それは面倒で。 でも愛しくて。
 蜜葉の後ろから見える香水の君の表情が険しい。
 あれは、嫉妬している。蜜葉の彼女のあたしに。
 蜜葉は気づいていなさそう。香水の君は蜜葉に彼女がいることを知っていても、こうして仕事を長引かせて逢瀬を重ねてる。香水の君からしたらデートだけど、蜜葉にとっては仕事をしているという認識しかない。
「隣町のコーヒーショップで会ったり、スーパーに一緒に行ったり……あたしから見たら、デートだわ」
 蜜葉がふっと息を吐くように笑う。我儘な猫を見るような目だ。
「仕事なのに、妬いてるんだ」
「……そうね。妬いてる。面倒ね」
「鈴華を面倒なんて思わないよ」
「最初は面倒だったくせに」
「最初はね。でも今は愛してるから、嫉妬も独占欲も大歓迎」
 あたしは真っ赤になりながら目を潤ませる。
「ところでなんで会ってた場所まで知ってるのかな。後つけたりしたの?」 
「し、してないわよ。スーパーには、仕入れで行ったときに見かけて。あ……隣町のコーヒーショップは、圭介が教えてくれた」
「へえ。そう。わざわざ。それで好きな女の機嫌損ねてるなんて笑い話だね」
 ぴく、と圭介の片眉が吊り上がる。ばち、と蜜葉と圭介の間に静電気が走ったような緊張感が生まれる。
「真実を伝えただけですよ」
 圭介がにこり、と圧のある笑みを浮かべると、蜜葉も微笑み返す。その目は全く笑ってないけど。
「聞こえてたと思いますけどあの人は取引先の方なので。それだけですよ」
「向こうはそうじゃないみたいですよ」
「気のせいでしょう」
「おモテになるのに鈍いんですね」
「モテたことなんてないですよ」
「いろんな人に言い寄られて選び放題なら、彼女を私に譲ってくださいよ」
「鈴華をものみたいに扱わないでいただきたい」
 春だというのにここだけ真冬みたいに冷えきっている。あたしは早くここから去りたい。さっきから、香水の君が口をへの字にしてこっちを見てる。そしてとうとう痺れを切らして冷たい笑顔を張り付けこっちに向かって歩いてきた。
「蜜葉さん。そろそろ商談いいかしら」
 ソプラノの、高いけど心地よい声に蜜葉が振り向く。蜜葉はちらと圭介を睨み、あたしの手を取る。
「今夜行くから。待っててね」
 柔らかい笑みを浮かべる蜜葉にあたしは熱くなる頬を抑えて頷いた。
 香水の君がひくりと頬を引きつらせるが、すぐに余裕のある笑顔を作り出す。
「蜜葉さんの彼女さんですよね。ごめんなさいね、少し蜜葉さん、お借りしますね」
 するりと蜜葉の腕に腕を絡め、香水の君は蜜葉を見上げた。
「直してほしいところがあるの。説明するからあっちに行きましょ」
 蜜葉を連れてカウンター席に向かう香水の君がちらりと振り返りほくそ笑む。挑戦的なその態度に、あたしは歯ぎしりして睨み返す。あたしと香水の君の間の空気が凍てつき凍る。圭介が「なんか寒いな」と腕をさすって空調を確認する。
 あたしは嫉妬心を抑えながらトレーを片付け、カウンター席に並んで座る蜜葉と香水の君に近づく。蜜葉の座る椅子の脚を、コンっと蹴飛ばした。
「鈴華?」
「あたし、帰る」
 見上げた蜜葉の頬にキスをする。そしてもう一度椅子の脚をコンっと蹴った。
 拗ねてますよ、という意思表示だ。蜜葉は瞠目して立ち上がろうとしたが、香水の君に腕を引かれて椅子に戻る。あたしはやりきれなくてコーヒーショップをあとにした。
 どう見ても、香水の君は蜜葉を好きだ。でも蜜葉は全く気づかず香水の君が触れてきても動揺せず許している。眼中にないからこそ、距離が近くても気にしない。でもあたしは耐えられない。あたしの彼氏なのに他の女に触れさせる蜜葉が許せない。仕事なんだから仕方ないけど、そこに恋情が絡むと厄介だ。仕事に理解のない彼女と捉えられ、世間の目は一気にあたしを非難する。
 
