【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
 深く、何度も深呼吸をする。

(私は山崎さんの生活をサポートするために、事業所から派遣されているだけの介護士よ。家宅捜索をする権限なんて一ミリもない。いくら私情があるからって、山崎さんの許可なく家の中を漁るなんて。それこそ信頼関係をぶち壊すプロ失格の行為じゃない……!)

 介護の世界において、被介護者のプライバシーへの配慮は絶対だ。
 いくら「助けたい」という善意や「真実を知りたい」という個人的な理由があっても、一線を越えてしまえば、それはただの不法侵入や窃盗と変わらない。

「私情は持ち込まない。今の私は、ただ山崎さんの日常を守るだけ……」

 麻里はぎゅっと拳を握り締め、沸き立ちそうになる感情を無理やり心の奥底へと押し込めた。
 山崎が「もう思い出せない、頭が壊れかかっている」と言っていた以上、無理に記憶を穿り返すような真似をすれば、彼の精神をさらに破壊してしまう。それは介護士として絶対にやってはならないことだった。

「もう帰ろう。これ以上ここにいたら、おかしな誘惑に負けてしまう」

 バッグを持ち直し、麻里がローテーブルの脇を通り過ぎようとした、その時だった。

 カシャン。

 静かな部屋に、何かがフローリングの床に落ちて跳ねる、小さな金属音が響いた。

「今、なにか……?」

 麻里は動きを止め、音のした足元へと視線を落とした。
 ちょうど、山崎が先ほどまで座っていたソファーの真下あたりだ。

 蛍光灯の白い光を反射して、ソファの足元でキラリと鈍く光るものがある。

 麻里はゆっくりと腰を落とし、膝を床についてソファの隙間へと手を伸ばした。
 指先に触れたのは、冷たくて硬い、金属独特の感触。

 拾い上げて手のひらの上に載せてみると、それは一本の鍵だった。

「これ、何の鍵かしら? 見たことがないわ」

 それは、現代の住宅で使われるような立派なものではない。真鍮製で全体が少しくすんだ金色をしており、サイズは麻里の小指ほどだ。
 アンティークの小箱や、古い引き出し、あるいは小さな南京錠にでも使われるようなデザインの鍵だった。

 麻里は鍵を持ったまま、その鍵が落ちてきたであろうソファーのクッションを見つめた。
 山崎はいつも窓際のソファーに座って一日の大半を過ごす。
 久しぶりに長い時間ローテーブル前のソファーを使ったことで、クッションの奥底にずっと隠されていたこの鍵が押し出され、床へと転がり落ちたのだろう。

『あぁ、思い出せない。見つからないように、いつか告発するために……そう思っていたはずなのに……』

 再び山崎の声が脳内に響き、麻里の心臓がドクンと大きな音を立てた。

「……まさか」

 彼は日記をどこかに隠している。誰にも見つからないように、しかし、いつか告発するために――。

(命がけで残した記録をこの家の中に隠し、その扉を開けるための鍵を自分にしか分からない場所に忍ばせたとしたら?)

 手のひらの中にある小さな鍵が、まるで尋常ではない重さを持っているかのように感じられた。

(この鍵が合う場所に日記があるの……?)

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