それは面倒で。 でも愛しくて。
チャームと合鍵
指輪を見に行こうか、と蜜葉に手を引かれてやって来たのは、有名なジュエリー店。躊躇いなく入ろうとした蜜葉の腕を思わずがっつり掴んで引き止めた。
「普通のでいいの。普通ので」
「……?普通のジュエリー店だけど」
「こんなお高めのところじゃなくていいの。なんなら露店に並ぶものでもいいの。こんな店に来ると思わなかったから、あたし、いつものデート服で来ちゃったじゃない」
季節は春を通り過ぎ、夏の手前。ぽかぽか日和がだんだん汗ばむ気温に達し、今日の服装は半袖のブラウスにひらひらと裾が舞うロングスカートという夏らしいものを選んだ。カジュアルで気に入っているが、これから入ろうとしている店には合っていない。ついでに蜜葉も着古した白Tシャツにジーンズという、コンビニスタイルなのでドン引きだ。いつもは襟のついたシャツにチノパンなのに、なぜこのタイミングでラフすぎるコーディネートを選んだのか謎めいている。蜜葉の服装にこだわりはなく、一緒に出かけるのが嬉しくて気にしていなかったが、こんな店に来るなら考えてほしかった。
「今日も可愛いけど」
「あ、ありがとう。蜜葉も素敵よ。いや、そうじゃなくて。ねえ、商業施設の中にあるジュエリーショップに行かない?あそこならカジュアルな感じで選びやすいというか、こんな、かしこまった店じゃなくても」
「鈴華」
「はい」
いきなり真剣な声音で名前を呼ばれ、あたしはぴしっと背筋を伸ばす。
「ちゃんとしたのを買いたい。結婚はしないけど、パートナーだってひと目で分かる、いいやつが欲しい。そのためにはこの店は必須だ。そしてすでに予約してある」
「よ、予約してあるの?」
「鈴華が以前迷っていたのを取り置きしてある」
「あたしが、迷ってた?こんな店、来たことない……あっ」
そういえば、先日蜜葉が泊まって行った時に何気なくコタツでスマホを開いて指輪を検索したときがある。指輪とひと言で言ってもピンからキリまである。これいいな、と思ったのをブックマークしていって、何気なく眺めていたけど。
「見てたの?」
「見えただけ」
「盗み見だ」
「さあ、行こう」
手を引かれ、楽しそうに笑う蜜葉を止めることはもうできない。店の中に入ると、しっかりと教育されたであろう店員が、綺麗なお辞儀をしていらっしゃいませ、と挨拶をした。
「撫子さんに、取り置きをお願いしてました蜜葉です」
「蜜葉様ですね。お待ちしておりました。少々お待ちください」
店員が奥の控室に消えると、変わりに若い女性店員が微笑みを浮かべ真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。黒髪をぴしりと一つにまとめた、綺麗な人だ。手にはボード、その上にペアリングが二種類光っている。
「ご予約ありがとうございます、蜜葉様。ご所望のペアリングをお持ちしました」
「ありがとうございます。試着してみても?」
「勿論です」
「鈴華」
ペアリングの小さい方を取り、蜜葉があたしの手を取ろうとしたので思わずさっと両手を後ろに隠す。蜜葉がむっと眉根を寄せる。
「ほら。手を出して」
あたしはぶんぶんと首を振る。
ガラスケースの中にはたくさんのペアリングが並んでいる。ちらと見えてしまったが、結構なお値段だ。今、蜜葉が持っているペアリングの片割れはいくらなのだろう。目眩がする。
蜜葉はペアリングを戻すと、今度は大きい方を取り自分の指に躊躇いなくするりと嵌めた。蜜葉の薬指に光るそれが、あたしの牽制になるのかもしれないと思うと途端に興味津々になり、顔を近づけまじまじと見つめる。
あたしの様子に店員が上品に微笑む。
「奥様も、どうぞ」
奥様。
あたしは慌てて顔の前で手を振る。
「あ、いえ。結婚する予定では」
「それは失礼致しました」
「あ、いえ。こちらこそ」
あたしの言葉に動揺を見せず謝罪する行為はさすが、有名店の対応である。結婚をしないのにペアリングなんて違和感しかない。あたしは縮こまってしまった。
「……つけようか」
「え、あ」
蜜葉はするりとあたしの手を取り、指輪は難なく薬指に収まった。
キラリと光るそれは、蜜葉の牽制のようで優越感が押し寄せてくる。
「……綺麗」
「うん。綺麗だね」
「お似合いですよ」
静かに同調してくれる店員に、恥ずかしながらも笑みを返す。
店員はあたしの指を見て、あら、と首を傾げる。
「サイズですが、もう一回り下でも良さそうですね。在庫を見てきますので少々お待ちください」
店員が行ってしまうと、あたしは指輪を確認する。確かに少し大きいかもしれない。
「八号かと思ったんだけどな」
ぼそっと呟いた蜜葉の言葉に、そんなの見てわかるものなのかしらと首を傾げた。
