【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
 それから一週間後。
 二人が暮らすマンションのリビングにはまだ明かりがついていた。
 麻里はテーブルの前にノートPCを置き、その脇に置かれた判例集をめくりながら、内容をPCに打ち込んでいく。
 ページをめくる微かな音と、キーボードを叩く規則的な音だけが響いていた。

「……よしっ」

 ファイルを保存して正樹へと転送すると、彼の書斎をノックする。
 そっと扉を開けると、彼はディスプレイから視線を外し、眼鏡の奥の切れ長な瞳を麻里へと向けた。

「頼まれていた判例の整理、一通り終わりました」
「助かる。今確認するよ」

 正樹は麻里の送ったファイルを開くと、すぐさま目を通し始めた。
 その横顔には、普段とは違うやりにくさが滲んでいる。
 シンセイ開発への法的責任の追及――八年前に起きたミツルギ重工の情報流出事件に端を発する損害賠償請求の準備は、正樹ほどの頭脳をもってしても難航していたのだ。

 正樹が全てを読み終えため息をつくと、申し訳ない気持ちが溢れてくる。

「やはりグレーな扱いなので、ここを突いても上手くいくかどうか……」
「そうか」

 正樹は麻里の整理したファイルを再度読み返しながら低く唸るように呟いた。


***


『麻里、もしその気があるなら頼みがあるんだ。シンセイ開発の代理人弁護士を起訴できるか調べてほしい』

 一週間前。正樹に頼まれた内容は驚くべきものだった。

「シンセイ開発側の現在の代理人――弁護士の木下という男だ。こいつが厄介なんだ」
「どう、厄介なのですか?」
「木下は……ミツルギ重工の情報漏えいが社内で発覚する直前まで、ミツルギの企業内弁護士だったんだ」
「そんなことって……!」

 正樹の言葉に麻里は絶句した。
 
「信じられないだろうが事実なんだ。事件発覚の直前に不自然な形でミツルギ重工を退職し、半年後にはシンセイ開発と専属の顧問契約を結んでいる。これが何を意味するか、分かるな」
「その人が情報漏えいに関与していた、ということですね」

 麻里が囁くように呟くと、正樹は深刻な表情で頷いた。

「あぁ、木下は八年前の真実をすべて知っていたはずだ。知った上でシンセイ開発側に寝返ったか、あるいは最初から奴らと繋がっていたか……。どちらにせよ、ミツルギ重工の内部事情も、当時の事件の法的な弱点もすべて把握されていると思った方が良い」
「でも、それってそもそも弁護士法25条に反していますよね?」

 弁護士法25条では、弁護士が対立した双方の味方をすること、つまり利益相反する事件を取り扱うことが禁じられている。

(ミツルギの企業内弁護士だったのなら、シンセイ開発で現在代理人を務めるのは完全に違法よ!)

 そこまで考えて、麻里はハッとした顔で正樹を見つめた。

「待ってください。正樹さんは先程『事件発覚の直前』と仰いましたよね。それじゃあ……」
「そうだ。木下は相当用意周到にことを運んだのだろう。ミツルギ重工内で情報漏えいの件が弁護士に上がってくる前に退職しているんだ。……法律上は違反しているとは言いがたい」
「そんなっ……! じゃあ、今から内情を全て知っている相手と争わなければならないんですか?」

 相手の弁護士が全てを知っている。それどころか、すべてを操っていた可能性すらある。
 麻里が絶望に打ちひしがれていると正樹が「諦めるのはまだ早い」と言い切った。

「木下が情報漏えいを事前に知っていたという状況証拠があれば、相手を起訴できる可能性がある。……だから麻里、協力してほしい。まずは類似した判例の調査を」

 正樹はまったく絶望などしていなかった。
 それどころか勝利してみせるという気概すら感じられる。

(そうよ。諦めて何になるというの? 山崎さんや私の父を苦しめた相手なのよ? 証拠は全てこちらにあるのよ? 弱気になっちゃ駄目)

「分かりました!」

 麻里は勢いよく返事をすると、すぐさま判例調査に取りかかったのだった。


***

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