それは面倒で。 でも愛しくて。
 元カレの腕を掴んだのは、蜜葉だった。元カレに意識が集中していたので、ドア鈴が鳴ったことに気づかなかった。あたしは蜜葉の登場にほっとする。そして蜜葉の手を見てぎょっとした。骨が軋むんじゃないかというほどの力で元カレの腕を掴む蜜葉の手の甲に、血管が浮き出ている。
 元カレは、ぱっとあたしの腕を離し蜜葉の手を振り払う。蜜葉はあたしの腰を抱き寄せ元カレに冷たい視線を送る。

「僕たちがキスしてたのすごい顔で見てましたよね。手離した女が他の男に取られて惜しくなりましたか?残念ですけど、鈴華はもう僕のなので勝手に触れないで下さいね。喫茶店なら他にもありますし、わざわざここに来る必要もないでしょう。来てもいいですけど、僕たちの仲睦まじさに胸焼けするだけですよ」

 ちゅ、と蜜葉があたしの頬にキスをする。
 おばさま方が「あらあら、若いわねえ」と囁きあう。
 元カレが、苦虫を噛みつぶしたような顔をしてテーブルの上にコーヒー代を置く。
「……鈴華を宜しく」
 優位に立とうとする元カレに、蜜葉が冷笑する。
「ご心配頂かなくても。僕は一途ですよ」
 元カレは舌打ちし、ちら、とあたしに視線を送る。
「鈴華。……もし、なにかあったら」
「何もないですよ。何かあってもあなたのところへは行かせません」
 ぐ、とあたしの腰を掴む手に力がこもる。そっとその手に触れると、蜜葉がはっとして力を緩める。
 元カレが、あたしたちの様子を見て諦めのため息を吐く。苛立ちを隠さず荒々しく席を立ち、悔し紛れに蜜葉を睨む。蜜葉は微笑み「出口はあちらです」とドアを指差すと、元カレはドア鈴を荒々しく鳴らし店からその姿を消した。
 店内の張り詰めていた空気がやんわりと緩む。
 おばさま方が「びっくりしたわねー」と呑気にまたおしゃべりを始める。あたしはほっとして蜜葉を見上げ、お礼を言う。
「ありがと。助かったわ」
 けれど蜜葉だけはやんわりした空気の中張り詰めた様子を醸し出し、無言であたしの腕を手に取る。元カレに掴まれた痣が、青くなっている。
「すぐよくなるわ。それより注文は?」
 すっと蜜葉から離れ距離を置く。グラスに水を注ぎ、席に座るよう促したが蜜葉は難しい顔をして立ったままだ。あたしは笑顔を張り付ける。
「鈴華」
「座って。お礼にケーキ奢っちゃう。今日のオススメはオレンジケーキ」
「鈴華」
 観念して、あたしは眉尻を下げた。 
「なに?」
「震えてる」
「……平気」
「ちょっと、こっち」
 蜜葉は手を繋ぎ、お手洗いの前まで行くとあたしの後頭部と腰に腕を回してぎゅうっと抱きしめた。この場所なら、死角になっていて誰かの目に留まることはない。
 あたしは震える手で蜜葉の背中に腕を回す。
「無理しないで。怖かったよね。泣かないの?」
「泣かないわよ。でも、安心したら震えてきちゃった。情けないわ」
「落ち着くまでこうしてていい?」
「あたしの台詞よ。ありがとう。……ところで」
 あたしは蜜葉の顔を覗き込む。眉間に皺を寄せ、唇を引き結び、目の奥に光が宿っていない。
「ねえ蜜葉。顔怖いんだけど」
「頷こうとしてたでしょ」
 息を飲む。見られていたか。あたしは苦笑して蜜葉の頬をそっと包む。
「……それしかないと思ったのよ。腕は離してくれないし、他にお客さんもいたから」
「今日、来てよかった。横取りされるところだった」
「横取りなんてされないわよ。頷いても行く気なかったし」
「脅されてたかもしれないだろ」
「なんとかしたわよ」
「僕がいなくても?」
「……」
「一人でなんとかしようとしないでよ」
「うん。ごめん。ほんとは死ぬほど怖かった」
 また元カレの都合のいい女に戻らなくちゃいけないのかと思うと、目の前が暗くなった。蜜葉のことも諦めなくちゃいけないのかと息苦しくなった。ぎゅうっと蜜葉を抱きしめる。
「はあ。良かった。仕事が早く片付いてさ。たまたま寄れたから良かったけど……」
「月に一回会社行く日だもんね」
「嫌な予感がしたんだ。僕の勘は結構当たるよ」
 蜜葉の手があたしの耳に触れ、後れ毛を耳に掛ける。項をなぞり後頭部を支え、上向かされると唇に、ふに、と柔らかな感触が落ちてきて目を閉じる。
 角度を変え何度も触れるキスをして、熱を持った蜜葉が耳元で囁く。
「今日、部屋、行ってもいい?」
 あたしは耳を赤くし頷いた。
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