「蜜葉はぴったりね」
「自分のサイズだからね」
「……計ったことあるの?」
「……」
「……あ、聞かなかったことにして。愚問だったわ」
はっと、麗奈さんの顔が頭を過る。蜜葉は麗奈さんと結婚を考えていたんだろうか。指輪も用意していたんだろうか。今の沈黙は、あたしの疑問をすべて肯定するものだろうか。
麗奈さんが意地悪そうにくすりと笑う姿が想像できて苛立ちを隠せない。蜜葉があたしの手を取ったのではっと顔を上げる。
「こっちも嵌めてみようか」
「あ、うん」
最初のペアリングはシンプルなシルバーリングだったが、今蜜葉が持っているものはツイストのデザインだ。やはりサイズは少し大きい、が。
「こっちのほうが、あたしは好きかな」
「じゃあ、こっちにしよう」
「蜜葉は?これでいいの?」
「僕は鈴華が好きなほうがいい。それに、正直に言うとデザインはなんでもいい」
牽制できればなんでもいい。目の奥が剣呑に光る。蜜葉の独占欲に慣れたあたしはにこりと笑う。
「そう。じゃあこれにしましょ」
ちょうど店員さんが戻ってきて、これにします、と伝える。店員さんは畏まりました、と微笑み、次に申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「こちらのペアリングの在庫ですが、七号だけお取り寄せになります。少しお時間をいただけますでしょうか」
「構わない?」
「勿論」
「お願いします」
「ありがとうございます。では、届きましたらご連絡を差し上げますのでこちらにお名前とご連絡先をお願い致します」
ボールペンと用紙を差し出され、蜜葉が記入している間、店員がそっとあたしに頭を下げた。
「先程は、大変失礼致しました」
あたしはきょとんとする。なんか、あったっけ。
店員はさっと紙袋を差し出す。
「こちら当店オリジナルのチャームになります。差し出がましいですが、お詫びの品に受け取ってくださいますか」
「あ、いえ。えーと」
蜜葉が苦笑し「貰ってあげなよ」と言うので訳がわからないままありがとうございます、とおずおずと受け取った。
連絡先の記入が終わると、店員が蜜葉とあたしに丁寧に名刺を差し出した。
「遅れましたが、撫子と申します。商品が到着いたしましたら迅速に対応させていただきますので、宜しくお願い致します」
店の外までお見送りをしてもらい、あたしは何度も振り返って会釈を繰り返し、そのせいで撫子さんはあたしたちが見えなくなるまで店の中には戻れなかった。
お昼を少し過ぎた時間になったので、木ノ葉に寄りオムライスを食べて帰ることにした。
ドアを開けると、忙しい時間帯は過ぎ去ったあとで、店の中には二組の客しか見当たらなかった。
ドア鈴の音に、厨房から店主が顔を出していらっしゃいませ、と言い、あたしと蜜葉だとわかると優しく微笑んだ。
好きな席で待ちなさい、オムライスか?と聞かれて頷くと、店主はよしきた、と厨房に戻る。二人掛けの席に座ると、あたしと交代でシフトに入っている美月さんがそっと水の入ったグラスを置く。黒髪をきっちりと一つに纏めた、痩身高身長のモデルみたいな体型をした美女だ。最近入った新人だが、物覚えも早くとても助かっている。店主とあたしの二人で店を回すのは、だんだん辛くなってきたこの頃、美月さんが面接に来てくれたときは天使に見えた。シフト制のためあまり一緒には働かないので親しい訳ではないが、そもそも彼女は無口だ。
会釈して行ってしまうと、あたしは撫子さんからいただいた紙袋をそっと開けた。ハート型の小ぶりなチャームだ。家の鍵に付けるのにちょうど良い。あたしはいそいそと鍵を取り出し早速付けようとしたが、蜜葉がそれを見て財布からなにか取り出した。
テーブルの上に、すっとそれを差し出され、あたしは首を傾げ蜜葉とそれを交互に見る。
「えっと……?」
それは、蜜葉の家の鍵。このチャーム、蜜葉も欲しかったのだろうか。
「あ、じゃあ、これは蜜葉にあげる」
あたしがチャームをはい、と蜜葉に差し出すと、蜜葉はがっくり肩を落とす。
「違う。これは、僕の家の鍵」
「見たらわかるけど」
「鈴華にあげる」
「蜜葉、家に帰れなくなっちゃうわよ」
「スペアだから。合鍵」
「……あ、ありがと」
やっと意味を理解して受け取る。顔も耳も湯気が出そうなほど真っ赤になる。蜜葉に目線を向けると、蜜葉も気まずそうに頬杖をついてそっぽを向いていた。あたしはテーブルの下の蜜葉の靴を、自分のつま先でとん、と叩く。
「嬉しい。すぐ使う」
「じゃあ、もう今日使ったら」
「そうしようかな」
合鍵と自分の家の鍵にチャームをつけると、ちょうど美月さんが出来立てのオムライスを目の前に並べてくれた。