それは面倒で。 でも愛しくて。
演技か、本気か
木曜の昼下がり。
午前中に洗濯と掃除を終わらせ、今日着ていく服を選ぶ。春らしく、ピンクのカーディガンと白のワンピースをクローゼットの中から手に取った。髪はバレッタで後ろに留める。軽く化粧をし、ピンクのリップをすっと引く。小さめのハンドバックを手に取りパンプスを履くと、玄関を出て鍵を閉めた。
まだ雪が残ってはいるが、暦の上ではすでに春だ。ぽかぽかと温かい日差しをアスファルトに届ける太陽。雪は溶けて水になり、排水溝へと流れていく。
水溜りを避け足取り軽くコーヒーショップへと向かう。友達ではないけれど、友達みたいな関係の蜜葉と会うのが楽しみだ。
この街に引っ越してきて、親しい人は特にいない。
恥ずかしながら、蜜葉がこの街で初めての友達、のような関係の人だ。
コーヒーを飲みながらお喋り。楽しみだ。
コーヒーショップに着くと、馴染みの店員さんがにこりと笑って迎え入れてくれる。
黒髪の、精悍な青年。蜜葉とは正反対の印象だ。
「カフェオレと、チョコレートドーナツください」
「かしこまりました」
店員さんは手際よくトレーの上に用意して、会計を済ませごゆっくり、と再度笑顔を向けてくれる。
マニュアル通りの接客だろう。完璧だ。
紙ナプキンを数枚取り、奥の席へと向かう。
すでに来ていると思っていた蜜葉は、そこにはいなかった。
昨夜メッセージを送ったら、昼過ぎにはいると思います、と返事があったのに。椅子に座り腕時計を見ると、もうすぐ二時になるところだ。スマホを確認しても連絡はない。
どうしたんだろう。急用かしら。
心配になる。
蜜葉は真面目な人だから、約束を違えることはしないだろう。もし来れなくなったのなら、連絡は必ずいれるタイプだ。だから連絡がないとしたら、できない状況に陥っているとしか考えられない。
スマホ画面を見つめる。こっちから連絡してみようか。
蜜葉の番号を探し、タップしようとした。
「鈴華さんっ」
ばたばたと、走ってくる足音がした。名前を呼ばれて顔を上げると、蜜葉が駆け寄ってきてばんっとテーブルに手をついた。カフェオレが飛び散り、ドーナツがジャンプした。あたしの肩もびくんと跳ねる。
蜜葉は息を乱して顎を伝う汗を手の甲で拭う。走ってきたために、赤茶の癖っ毛は乱れてぼさぼさだ。
あたしは思わず癖っ毛に手を伸ばし、指先でさっさっと軽く髪を整えた。
「どうしたんですか。なにか、あったんですか」
「……っ、いえ。その。寝坊、して」
「それだけですか?」
「……ね、寝癖が直らなくて」
「寝癖」
蜜葉は耳の後ろあたりの髪を撫でる。しかし今は風に靡いてボサボサになった髪では寝癖は全く見当たらない。
「わかりませんけど」
「あ、そ、そうですか」
「そもそも癖っ毛だし、あんまり目立たないのでは」
「そう、ですか?」
「ええ。大丈夫。格好いいですよ」
「……口説いてます?」
「口説いてません。ほら、コーヒー買ってきたほうがいいですよ」
カウンターを指さすと、店員さんが接客をしながらもちらちらとこっちを見ている。蜜葉は赤面し、買ってきます、とカウンターに歩いて行った。
あたしはその背を見送り、溢れたカフェオレを紙ナプキンで拭いた。
寝坊して寝癖が気になって直していたら遅れたなんて、可愛い。それともナルシストなのかしら。