それは面倒で。 でも愛しくて。
宝石よりも石ころを
部屋のチャイムが鳴る。
応答を待たずして何度も鳴る。
あたしと蜜葉は気怠い体を動かし起き上がり、スマホを開いて時間を確認した。夜中の二時半。こんな時間に、誰だろう。いたずら?あたしは不安になり蜜葉に寄り添う。蜜葉は見てくるからここにいて、とやんわり笑い、スウェットを履いて玄関に向かった。泥棒とかだったらどうしよう。蜜葉のことだから普通にドアを開けてどちら様ですか、なんて呑気に迎え入れてしまうかもしれない。不安に駆られ、慌てて服を着て蜜葉の後を追った。
正直、追わなければ良かったと後悔した。玄関には蜜葉と、雨に濡れた麗菜さんが蜜葉に縋るように抱きついていて愕然とした。なんでこんな時間に麗菜さんがいるの。しかもなんで蜜葉の家を知っているのよ。麗奈さんと音信不通になってから、蜜葉はここに越してきたのだ。だから麗菜さんがここを知るはずはない。いや、調べたのか。蜜葉の彼女であるあたしのことも知っていたのだ。どうやって調べたかはわからないが、麗菜さんは大企業のお嬢様だ。探偵でも雇って調べるのは簡単なことなのかもしれない。
今はそんなことより。
雨に濡れてしまった麗菜さんを無下にはできない蜜葉の気持ちはわかる。麗菜さんから蜜葉に抱きつくのもわかる。でも、理解はできるが気持ちは追いつかない。ぐちゃ、と音を立てて湿った紙のように心がしわくちゃになる。我慢しなくちゃ。でも今すぐ駆け寄って二人を引き剥がしたい思いにも駆られる。あたしはその衝動を我慢する。麗菜さんに何があったかはわからないけど、こんな時間に元カレのところに来るなんて、どう見ても訳ありだし傷ついている。爪が喰い込むほど手を握りしめ、細く静かに息を吐く。
そっと、蜜葉に声をかけた。
「蜜葉。お風呂貸してあげたら。なにかあったかいものも、淹れてあげて」
蜜葉が顔だけ振り向いて、遠慮がちに頷いた。蜜葉に抱きついていた麗菜さんが、濡れた髪の間から捨て猫みたいな目をあたしに向ける。あたしには懐かず、蜜葉と一緒にいたいと懇願するその様子に、あたしはぐっと唇を噛む。
「鈴華。その……」
居づらいなら、帰る?と目が語る。あたしは迷い、俯いた。
「あたしは」
帰る、と言おうとした。だがしかし。なんであたしが帰らなくちゃいけないんだ。今蜜葉の腕の中にいるのは元カノで今カノであるあたしは優先されるべきじゃないのか。真っすぐに蜜葉を睨むように見つめた。
「あたし、寝てるからまだ二時半だし」
「あ、うん。わかった。寝てて」
帰らないことにほっとしたのか、蜜葉が頬を緩ませた。麗菜さんが蜜葉の腕を掴み、呆然とする。
「この状況で帰らないんだ」
太々しい。そして図々しい。さっきまでの可哀想な気持ちはそのひと言で飛んでいった。
あたしはむっとして腕組をした。
「帰りませんよ。……間違いがあったら嫌なんで」
「間違いね。ないんじゃない?……あるかも?」
「ない。絶対ないから。鈴華、安心して寝てていいからね」
頼りない蜜葉の言葉をなんとか信じようとするが、それは難しい。蜜葉にその気がなくても、麗菜さんはあらゆる手を使って蜜葉をものにしようとする気がしてならない。見張っていたいけれど、寝ると言ってしまったので寝室に向かうと、蜜葉は麗菜さんから距離を取り、浴室へと案内する。あたしは寝室に入るが、ドアは少し開けたままにした。寝れる気がしない。当たり前だ。元カノに彼氏を取られるかもしれないこんな状況で寝られる神経は持ちあわせていない。
あたしはベッドに座り、そわそわしながらリビングの物音に耳を澄ませる。
蜜葉が麗菜さんにバスタオルとタオルを渡す会話が聞こえる。そして洗面所のドアが閉まると、キッチンでお湯を沸かす音がした。あたしはベッドに座ったまま上半身を後ろに倒す。いたたまれない。やっぱり帰ろうかな。明日も、いや、もう今日だけど、今日も仕事があるし……。
「鈴華」
悶々と考えていたら、蜜葉が部屋に入ってきたことに気づかなくて、ひゃっ、と声を上げて飛び起きた。蜜葉はあたしの隣に座り、頬を片手で包み込む。
「旦那さんと喧嘩したらしいんだ。それで飛び出してきたらしい。さっき旦那さんには連絡させたから、すぐに迎えに来るよ」
「そうなんだ。……わざわざ蜜葉のとこに来なくてもいいのに」
あたしが拗ねてみせると、蜜葉は微笑して頭を撫でる。
「本当だね」
「蜜葉のこと、なんだと思ってるのかしら」
「さあ。お嬢様だし、あんまり考えてないんじゃない?」
「自分のこと、世界中の誰もが愛してると思ってるのかしら」
「そうかもね」
「図々しいわ。蜜葉にはもうあたしがいるのに」
「そうだね」
「蜜葉はあたしのなのに。抱きついてくるなんて非常識よ」
「全くだ」
「蜜葉も蜜葉よ。くっつかれてるんじゃないわよ。毅然とした態度を取らなくちゃだめよ」
「心がけます」
「蜜葉は優しすぎる」
「頼りなくてごめんね」
「頼りないんじゃない。優しくて、気が弱くて、つけ込まれやすいの。あたしがちゃんと見張ってないと、蜜葉はきっとすぐどこかに行っちゃうわ」
「行かないよ。大丈夫。泣かないで」
「泣いてない」
ずずっと鼻をすすってしまった。蜜葉が頬に触れているから、目から流れる雫が蜜葉の手を濡らし溢れたことがバレてしまった。せっかく薄暗くて誤魔化せると思ったのにそんなことはできなかった。蜜葉はぎゅっとあたしを抱きしめる。
「初めて会った時からずっと泣いてばかりだ。僕が涙を止められればよかったのに、できなくてごめんね。役立たずでごめん」
「……元カレのことでは、もう泣いてないのよ。蜜葉のこと考えると、好きで、切なくて、愛しいなあって思うの。ヤキモチ妬いて泣いちゃうの。蜜葉があたしの辛い過去を塗り替えてくれたのよ。役立たずなんて言わないで。あたしは、救われてるわ」
「面倒事の多い男でごめんね。この間鈴華のいないとき、店主に釘を刺されたんだ。鈴華を本当に頼むぞって。なのにこの体たらく。もっとしっかりしないとね」
「充分よ。ありがと」
ふふ、と笑ってキスをする。蜜葉もお返しとばかりにキスを返す。
カタン、と物音がして寝室の入口に目をやる。
あたしは蜜葉から離れてベッドの端に座った。
「お湯、沸かしてたんじゃない?」
「ああ、うん。鈴華も飲む?」
「ううん。いらない。また寝るから」
「そ?じゃあ、またあとでね」
こめかみにキスをして、蜜葉が寝室から出ていく。あたしはさっきよりも緊張が解けてベッドに横になった。リビングから蜜葉と、お風呂から上がった麗菜さんの話し声が聞こえる。麗菜さんが何か言い、蜜葉がそれに静かに笑うとやっぱり気になって起き上がる。
何話してるのかしら。なんで蜜葉は笑ったの。