「めんどくさ」

 嫉妬もしない、独占欲もない、あっさりさっぱりした女になりたい。そうしたらきっと、もっと楽に恋愛ができて生きやすいのに。

「面倒なのも、恋愛の醍醐味だと思いますよ」

 あとを追いかけてくるのが蜜葉だったら、なんて都合の良いことは起こらなかった。
 圭介が、走ってきて隣に並ぶ。ぐいと手を引っ張られて抱きとめられる。あたしは慌てて離れようとしたけれど、圭介の腕はしっかりとあたしを抱きしめ離さない。ガラス張りの壁の向こうから、蜜葉の慌てた様子が想像できる。コーヒーショップのカウンター席から、あたしと圭介は丸見えだ。
「そんな泣きそうな顔した好きな人が目の前にいたら、慰めたくなるのは当たり前でしょう」
「泣かせてるのは、半分あなたのせいなんですけど」
「それは、光栄ですね。鈴華さんの心の中に、少しは私の居場所があるということでしょうか」
「ないですよ……」
 うんざり、と言った様子で返すと、圭介は笑ってあたしから離れた。
「噛まれないうちに退散しますね」
「え?」
「本当は、キスしてるふりでもしようかと思いましたがやめました。あの時みたいに」
 元カレに見せつけるようにした蜜葉とのキスを思い出す。あたしは慌てて一歩退いた。圭介は肩を竦めてみせた。
「鈴華さんの元カレと違って、今の彼氏はすぐに駆けつけてきましたよ。忠犬ですね」
「鈴華っ」
 後ろから腰に腕を回し、ぐいっと引き寄せられた。香水の匂いがして顔を顰める。来てくれたのは嬉しい。でも、その香りを纏いながらあたしに触れてほしくなかった。
 そんな心中など察せずに、蜜葉はあたしを抱きしめ圭介を睨む。圭介は両手を上げて白旗を振る。
「油断も隙もあったもんじゃありませんね」
「隙があれば狙いますけどね。今はお返ししますよ」
 圭介の言葉に蜜葉が冷たい目を向ける。
「貸した覚えはありませんけど」
「大事になさってくださいね。じゃないと、掻っ攫いますよ」
「そんなことさせません」
「はは。それじゃ、鈴華さん。またコーヒー飲みに来てくださいね」
 圭介が横を通り過ぎ行ってしまうと、蜜葉はあたしの肩を掴みくるりと回転させ向かい合う。顔を見たくなくて、俯く。
「鈴華。なんでコーヒーショップに来たの。テイクアウトか、あいつがいない時にしてって言ったよね」
「いないと思ったのよ。外から見たらいなかったから大丈夫だと思ったの。でもたまたま用事があって来てたみたいなの。仕方ないじゃない……」
「言ってくれたらテイクアウトしたのに。そんなに来たかったの?圭介に会いたくなったとかじゃなくて?」
「そんなわけないでしょ……蜜葉がいるのに。なによ、蜜葉こそ、あの人と本当に何でもないの?あの人蜜葉と距離が近いじゃない。蜜葉はただの取引相手だと思ってるかもしれないけど、あの人は違う。見てたら誰だってわかる。あの人蜜葉のこと好きよ。あたしの前で蜜葉の腕に触れて、笑って。あたしへの挑戦よ。仕事相手じゃなかったら言い返したのに」
 そうだ。蜜葉の仕事相手じゃなかったら戦ったのに。悔しい思いだけして、尻尾を巻いて逃げるしかなかった。蜜葉は苦笑してあたしの耳に後れ毛をかける。
「鈴華。あの人との商談は今日で終わらせるから。だからそんな顔しないで」
「そーゆーことじゃないの。蜜葉、もう少し警戒してよ。蜜葉はあたしの彼氏でしょ。あたし以外に触らせないで。あの人の香水、あたしと会うときいつも蜜葉からするの。それ、すごく嫌なの。でも我慢してた。蜜葉に嫌われたくないし、面倒って思われたくないから」
 ぐず、と鼻を鳴らす。ハンカチを取り出そうとしたが、やめて手の甲で目を擦る。
「蜜葉が女遊びしてても浮気しててもあたしが浮気相手でもまあいいやって思えるくらい蜜葉と離れたくないし好きなのよ。こんなに好きになったの蜜葉が初めてよ。こんなあたし、あたしは嫌。どんどん、おかしくなってくみたい」
「鈴華」
「今夜は来ないで。ひとりになりたいから」
「行きたい。鈴華。待ってて。すぐ仕事終わらせてくるから」
 ここにいてよ、とあたしの肩を撫で、蜜葉は走って行ってしまった。ここからだとガラス張りの壁の向こうのカウンター席が丸見えだ。蜜葉が香水の君のところに駆け寄るのを見て目を逸らし、あたしは蜜葉の言いつけを破りその場から離れた。 
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