【長編版】冷徹弁護士の甘い執着〜八年前の初恋相手に、もう一度捕らわれる〜
2.弁護士と介護士
数日後。山崎家の古い居間に美しい夕暮れの光が差し込む時刻。
麻里は、いつになく落ち着かない手つきでエプロンの紐を何度も結び直していた。
(落ち着こう。山崎さんのサポートをするだけ。いつもと同じよ)
胸の辺りを押さえると深呼吸をした。
使い込まれた木製のローテーブルの上には、いつもより少し上等な茶葉で淹れた緑茶が二つおかれており、すでに湯気を立てている。
一つは山崎のもので、もう一つは間もなくここを訪れるはずの、「鳳法律事務所」の弁護士を迎えるためのものだった。
(一方的にではあるけれど、手紙で連絡してくれたから来客の用意をしたけれど……。本当に来るのよね? まだ信じられないわ。福村先輩が私の言葉に耳を傾けて、わざわざまた足を運ぶなんて。私はただの介護士で、もう彼の後輩ではないのに)
胸の奥が八年前と同じように、不規則なリズムを刻んでいる。
けれどあの時とは違う。かつての優しく穏やかだった初恋の人は、もういない。
(大学時代の福村先輩は、法の解釈には厳しいけれど優しい人だった)
麻里はふと大学時代を思い出し、目を細めた。
***
麻里が初めて福村と出会ったのは、一年の終わりごろだった。
「見て。今日の抗議、福村先輩も来てる!」
「教授に頼まれたんだって。ディスカッションしてるところ見られるなんてラッキーだね」
大講義室で同じ学部の学生たちが見つめていた先に、彼はいた。
背筋を伸ばして法律書を読んでいる姿は、他と一線を画すオーラを放っている。
(あれが噂の福村先輩……。もう司法試験にも合格してるっていうすごい人だ)
麻里は福村の一別すると、自分も本を開いた。
今日の講義はディスカッションがある。福村のことは気になるが、準備を怠りたくない。
(先輩もディスカッションに参加するならなおさら)
麻里は本を読みながらも、彼が講義に参加することに少しだけ心を踊らせていた。
しかし福村のディスカッションは、麻里の期待に反していた。
「……以上の理由から、本件の家族には監督義務違反が成立します。早期の和解金支払いを提案することが、依頼者を守る適切な対応と考えます」
議論の内容は「認知症を患う家族が目を離した隙に外出し、隣人の車を傷つけ損害賠償を請求された」という事例だった。
(先輩の言っていることは正しい。徘徊の予兆があった家族に対しては監督義務違反が生じるのは間違いないし…….。でもこの家族構成で常時監督なんて難しいのに)
麻里がモヤモヤとしている内に、講義もディスカッションもどんどんと進んでいく。
結局、麻里が頭の中を整理しきる前に講義は終了してしまった。
(もし弁護士になったとして、私だったらどうするかしら……)
もんもんと考え事をしながら歩いていると、急に何かにぶつかった。
「痛っ……すみません、ぼーっとしてて……」
麻里が慌てて顔を上げると、そこには福村正樹が立っていた。
「あー!」
「俺が何か?」
思わず指を指して大声を上げると、彼は首をかしげた。
「いえっ……なんでもないです」
「嘘だな。何か言いたそうな顔してる」
福村は麻里が答えるまで解放しないという目付きで麻里をじっと見つめていた。
だから麻里は正直に白状したのだ。
「さっきの講義でのディスカッション、福村先輩はもう少し依頼者に寄り添うべきでした。あの条件では明記されていませんでしたが、依頼者の背景は簡単に推測できますし、それを踏まえると適切な対応とは言いがたいです。資料にあった介護記録の空白期間を見れば、このご家族が周囲の公的支援も受けられず、限界状態で孤立していたのは明らかですよね? 早期和解で大金を支払わせたら、このご家族の生活は壊れてしまいます」
一度口を開いてしまうと、後は雪崩のように話してしまった。
(言い過ぎた……!)
