それは面倒で。 でも愛しくて。
意地悪なヤキモチ
コーヒーショップに戻ると、まだ席に座らずにいる元カレとその奥さんの横を通り過ぎる。
さっきのキスシーンを思い出しているのか、奥さんは頬を染めて見ていたことを気づかれないように俯いている。元カレは、変わらず能面のような顔をしていて、通り過ぎるとき蜜葉の冷たい視線に気づきふいと顔を逸らした。
蜜葉は奥の席に着くまでずっとあたしの腰を抱いてぴったりと寄り添い、あたしの不安を取り除く。
「ありがと。もう大丈夫」
すっと蜜葉から離れると、蜜葉の手が名残惜しそうに宙を舞い、握りしめ、降ろされた。
蜜葉がパソコンを片付けると、あたしはドーナツとカフェオレをカウンターに持っていき、紙袋に入れてもらう。精悍な男性の店員さんがぱぱっと用意してくれて、笑顔で手渡してくれた。
「またのご来店、お待ちしております」
相変わらずの爽やかな笑顔。店員さんは、ちら、と蜜葉にも視線をやり何か言いたそうにしていたが何も言わずにあたしたちを見送った。
「あの店員さんも、その……見てたのかな」
「なにを?」
「その、き、キスしてるとこ」
「ああ、だから微妙な顔してたのか」
「恥ずかしくてしばらく来れない……」
「じゃあ鈴華の喫茶店に通うよ。そしたら会える」
両手で顔を覆うと、隣を歩く蜜葉がしれっと言う。あたしは両手を顔から離して蜜葉を見上げる。
「なんか最初のイメージと違うね?!」
「どんなイメージ持ってたの」
「優しくて、優しすぎて面倒くさがり屋でちょっと気が弱くておどおどしてるみたいな?」
「頼りなさそうに見えた?」
「頼りないと思ったことはないわ。でも、こんな、ぐ、ぐいぐいくるイメージなくて」
「鈴華が元カレ思い出すの結構嫌なんだよね。だったら早く僕のことでいっぱいになればいいなって押してる」
ぐい、と肩を抱かれて顔を近づけてくるその表情は、意地悪そうに口の端をにゅっと上げている。
「鈴華の中で元カレより優位に立ちたい」
「そんな顔も、するイメージなかった。柔らかい笑い方が、蜜葉のイメージだった」
「嫌?優しいだけの男が好きならそうするけど」
「今の蜜葉も割とイイと思ってる」
「それは良かった。ところで道、合ってる?」
そうだった。あたしの家に行くんだった。
あれ、あたし、なんで蜜葉を家に誘ったんだっけ。
元カレと奥さんが来てコーヒーショップに居づらくて、帰ろうと思ったけど蜜葉に止められて。
もう少し話したいから誘ったんだっけ。あ、違う。蜜葉の気持ちを聞きたいからだ。あたしは進行方向を指さす。
「合ってる。あの花屋の向かいのアパートの二階」
この街に引っ越してきた時にちょうど建てられた新築のアパートだ。その時あたしが住んでいる部屋以外はすべて埋まっていて、あと少し決めるのが遅かったら違う物件になっていた。
二階の角部屋まで来ると、鞄の中から鍵を取り出しはっとした。今更ながら、自分の部屋でなくてもいいのでは、と気づいてしまった。友達とはいえ蜜葉は男で、部屋に上げるのは非常識に思えた。例え蜜葉があたしを想ってくれていたとしても急すぎないか。軽い女だと思われたくない。鞄の中で掴んだ鍵から手を離し、部屋を守るようにドアの前に立ちはだかり蜜葉に笑顔を向けた。頬は引きつってしまったが。
「やっぱり、近くのカフェに行かない?」
「どうして?」
「え?あ、部屋散らかってるし、コーヒーもインスタントしかないし、お茶菓子もコンビニのどら焼きしかない」
「コーヒーもお茶菓子もいらないけど」
「あたしだけカフェオレとドーナツあるし悪いわ」
「じゃあ水でいいよ」
「水なんてもっとだめよ。ほら、ちょっと歩いたらいい感じのカフェがあるから」
さ、行きましょ、と歩き出そうとしてその瞬間。
どん、と蜜葉の手があたしの顔の横の壁を叩いた。覆い被さるように、蜜葉の顔が近づく。さっきのキスのフリを思い出し、思わず両手で口を覆う。
「鍵貸して」
「え?」
「鍵」
「あ、はい」
有無を言わさぬ圧を受け、鞄の中から鍵を取り出すと、蜜葉はあたしの手を握り一緒に鍵穴に鍵をさしてがちゃんと開けてしまった。これは、もう、上げるしかないのか。蜜葉が早く上げて、とにこりと笑う。
「あの、蜜葉」
「なに?」
「な、なんも、しない、よね」
涙目で恐る恐る聞くと、蜜葉はふっと笑って目尻を親指で拭う。
「しない。怖かった?」
「怖くはない、けど。部屋に人上げるの初めてだし、男の人を簡単に上げるのも、なんか、違うような気がして」
「違うってなにが?友達でしょ?」
ぐさ、と心臓を一刺しだ。友達。そう、友達だ。
蜜葉が小声で「まだね」と付け加えていたが、それはあたしの耳には届いていない。
そっか、友達か。そうよね、そう。
話をする前に蜜葉の気持ちがわかってしまい、残念に思う。けれど友達なら、躊躇なく部屋に入れてもいい気がした。
あたしはドアを開け、どうぞ、と蜜葉を中に招き入れた。