それは面倒で。 でも愛しくて。

それは誤解、だけど...


 美味しいコーヒーが飲みたかった。ただそれだけだった。自分の家で作るコーヒーはスティックコーヒーで、お湯に溶かしたらすぐにできる。飲みたいときにさっと飲めるのが魅力だが、いかんせん、今日はどうしてもお店のコーヒーが飲みたくてたまらなくなった。理由はない。ただ無性に飲みたくなっただけ。
 圭介から告白をされた日から、あのコーヒーショップには行っていない。気まずいのもあるけれど、蜜葉があまりいい顔をしない。あたしは圭介の前で蜜葉に告白もしたしキスもしたから大丈夫だと胸を張ったが蜜葉に生温い目で見られて口を閉じた。
「あーゆー男は諦めが悪い。鈴華は甘っちょろいから泣き落としとかされたら簡単に落ちちゃうかも。あのコーヒーショップには行かないでほしいけど、どうしても飲みたくなったらせめてテイクアウトにして。それかあいつがいないときに行って。それか僕と一緒に行って」
 面倒なので行くのをやめた。カフェオレとチョコレートドーナツが恋しかったが、蜜葉がたまにテイクアウトで買ってきてくれる。あたしはあのコーヒーショップの閑散とした雰囲気が好きだったので、本当は店内でゆっくりカフェオレを味わいたいのだが……。
 蜜葉が嫌なら仕方ない。そう諦めていたが、木ノ葉の定休日の木曜日。あたしは美味しいコーヒーに焦がれてしまい、脳内の鬼の形相の蜜葉を消し去りコーヒーショップへと来てしまった。ガラス張りの壁から、圭介がいないことを確認する。今日は休みかも。ラッキ。
 あたしは意気揚々と店のドアを開けた。
 店内は相変わらず閑散としていて、オルゴールのBGMが静かに流れている。コーヒーと甘いお菓子の香りがして、あたしは久しぶりのコーヒーショップの穏やかさに酔いしれる。カウンターに向かうと、若い女性店員がいらっしゃいませ、と爽やかに微笑む。あたしは迷わずカフェオレとチョコレートドーナツを頼んだ。用意してもらっている間、店内を見回す。数えられるほどのお客さんしかいないので、いつもの奥の席も空いているだろう。店員さんが「お待たせいたしました」とカフェオレとチョコレートドーナツの載ったトレーを差し出してくれて受け取ると、お礼を言って席に向かう。ふと、その途中でカウンター席に座る茶髪のロングヘアの美女を見つけて立ち止まる。
 この人。
 蜜葉の……。
 胸がざわつく。どうしてここに。蜜葉に会いに来たのかな。だとしたら、蜜葉はここに来るだろうか。どうしよう。鉢合わせたくない。
 美女、もとい香水の君はあたしの視線に気がついて振り向いた。ばっちりと目が合う。思わずばっと視線をそらして速足で奥の席に向かい、座った。慌てたせいでカフェオレが少し溢れてしまう。紙ナプキンで拭き取り、そっとカフェオレに口をつけた。せっかくのカフェオレなのに、なんだかもやもやとしてしまい味がしない。
 ああ、タイミングが、悪い。
 チョコレートドーナツを齧ると、ふっと影が落ちてきたので顔を上げた。
「こんにちは」
 爽やかに笑う圭介が、そこにいた。
「げっ」
 思わず声が出てしまい、手で口を覆う。圭介は楽しそうに笑う。
「げっていいました?嫌われちゃったなあ」
「お休みかと思ってました」
「休みですが、用事があって顔を出したんです。来てよかった。あなたに会えた」
 勝手に向かいに座った圭介にあたしは椅子ごと後退りする。
「そんなに嫌がらなくても」
「蜜葉が気にするんです」
「あなた一人に決めかねている男なんて止めたほうがいいですよ」
「そうだとしても、あたしは蜜葉から離れようと思えません」
「幸せになれるとは思えませんが」
「蜜葉がそばにいてくれればそれでいいです」
 圭介は腕を組んですっとカウンター席を見た。その視線の先には香水の君がいる。ここからだと、茶髪のロングヘアしか見えない。  
