それは面倒で。 でも愛しくて。

結婚しても、しなくても


 待てど暮らせど、その言葉をプレゼントされる気配はない。
 コーヒーショップでのデート。木ノ葉での逢引。お互いの家で休日を過ごし、次の日はそのまま仕事に向かう。仲の良い恋人。まだ知り合って日は浅いけど、蜜葉は確かに言ったのだ。この先もずっと一緒にいる未来が考えられたんだよ、と。わざわざ左手薬指にキスをして。そんな意味ありげなことを言っておいて。もやもやしたけど、ちょっと機嫌が悪くなったけど、あたしは根気強く待った。
 麗奈さんが蜜葉のところに突如現れ、旦那さんが乗り込んできた事件から一月。
 蜜葉は木ノ葉でコーヒーを飲みながら、あたしの仕事が終わるのを待っていた。着替えて店長にお疲れ様でした、と挨拶をして蜜葉に近寄り肩を叩く。パソコンとにらめっこしていた蜜葉ははっとして顔を上げ、お疲れ様、と微笑んだ。
 木ノ葉を出て、あたしの家へと向かう。明日は休みで、蜜葉は仕事があるけれど在宅勤務なのであたしの家に入り浸る。最近クライアントと会う日以外はほとんど家にいる気がする。どんな仕事をしているんだろうと一度パソコンを見せてもらったが、わけのわからない記号の羅列に目がチカチカしてしまい、せっかく説明してくれたのによろよろと離れてしまった。それからは一切仕事の話はしなくなった。無理に理解しようとすれば、きっと頭がパンクしてしまう。
 家に着くと、気が緩む。疲れた体を労いこのままソファにダイブしたい気持ちになるが、夕飯の準備ほうが先である。今日は梅と紫蘇のパスタと決めていた。梅の消費期限が近いのだ。
「お風呂先に入る?」
「そうしようかな」
「お湯はるね」
「シャワーだけでいいよ」
「そう?」
 蜜葉がシャワーを浴びている間にパスタを作ってしまおう。シャワーの音が聞こえ始めると、着替えを浴室の前にある棚に用意し、あたしはキッチンでパスタを作り始めた。
 何気ない生活、どこにでもいる半同棲の恋人。
 世の恋人たちは、どのタイミングで結婚を考えプロポーズをして籍を入れるのだろう。さっぱりわからない。
 パスタをテーブルに並べると、蜜葉が上がってきてコタツに座りテレビを付けた。バラエティ番組が映り、人気のある芸人が司会を務め、俳優に結婚相手に求めることをインタビューしている。あたしはキッチンから、お茶をグラスに注ぎながら注目する。タイムリーな番組だ。テレビを見ながら何気なく聞いてみるのも手かもしれない。
「できたわよ」
「あ、うん。ありがとう」
 コタツの上にお茶を置く。フォークを手渡すと、いただきます、とパスタをくるくるとフォークに巻きつける。梅と紫蘇の香りが口の中で広がり、上手くできたと二口目を食べる。ちら、と蜜葉を見ると、フォークは止まりなぜか額に手を当て項垂れていた。
 あ、あれ。美味しくなかったかな。
「梅と紫蘇、嫌いだった?」
「え?あ、美味しいよ」
「待って、確かミートソースのレトルトが」
「や、違うんだ。ごめん。ちょっとテレビの話が気になって」
「テレビ?」
「あ、いや。なんでもない」
「……あたしへのプロポーズのこと?」
「ま、まだしてない」
「されたようなものだけど」
「そ、そうだったんだけど」
「……やめたいの?」
「僕は結婚したいよ。でも鈴華は、その」
「……言って。怒らないから」
 かちゃん、とフォークを置いた。テレビを気にする蜜葉が話に集中できるよう、テレビをさっと消した。蜜葉がリモコンを持つあたしの手を見て、目を泳がせた。
 沈黙が、時間を支配する。カチ、カチ、カチ、と秒針の音が部屋に響く。
「……」
「……」
「ねえ」
「っはい」
「やっぱりやめたいのよね、結婚」
 ふう、と息を吐く。思えばあの言葉は、事件の後だった。蜜葉の気持ちが高ぶり出てしまった言葉で、冷静になればやっぱり、と思いは反対方向に傾いてしまったのかもしれない。寂しいけど、仕方ない。それが本心なら。蜜葉は優しいから、きっとはっきりと言えないのだ。これは、あたしから言わなければ。
「大丈夫よ。結婚しなくても死ぬわけじゃないもの。あんな期待させるようなこと言われてちょっと舞い上がっちゃったけど、そんなつもりで言ったんじゃないなら、もう、いいから」
「いや、違う」
「何が違うの。取り繕われたら、なんだか惨めだわ」
 じわ、と目の奥が熱くなってしまい顔を背ける。蜜葉は慌ててあたしの横に移動し、目を合わせようとするがそっぽを向いた。
「鈴華とはこの先もずっと一緒にいたいよ。できれば鈴華の骨は僕が拾いたいし、僕の骨は鈴華に拾ってもらいたい」
「……そうなの?」
 ずいぶんヘビーな言い回しだな、と思ったが、拗ねた気持ちを和らげるには十分な効力を発揮した。
 そろそろと蜜葉を振り向く。やっと目が合ったことにほっとしたのか、蜜葉の頬が緩む。あたしの左手を持ち上げ、恭しくその薬指にキスをする。
「鈴華は僕のものだって、ここに指輪をはめて知らしめたい。結婚は僕にとって鈴華を独り占めできる契約みたいなものなんだ」
 蜜葉の、あたしに対する独占欲が垣間見える。蜜葉の眼の奥が不穏に揺れる。
「でも、鈴華は違うよね。鈴華の思う結婚は、僕の考えるようなものじゃない」 
「……うん。そうね」
 あたしにとって結婚は、恋人の延長線上にある通過点であり、夫婦になるための合同作業の一つだ。結婚したからといって今の生活が変わることはない。今だってほとんど一緒に暮らしているようなものなのだ。
「結婚したら僕は鈴華をがんじがらめにしてしまいそうで少し怖い。鈴華が、例えば圭介と話していたり、他意はなくても手が触れたりとか。そんなのが許せなくなりそうだ。僕の妻なのにってさ」
「蜜葉ってあたしのことそんなに好きなの」
「麗奈にだって触れてほしくない」
「そうなんだ」
「だから、今のままのほうがいいのかなって考えていた。この距離感なら、きっと鈴華を窮屈にせずにずっと一緒にいられるんじゃないかって思ったんだ」
「あたしも、蜜葉と一緒にいたいから結婚したかったけど、蜜葉がしなくても隣りにいてくれるならそれでもいいわ。でも、指輪はほしいかも。牽制はしたいのよ」
「そっか。それは、嬉しい」
 本心をさらけ出し、蜜葉の肩の荷が下りたように見える。雰囲気がふわりと柔らかくなる。
「誤解させててごめんね。指輪、買いに行こうか」
「そうね。楽しみ。どんなのがいいかな」
「鈴華の仕事の邪魔にならないような、シンプルなのがいいかな」
「どんなのでも構わないの。蜜葉の虫よけになるならね」
「それは僕も同じだよ」
 お互いふっと笑う。食べかけのパスタは冷えてしまったけれど、また温めればいいや、と気楽に考えた。 
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