それは面倒で。 でも愛しくて。
 
 ❐❐❐

 蜜葉は度々隣町に行くようになった。納期の関係で会社に行く頻度が増えていると言った。年度末だしそーゆーこともあるだろう。あたしは気にしなかった。気にしないようにしていた。
 蜜葉を疑うなんてしたくなかったけれど、ふとした瞬間不安はよぎる。
 本当に仕事よね。彼女に会いに行ってるとか、そんなこと、ないわよね。
 蜜葉との時間が取れなくてもやもやし、あたしは部屋でのんびりできなくてコーヒーショップに通った。カフェオレとチョコレートドーナツを頼もうとするけれど、いつ行ってもあの店員さんがいて疑う心を払拭できない。
 二股。彼女。浮気。
 帰ろうかな、と思っても、店員さんはガラス張りの壁の向こうから目敏くあたしを見つけ爽やかに笑う。ここでコーヒーショップに入らず素通りするのも不自然で、あたしは諦めて店のドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「今日は春の新作がありますよ。さくらんぼのショートケーキです。少し甘いのでエスプレッソがおすすめです」
「はあ。じゃあ、それで」
「ありがとうございます。……ところで、今日もとても可愛いです。ピアス、買ったんですか?」
「あ、これは今日掃除してたらなくしたと思っていた片方が出てきたので、久しぶりに付けてみただけです」
 ピンクの花のモチーフのピアスだ。ベッドの下に紛れ込んでいた。
「髪、下ろしてるのもいいですね」
「今日は天気もいいし、湿気もないので」
 嘘だ。面倒で、ただ梳かしただけ。蜜葉と会う約束があればしっかり綺麗にまとめたし、下ろすにしてもアイロンで気合を入れて巻いたはずだ。
 トレーの上にさくらんぼのショートケーキとエスプレッソが用意され、会計をしてトレーを持った。奥の席に行こうとして、ふと店員さんを振り返った。
「あの、いつも褒めてくださいますけど……あのことなら、もう気にしてないので大丈夫ですよ」
 あたしが凹んでいると思って励ましてくれているのがわかるから、気を使わないでほしいと伝えたつもりだった。気にしてないなんて嘘だけど、店員さんに褒められるのはなんだか気が引ける。けれど店員さんは爽やかに笑いそれを拒否する。
「本当に可愛いと思ってるんです。リップサービスじゃないですよ」
「……そうですか」
 その場にいたらまた褒められそうだったので、あたしはいそいそと奥の席に座り、ふう、と息を吐いた。
 店員さんは、あれからよく話しかけてくるようになった。必要最低限の会話と、今日のおすすめ。そして最後に褒めてくれる。あたしの身の回りをさっと観察し、これが可愛い、どれが可愛いと歯の浮くような言葉を大安売りしてくる。あたしは曖昧に笑い気のない返事をする。
 褒められるなら、蜜葉がいい。
 蜜葉が可愛い、なんて言ってくれたら舞い上がりしばらくそれしか考えられなくなるだろう。
 会いたいな。日に日に、あたしの中の蜜葉の割合が増えていく。あと少しで、上書き保存が完了しそうな気配を感じている。
 エスプレッソを一口飲む。苦くて渋い顔をして、さくらんぼのショートケーキをフォークで刺して口に入れる。その甘さがエスプレッソと相まって、相性のいい組み合わせだと実感する。
 蜜葉はいつもコーヒーしか飲まない。一度だけ期間限定の苺のケーキを食べていたけれど、それはあたしが食べたいと言ったからで、自ら甘いものは食べない。
 木ノ葉に来たときはチーズケーキを食べるけど、それ以外の甘いものは食べたところを見たことない。
 甘いもの、あんまり好きじゃないのかも。
 でもこの組み合わせ美味しいし、今度おすすめしてみよう。
「いかがですか?お口に合いました?」
