を拭いながら、軽い足取りで玄関へと向かった。
 重いレンガ調のドアを開けた瞬間、入り込んできた冷ややかな空気に麻里の肩が小さく震える。

「――お忙しいところ恐縮ですが、山崎徳三郎さんはご在宅でしょうか」
「えっ」

 心臓が跳ねる。

 低く、どこか懐かしい響きを持った声。麻里は吸い寄せられるように顔を上げた。
 そこに立っていたのは、高級そうなチャコールグレーのスリーピースに身を包んだ、長身の男だった。

「……福村、先輩?」

 麻里の唇から、こぼれ落ちるように名前が漏れた。

 男は彫刻のように整った顔立ちだが、かつての穏やかな微笑みはない。銀縁眼鏡の奥で氷のように冷徹な瞳が麻里を射抜いていた。
 麻里の言葉に男の眉がわずかに動いたが、彼は驚く素振りも見せず事務的に懐から名刺を取り出した。

「私は鳳(おおとり)法律事務所の弁護士、福村正樹と申します。本日は『ミツルギ重工』の代理人として、山崎氏へ重要なお話に伺いました」

 まるで見ず知らずの他人。
 その徹底した振る舞いに、麻里の心臓が凍り付く。彼はかつての優しい先輩ではない。

 今の彼は『ミツルギ重工』の代理人弁護士として、法という武器を携えたプロの交渉人として、そこに立っていた。

(どうして……?)

 なぜ、ミツルギ重工が今になって山崎さんのところに?
 なぜ、先輩がここに?
 なぜ、先輩は見知らぬフリを?

 疑問が滝のように湧き出てくるが、麻里はそれらを飲み込んで彼を制止した。

「あ、あの、福村先生。山崎さんは今、体調が優れず……」
「入らせてもらう。時間は取らせない」

 麻里の制止を視線一つで遮り、福村は家へと踏み込んだ。
 窓際で小さくなっていた山崎が、見知らぬ来訪者を見て怪訝そうな表情を浮かべる。

「山崎徳三郎さんですね」

 福村が山崎の前に立ち、鞄から数枚の書類を取り出す。そこには『ミツルギ重工』のロゴが印字されていた。

「単刀直入に申し上げます。八年前の情報漏洩事件、その流出経路の特定が進みました。機密データを流し、会社を崩壊寸前まで追い込んだ主犯――それがあなただという確証を、我々は掴みました」
「……っ!」

 麻里は耳を疑った。

(山崎さんが、情報漏洩事件の主犯? まさか……)

「何かの間違いじゃ……」

< 3 / 59 >

この作品をシェア

pagetop