後悔したが、一度出てしまった発言は取り消せない。
麻里はそろりと福村の様子をうかがった。
福村はしばらく何かを考えるように麻里を見つめていたが、そのうちふっと口角をあげた。
「……面白いな。君、名前は?」
「佐倉、麻里、ですけど……」
「じゃあ麻里、時間があるならディスカッションの続きをしようか。さっきの講義、ほとんど反論がなくて退屈だったんだ」
そう言われ、腕を掴まれる。
麻里は抗議の声を上げる間もなく、図書室へと引きずられていった。
それが二人の初めての会話だった。
***
麻里は、いつになく落ち着かない手つきでエプロンの紐を何度も結び直していた。
(落ち着こう。山崎さんのサポートをするだけ。いつもと同じよ)
胸の辺りを押さえると深呼吸をした。
使い込まれた木製のローテーブルの上には、いつもより少し上等な茶葉で淹れた緑茶が二つおかれており、すでに湯気を立てている。
一つは山崎のもので、もう一つは間もなくここを訪れるはずの、「鳳法律事務所」の弁護士を迎えるためのものだった。
(一方的にではあるけれど、手紙で連絡してくれたから来客の用意をしたけれど……。本当に来るのよね? まだ信じられないわ。福村先輩が私の言葉に耳を傾けて、わざわざまた足を運ぶなんて。私はただの介護士で、もう彼の後輩ではないのに)
胸の奥が八年前と同じように、不規則なリズムを刻んでいる。
けれどあの時とは違う。かつての優しく穏やかだった初恋の人は、もういない。
(大学時代の福村先輩は、法の解釈には厳しいけれど優しい人だった)
麻里はふと大学時代を思い出し、目を細めた。
***
麻里が初めて福村と出会ったのは、一年の終わりごろだった。
「見て。今日の抗議、福村先輩も来てる!」
「教授に頼まれたんだって。ディスカッションしてるところ見られるなんてラッキーだね」
大講義室で同じ学部の学生たちが見つめていた先に、彼はいた。
背筋を伸ばして法律書を読んでいる姿は、他と一線を画すオーラを放っている。
(あれが噂の福村先輩……。もう司法試験にも合格してるっていうすごい人だ)
麻里は福村の一別すると、自分も本を開いた。
今日の講義はディスカッションがある。福村のことは気になるが、準備を怠りたくない。
(先輩もディスカッションに参加するならなおさら)
麻里は本を読みながらも、彼が講義に参加することに少しだけ心を踊らせていた。
しかし福村のディスカッションは、麻里の期待に反していた。
「……以上の理由から、本件の家族には監督義務違反が成立します。早期の和解金支払いを提案することが、依頼者を守る適切な対応と考えます」
議論の内容は「認知症を患う家族が目を離した隙に外出し、隣人の車を傷つけ損害賠償を請求された」という事例だった。
(先輩の言っていることは正しい。徘徊の予兆があった家族に対しては監督義務違反が生じるのは間違いないし…….。でもこの家族構成で常時監督なんて難しいのに)
麻里がモヤモヤとしている内に、講義もディスカッションもどんどんと進んでいく。
結局、麻里が頭の中を整理しきる前に講義は終了してしまった。
(もし弁護士になったとして、私だったらどうするかしら……)
もんもんと考え事をしながら歩いていると、急に何かにぶつかった。
「痛っ……すみません、ぼーっとしてて……」
麻里が慌てて顔を上げると、そこには福村正樹が立っていた。
「あー!」
「俺が何か?」
思わず指を指して大声を上げると、彼は首をかしげた。
「いえっ……なんでもないです」
「嘘だな。何か言いたそうな顔してる」
福村は麻里が答えるまで解放しないという目付きで麻里をじっと見つめていた。
だから麻里は正直に白状したのだ。
「さっきの講義でのディスカッション、福村先輩はもう少し依頼者に寄り添うべきでした。あの条件では明記されていませんでしたが、依頼者の背景は簡単に推測できますし、それを踏まえると適切な対応とは言いがたいです。資料にあった介護記録の空白期間を見れば、このご家族が周囲の公的支援も受けられず、限界状態で孤立していたのは明らかですよね? 早期和解で大金を支払わせたら、このご家族の生活は壊れてしまいます」
一度口を開いてしまうと、後は雪崩のように話してしまった。
(言い過ぎた……!)
後悔したが、一度出てしまった発言は取り消せない。
麻里はそろりと福村の様子をうかがった。
福村はしばらく何かを考えるように麻里を見つめていたが、そのうちふっと口角をあげた。
「……面白いな。君、名前は?」
「佐倉、麻里、ですけど……」
「じゃあ麻里、時間があるならディスカッションの続きをしようか。さっきの講義、ほとんど反論がなくて退屈だったんだ」
そう言われ、腕を掴まれる。
麻里は抗議の声を上げる間もなく、図書室へと引きずられていった。
それが二人の初めての会話だった。
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