それは面倒で。 でも愛しくて。

合う合わない、とかではなくて


 家に着くと、すぐに着ていた服を洗濯機に放り込みスタートボタンを押した。そしてそのままお風呂に入る。潔癖かな、と思ったが嫌なものは嫌なので、ボディタオルにボディソープをたっぷりプッシュしてゴシゴシと体を洗った。香水の匂いを落として忘れて、早めにベッドに入りたかった。
 お風呂から上がるとカップラーメンを食べて歯を磨き、ベッドに入る。目を閉じふう、と息を吐くと同時にピンポン、とチャイムが鳴った。きっと蜜葉だ。あたしは布団を頭まで被って無視した。次にスマホが鳴った。通知を消してラグの上に放り投げた。
 こんなことして蜜葉、怒ってるだろうな。仲直りするの大変かも。でも、どうしても顔を合わせたくないのだから仕方がない。もやもやしてなかなか眠れず、もしかしてドアの前で待ってないわよねと思い至りベッドから抜け出し玄関をそっと開けた。外には誰もいなくて、月がのんびりと空に浮かんでいるだけだ。杞憂に終わってほっとして、ベッドに戻り横になる。眠りは浅く、起きては寝てを繰り返し、やっと迎えた翌朝のこと。
 伸びをしてベッドから降りて、コーヒーを淹れようとお湯を沸かすと、かたん、と玄関から物音がしてそっと近づいた。なんだろ。チラシかな。郵便受けを見たけれど何も入っていない。鍵を開けて恐る恐るドアを開ける。
「鈴華」
 蜜葉の声に視線を落とす。ドアを開けたすぐ横の壁にしゃがみ込み、蜜葉があたしを見上げてる。
 思わずドアを閉めようとしたけど蜜葉の手がドアを掴んで閉められない。あたしはしどろもどろになりながら蜜葉の癖っ毛を見つめた。
「い、いつからいたの」
 答えずに、蜜葉は曖昧に笑う。
「……会いに来た。中、入れてくれる?」
「……うん」
 あたしはドアを開いて蜜葉を招き入れる。 
 玄関に入った蜜葉から香水の匂いはせず、柑橘系のシャンプーの匂いがふわりとして落ち着いた。
「着替えてきたし、風呂も入ってきた」
「……うん」
「今まで気づかなくてごめん。匂いって慣れちゃうと意識しないものだね」
「そんなに長くあの人といたなんて妬けるわ」
「昨日で商談終わったから、もう会うことはないよ。引き継ぎもしてきた」
「大丈夫なの。あたしのせいでお得意様減ったならそんなことしないで」
「もともとの予定だから。商談成立したら引き継いで次の顧客につく。そーゆーシステムになってる」
「そうなんだ」
「そう。だから気にしないで。ところで、抱きしめていい?」
「うん。いい」
 蜜葉があたしを抱き込む。あたしも蜜葉の背中に腕を回す。久しぶりに、蜜葉の匂いそのものを嗅いだ気がして深く息を吸う。

「今思えばさ、確かに鈴華の言う通りだった。池田さんは、距離感も近かったし、商談場所も喫茶店とコーヒーショップとかでオフィスは選ばなかったんだよね。いろんな客がいるからそんなものかと思ってた。ボディタッチも多かったか……でも人それぞれだから僕は気にしてなかったんだ」
「わかるわよ。蜜葉が気づかないで、気にしてないことはわかってる。でもそれを見てしまったら、あたしは、嫌だったのよ。見なければこんな気持ちにはならなかった」
「見てないとこでも気をつけるよ。今回みたいなことはもうしたくない」
「……うん」
「鈴華のこと、聞かれたときもあった。彼女がいるのかどうか聞いてきて、プライベートだし答えなかったのにいるってバレた」
「蜜葉わかりやすいもの」
「鈴華に言われたくないな。それで、たまたまスーパーの近くを通って、そういえば今日は仕入れにスーパーに行くって言ってたな、鈴華いるかなって考えてたら池田さんが聞いてきてさ。仕方ないから鈴華のこと話したら、鈴華を見たいって言い出して」
「そう、だったんだ」
「ごめん。深入りされすぎてたね。警戒しなさすぎだ。鈴華のこと、なんも言えないな」
「そうね。言えないわね」
「ごめんね」
 ぐりぐりと蜜葉の首筋におでこを擦り付け甘えてみせると、蜜葉はくすぐったそうに笑った。
 キッチンから、ピーっと、お湯の沸けた音がする。
「あっ、お湯沸かしてたんだった。コーヒー飲む?」
 蜜葉から離れ、ヤカンの火を止める。
「うん。飲む」
「すぐ淹れる。朝ごはんは?食べた?」
「パン、買ってきた」
 蜜葉がビニール袋を差し出してきた。
「あ、ありがとう」
 受け取ろうとして、一瞬止まる。
「こ、これは」
 あたしは震える手でビニール袋を受け取りそのパッケージを食い入るように凝視した。先日新しくできたパン屋の袋。いつも行列で、人気はクリームパンだ。並んでも買えないという幻のパンが今ここにある。
「な、並んだの?」
「並んだ」
「買えたんだ」
「買えた」
「すごく食べたかったの」
「知ってる。店の前通る度に見てたもんね」
「ありがとう。蜜葉大好き!」
 あたしは飛びついて蜜葉の頬にキスをした。蜜葉があたしを抱きとめほっと息を吐く。
「仲直りの、お詫びに。機嫌直った?」
「直った!すぐコーヒー淹れるね」
 我ながらあまっちょろいが、蜜葉はあたしの喜ぶことを熟知している。あたしは蜜葉の手の内で転がされている。
 悔しい気もするけれど、幸せであることに違いはない。コーヒーとクリームパンで朝食を終え、あたしの仕事の時間に合わせて蜜葉と一緒にうちを出た。

 
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