それは面倒で。 でも愛しくて。

面倒事

 約束なんてしていない。連絡先も知らない。名前もわからない。行き当たりばったり、運が良ければ会える。まるで博打のよう。
 前回勇気を出して連絡先を聞けばよかった。ハンカチのお礼に、今度何か奢らせてくださいと言えばよかった。けれどあたしは躊躇してしまった。男性は、モデルみたいな容姿をしているからきっとモテるだろうし、ナンパもされ慣れてそうだったからだ。またナンパか、といらぬ誤解をされたくなかった。

 休日、五回目の来店では会えなかった。 
 この日もカフェオレとチョコレートドーナツを頼み、少しゆっくりして店をあとにした。店は相変わらず繁盛しているとは言えず、でも客がいないわけでもなく、静かな時間が流れている。あたしはこのコーヒーショップでの時間が好きになっていた。のんびりとした時間を過ごして帰る。悪くない。
 男性へのお礼を口実にして通っているが、もうライバル視はやめて一ファンとして通おう。

 そして六回目の来店時。カウンターで注文していた男性の背中には見覚えがあった。駆け寄りこんにちは、と声を掛けると、一瞬瞠目した男性はすぐに柔らかな微笑みを浮かべてこんにちは、と返してくれた。
「注文、してしまいましたか?」
「いえ、これからです」
「良かった。あの、この間のお礼に何か奢らせてください。ハンカチも頂いちゃいましたから」
 男性はあたしの申し出に戸惑い、眼鏡を片手で直してにこりと笑った。
「お気になさらず。結構ですよ」
「でも」
「ホットコーヒーをお願いします」
 あたしの言葉を遮り、男性は注文して会計を済ます。
 これ以上関わりたくないと見えない壁を作られ、あたしはしまった、と数歩下がり男性の後ろに並び直した。
 断られた瞬間、読み取ればよかった。明確な拒否だ。柔らかな微笑みの裏にはもうこれ以上踏み込むなという無言の圧力があったにも関わらず、あたしは愚鈍にもその微笑みに優しさしか感じなかった。
 声音だって素っ気なかったのに、あたしのバカ。
 男性はコーヒーを受け取ると、あたしに軽く会釈して奥の席へと行ってしまった。あたしの特等席は、もうあの男性のものだ。
 ぽり、と頬を掻いた。もう関わりたくないんだろうな、という雰囲気が伝わり、あたしは男性と距離を置くことに決めた。
 カフェオレとチョコレートドーナツを頼み、あたしはガラス張りの壁に並ぶカウンター席に腰を下ろした。
 このコーヒーショップは街中から少し離れた自然の中にひっそりと建っている。チェーン店のくせに隠れ家的な存在だ。ガラス張りの壁の向こうは葉のない冬の木が並び、小鳥が可愛らしい声で鳴いては飛んで、また戻ってくる。
 このカウンター席だと、お客さんが入ってくる様子がわかり何気なくちらほらと来店する人たちを観察した。
 カフェオレを飲むと、その温かさが口の中に広がり喉を通って胃に流れる。
 ドーナツを手に取り齧ろうとした瞬間、ぽたりと手の甲に雫が落ちてはっとする。
 ハンカチを取り出し、目頭を押さえた。
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