 いきなり声を掛けられびくっと肩が揺れた。そばに黒髪の精悍な店員がいてあたしを見下ろし爽やかに笑っている。コーヒーショップのエプロンではなく春ニットにジーンズというカジュアルな格好で、一瞬誰だかわからなかった。さっきまでカウンターで働いてなかったっけ。
「今日は早上がりなんです」
「そうですか。お疲れ様です」
「あの、向かいに座っても?」
 なんで。
 躊躇ったが、どうぞ、と促した。断る理由が思い浮かばない。だってどうせ蜜葉は仕事だ。きっと今日も来ないだろう。
 店員さんから蜜葉の秘密めいたことを聞いてから、タイミング悪く蜜葉の仕事が忙しくなり会えなくなった。信憑性が、増してしまう。疑心暗鬼になってしまう。
 悶々と考えていると、向かいに座っていた店員さんの存在をすっかり忘れていた。
 なにやら話しかけられていたが、全く聞いていなかった。あたしはエスプレッソを飲み、愛想笑いをした。
「そういえば先週、お連れ様をお見かけしました。私が知っている恋人とはまた別の人と歩いてました」
 エスプレッソが喉につっかえて咳き込む。蜜葉から貰ったハンカチを取り出し、口元を拭う。
「それは、隣町でですか?」
「たまにヘルプで隣町のコーヒーショップにも行くんです。その時に見ましたね」
「そうなんですか……」
「聞かないんですか?浮気してないかって」
「聞けないですよ……」
「私なら、あなたにそんな顔はさせませんよ」
「……もしかして、口説いてます?」
「口説いてます」
「あは。冗談」
「本気です」
 店員さんが真面目な顔をして言うものだから、持っていたフォークを皿の上に落としてしまった。
「あなたが初めてこの店に来た時から可愛いなって思ってたんです。……泣いているところも見てました。できるなら、私がそばに寄り添いたかったですが、お連れ様のほうが先でしたね。お連れ様にはあまりいい印象がありません。あなたが傷つく前に、私にあなたを奪わせてもらえませんか」
 情熱的な告白だと思う。真っすぐに見つめられ、あたしは動揺した。蜜葉と出会う前なら、もしかしたら頷いてしまったかもしれない。でも今は焦りのほうが強い。だってこんな場面をもし蜜葉が目撃してしまったら、独占欲の強い蜜葉は絶対嫉妬してしまう。そうなると、機嫌が悪くなってしまうから困る。あたしは蜜葉の柔らかな笑顔が好きなのだ。意地悪な顔も好きだけど。
 あたしはさくらんぼのショートケーキを一気に平らげ、エスプレッソで流し込む。そして立ち上がり、苦笑いしながら「あたしはこれで」と席を離れた。片付けはセルフサービスなのに、テーブルに空になったカップと皿を放置していることに気づかない。ただ一刻も早くここを去りたかった。
「あ、待って」
 聞こえないふりをしてそのまま行こうとしたが、不可能だった。
  
「ハンカチ、落としましたよ」

 あたしは慌てて振り向き、店員さんが手に持つハンカチに駆け寄り手を伸ばしたが、それはさっと隠された。
 手が、目的のものを掴めず空を切る。
 店員さんと目が合い、しばし睨み合う。
「あの、拾ってくれてありがとうございます。返してください」
「お願い聞いてくれたら、お返しします」
「なんですか?」
「圭介、と呼んでみてください」
「どちら様の名前ですか」
「私に決まってるじゃないですか」
 なぜ。嫌。
「なんでですか」
「お願いします」
 呼んだら、蜜葉が現れそうで実に怖い。でも、早くハンカチを返してほしくて嫌だったが、歯ぎしりしながら名前を呼んだ。
「……圭介。さ、返してください」
「もう一回」
「圭介」
「もう一声」
「圭介!もういいですか?!」
 にま、と圭介が笑った。
 嫌な笑い方だな、と顔を顰めると同時に、ぽん、と肩に手を置かれて「ひゃあっ」と悲鳴を上げた。そう、蜜葉はいつだってタイミングが悪い。いや、いい、と言うべきか。あたしは恐る恐る振り向いた。
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