それは面倒で。 でも愛しくて。

密告


 その日あたしは一人でコーヒーショップにいた。
 小雨の降るちょっと肌寒い日だ。積もり残っていた雪はこの雨で溶けてほとんどなくなるだろう。完全な春までもう少しといったところか。
 いつもの奥の席。テーブルの上には、珍しくウィンナーコーヒーと抹茶のケーキが載っている。
 今日、蜜葉は会社に呼ばれて出勤しているのでここに来ることはない。そしてあたしは今、憂いている。蜜葉が来ないことに対してではない。もっと大変な事が今起こっている。あたしは気を紛らわすため、抹茶のケーキにフォークを刺した。
 
 遡ること一時間前。事件は起こった。

 休日の朝。カーテンのすき間から差し込む朝の光に負けて目を開ける。
 まだ八時。蜜葉との約束の時間は昼過ぎだ。もう少し寝坊してもいいか、とスマホの時間を確認して布団を肩まで引き上げると、それを許しませんとばかりに通知音が鳴った。のろのろとスマホを手に取ると、メッセージが来ていて確認する。蜜葉から、急遽会社に呼び出されたのでコーヒーショップには行けなくなったとの連絡だ。あたしは寂しい気持ちを紛らわすために了解のスタンプを送信し、今日はもう寝ていようと決めた。しかし寝付けず蜜葉に会えない悶々とした気持ちは広がるばかりで、とりあえず起きることにした。ヨーグルトで朝ごはんを終え、畳んでなかった洗濯物を片付け、掃除機をかける。狭い部屋なので掃除はすぐに終わり、もうやることはなくなってしまった。蜜葉に会うまではコタツに入ってスマホで映画を一日中見たり、喫茶店をハシゴしたりなど休日を満喫していたが、最近は蜜葉と会うことが休日のルーティンだったのでそれがなくなると侘びしい。
 あたしは化粧をし、紺のVネックと花柄のスカートを合わせ、春用のブルゾンを羽織って外に出た。雨が降っていたので傘を取りに玄関に戻り、赤い傘を手に鍵を閉めてコーヒーショップへと向かった。
 もしかしたら、仕事が早く終わってコーヒーショップに来るかもしれない。プレッシャーになるといけないので、メッセージは送らずに待っていよう。
 雨の日の散歩も気持ちいい。小雨だから視界もいいし、雨は嫌な気分を洗い流してくれる。難点があるとすれば、湿気のせいで髪型が落ち着かないことだ。ふわふわのセミロングはパーマをかけているわけではなく地毛だ。晴れの日は梳かすだけでいいけれど、雨の日は必ずバレッタで一つにまとめてしっかり留める。
 コーヒーショップに着くと、傘をたたみ中に入る。いつもの黒髪の精悍な青年があたしを見て爽やかに笑う。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
 カフェオレとチョコレートドーナツください、と注文しようとしてピコン、と通知音が鳴った。鞄の中で光るスマホを取り出し、店員さんにすいません、と謝る。混んでないので大丈夫ですよ、と笑顔を向けてくれたのでスマホを開く。
 蜜葉からだ。仕事が早めに終わりそうだから、部屋に行きたいと甘えられ、あたしは微笑み了解のスタンプを押した。
 何時くらいになるかしら。コーヒー一杯飲むくらいは大丈夫よね、とスマホをしまい、カフェオレを頼もうとしたが店員さんが微妙な顔をしていたので、待たせすぎてしまったかと申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい。注文遅くて」
「いえ。そうではなくて。今日は、その、お一人ですか。いつもの眼鏡のお連れ様はいらっしゃらないですか?」
「ええ。今日は来ないと思います」
「そうですか……あの、差し出がましいとは思ったのですが」
「はい。何でしょう」 
「このコーヒーショップができるまで、私は隣町の他店で働いていたのですが、お連れ様は他の女性とよく通ってくださってました」 
「……えっと」
 あたしは、戸惑う。それはどういう意味なのか。その女性って、蜜葉と親密な関係の人なのか。店員さんがこそっと耳打ちする。
「あの方、その、彼女さん、いますよ」
 ひゅっと息を飲む。店員さんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すいません。先程スマホ画面が見えてしまって……お連れ様は今隣町に?」
「ええ。仕事で」
「本当に仕事でしょうか」
「仕事ですよ……」
「この店に異動になって、またお連れ様をお見かけしましたが、お隣にいらっしゃる女性があなただったので気になっていたんです。この間、外で親密な行為をしていたので、お付き合い、されてるんですよね」
 ああ、先日、だから店員さんは帰り際微妙な顔をしていたのか。蜜葉が違う女性を隣に添えていることに違和感を覚えたのだろう。それを律儀にあたしに教えるなんて、このコーヒーショップが如何に閑散としているのか物語っている。店員さんは、なおも畳み掛ける。
「その、もしかしたら、二股」
「あのっ、注文、いいですか」
 それ以上聞きたくなくて言葉を遮ると、店員さんは頭を下げた。
「余計なことを申しました。ご注文どうぞ」
「えっと……」
 じわ、と目の奥が熱くなる。カフェオレとチョコレートドーナツ、と言おうとしたが言葉が出ない。喉の奥がつっかえて、声が出せない。
 店員さんは何も言わずにカフェオレとチョコレートドーナツを用意してくれた。
 あたしは会計を終えてトレーを持ち、いつもの奥の席にストンと座る。
 朝とは違う理由でもやもやしてしまい、あたしは頬杖をついてチョコレートドーナツを睨む。
 そうだ。店主は言っていた。面倒そうだと。
 そして蜜葉とはデートしたことない。好きだって言われたっけ?付き合おうって言ってないし言われてない。
 あたしはまた、騙されてしまったのだろうか。
 でも蜜葉が、二股なんてするだろうか。
 優しくて、あたしの中の元カレを追い出そうと必死になって口説いてくれて……。
 わからない。あたしは男を見る目がない。自信がない。はあ、と息を吐くと同時に店員さんがお待たせしました、と頼んでもないドーナツを目の前に置いてくれた。シュガーとシナモンがたっぷりとかかっているドーナツだ。
「先程のお詫びです。良ければ、どうぞ」
「そんな、結構です」
「いえ。どうぞ。お嫌いじゃなければ」
「……じゃあ、いただきます」
 せっかくなので受け取ることにした。しかし店員さんはその場に立ったまま動かない。不審に思い見上げると、何か言いたそうにしていたので仕方なく店員さんの言葉を待った。
「あの、ずっと言おうと思っていたのですが」
「まだなにかあるんですか?」
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