「あの人ですよ。最近お連れ様と一緒にいるの。昨日は隣町の店舗にヘルプで行ったのですが、お二人でコーヒーをテイクアウトして消えてしまいました」
「……」
 カフェオレを飲み、無視をする。
 圭介は、こうしてあたしを揺さぶってくる。蜜葉の秘密を暴露して、あたしの気持ちを蜜葉から離れさせようとする。
 チョコレートドーナツをさくさくと食べ終える。
 香水の君がここで蜜葉と約束しているのかは知らない。でももしそうならここで蜜葉と会いたくない。あたしはカフェオレを飲み切ると、トレーを持って席を立つ。
「もう帰るんですか?」
「食べ終わったので」
「鉢合わせたくないんでしょう。お連れ様が来るまで待って浮気現場を見るのが嫌なんですね」
「……嫌ですよ。当たり前じゃないですか。でもあたしは蜜葉を愛してる。これしきのことで離れたくないんです」
「一人や二人じゃないんですよ。私が知っているのはあの方と、その前にも違う女性とよく隣町のコーヒーショップに通ってました。あの人は、止めたほうがいい。女を取っ替え引っ替えだ」
 あたしの顔が、険しくなる。なによ、圭介が蜜葉のなにを知っているというの。あたしの恋に圭介が口出しするのが気に障る。あたしは蜜葉が好きで、離れたくなくて、例え蜜葉に二股三股されたって蜜葉への想いが揺らぐことはない。あたしがこのままでいいって言ってるんだからそれでいいじゃない。
 あたしの中の堪忍袋の緒が切れる。 
「あのさあっ、あたしは蜜葉がいいって言ってるじゃない。蜜葉のこと止めたほうがいいなんて何度言われてもやめる気なんてない。しつこいのよ、もういい加減にして。蜜葉の一番があたしじゃなくても、あたしは蜜葉がいればそれでいい。お願いだからもう放っておいて!」
 こめかみを押さえて込み上げてくる熱い雫を溢れさせないように歯ぎしりして耐える。言いたいことは言ったし、さっさとこの場をあとにしよう。くるりと圭介に背を向けると、あたしの声の大きさに驚いた香水の君が振り返ってこっちを見ている。そしてその隣には、できれば会いたくなかったあたしの彼氏が口の端をにゅっと上げて意地悪く笑っていた。
「げっ」
 思わず出てしまった言葉を撤回したい。蜜葉が笑顔を張り付けたままこっちに歩いてきて、あたしの顔に手を伸ばし、親指と人差し指で頬をむにゅっと抓った。
 強くはないけど、地味に痛い。
「み、みつは」
「こんなとこで何してるの?まさか、浮気?」
「んにゃわけないでひょっ。はなひて」
 顔を横に振り、蜜葉の手から逃れる。
 浮気を疑う蜜葉に、でもそれは本心じゃないとすぐに分かる。意地悪く笑っているが、その目の奥は楽しそう。きっとさっきのあたしの声が蜜葉にも聞こえてたんだ。だから余裕であたしをからかいにきてる。あたしはむっとして、ちらとカウンター席の香水の君を見た。
「蜜葉こそ、う、浮気?べ、別にいいけど。全然気にしてないしっ」
 仕返しとばかりに強がってみせたが失敗だ。自分の言葉になぜだか胸が締め付けられ、涙目になってきたので焦ってハンカチを取り出し瞼を押さえた。
 蜜葉がそのハンカチをそっとよけて親指で目尻を拭う。
「誤解してそう」
「してないわよ。蜜葉の女遊びの一つや二つへっちゃらだわ」
「やっぱり誤解してる」
「じゃあ、あの人はなんなのよ。待ち合わせ、してたんじゃないの」
「してたよ。でも鈴華が思ってるような仲じゃないからね」 
「ふうん。……言い訳、してもいいわよ」
「あの人は取引先のお客さん。それだけだよ」
「何回も会ってる、わよね」
「会ってるよ。お客さんだからね」
「この先もずっと会うの?」
「取引が終われば担当は外れるから僕はもう会わない」
「それ、いつまで?」
「今週中には決着つけたいなと思ってる。できれば今日。要望が多くてさ。直しても直してもOKを貰えない」
 
 きっとそれ、わざとだわ。
 
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