それは面倒で。 でも愛しくて。
別れ話と思いきや
合鍵をプレゼントされたことが嬉しくて。
ペアリングが指で光っていることに安心して。
あたしはほとんど蜜葉の家に入り浸ってしまった。それが、良くなかったのかもしれない。
誰しも侵して欲しくないテリトリーというものは存在する。あたしはそこに足を踏み入れてしまった。徐々に蜜葉の何かに触れてしまっていたのだろう。蜜葉が、日に日に口数少なくなってきて、目線も合うことがなくなってきて、いつももごもごとなにか言いたそうにしていたが、今日やっと。蜜葉は決断を下そうと決意したのだろう。夕飯を食べ終えコーヒーを淹れ、リビングの椅子に座り向き合ったとき、蜜葉はその言葉を口にした。
「しばらく、会えない」
苦虫を噛み潰したような表情に、あたしはなぜか少し可笑しくなってしまった。蜜葉は気まずそうに視線を彷徨わせる。
「うん。わかった」
心の準備はできていたのかもしれない。自分でもびっくりするくらい、しっかり返事ができた。蜜葉は一瞬呆気にとられ、でもすぐに苦しそうに眉根を寄せる。
「その、……ごめん」
「あたしこそ。蜜葉の仕事部屋に勝手に入って掃除したのがいけなかったわよね」
「いや、いいんだ。いずれこうなることはわかってたから」
「出過ぎた真似をしてごめんなさい。そもそも結婚もしてないのに勝手に掃除とか、洗濯とか、家事に手を回すなんて図々しかったわよね」
「僕は嬉しかったよ。すごく助かってた。家事、苦手だから」
「そうよね。結局料理もできなかったわよね」
「パンケーキくらいは焼けるかと思ったんだけどな」
「生焼けか黒焦げかのどっちかだものね」
「ごめん」
謝ってばかりの蜜葉が不憫に思えてきて、あたしは気にしないで、と微笑む。
こればかりは、仕方ない。居た堪れなくて、話題を変える。あたしにだって、限界はある。覚悟していたとはいえ苦しくないわけじゃない。胸は抉られたように痛み、目の奥は徐々に熱くなる。思い出話に花を咲かせ続けるほど、強靭な精神力は持ち合わせていない。
「いいのよ。……えっと、それで、その。私物は結構あるから、何回かに分けて持って帰るわ。とりあえず今日は、そうね、化粧品とか」
「……ん?」
「それまで合鍵、持っててもいいかしら」
だめかな。でも蜜葉のいない時に荷物は持ち帰りたい。顔を合わせると、未練が残る。だって嫌いになったわけじゃないのだから。
けれど蜜葉はぽかんとして、あたしを見つめる。今のあたしの言葉が理解できない、と言った感じだ。
やっぱりすぐ返したほうがいいのね、と慌ててハート型のチャームがついた鍵を取り出す。すると蜜葉は鍵を取り出したあたしの手を握り、困惑した表情を向け焦った声音を上げる。
「待って。なんの話?」
「何のって……別れるんだから荷物を」
「そんな話してないけど?!」
声を荒げた蜜葉が合図だったかのように、あたしの目からぽろ、と涙が溢れた。
「違うの?」
蜜葉は椅子から立ち上がり、あたしを抱きしめ大仰にため息を吐く。
「違うよ。なんでそう思ったの」
「だって……最近よそよそしかったもの。避けてた、でしょ」
「そろそろ、言わなくちゃとは思ってたんだ。でもその前に知られたって動揺した。鈴華からはなんにも言ってこないし、怒ってるのかと思ったんだ」
「?なんのことなの」
「仕事部屋の資料、見たんじゃないの?配置が変わってたからてっきり知ってるのかと思ったけど」
「資料?」
「長期出張の話」
「し、知らない、けど」
ぐず、と鼻を鳴らすと、テーブルの上のティッシュを一枚抜き取り鼻水を拭かれた。あやすように頭を撫でる手が優しい。
「北の方に半年くらい行くことになった。営業所がそこにあるんだけど、担当が諸事情で辞めることになってね。でも半年で帰ってこれるから」
「それで、しばらく会えない、のね」
「別れるなんて言わないでよ」
「ごめんなさい。勘違い」
「はあ。本当にびっくりした。でも、ずいぶんあっさり別れを受け入れたね。もっと、駄々をこねてほしかったな」
頬を撫で、軽く抓る。恨めしそうな蜜葉の目が、剣呑に光る。
「だって、蜜葉の態度がおかしかったから、覚悟はできてたのよ。……振られるのは、慣れてるわ」
ふと、元カレのことがよぎったが、それを掻き消すようにあたしを抱きしめる蜜葉の腕の力が強くなる。
「僕には慣れないでよ。この指輪を外すことは生涯ないよ」
蜜葉の指に光るツイストのリングに目を落とす。永遠の愛と絆の証は、あたしの指にもしっかりと嵌っている。
「そっか。そうよね。蜜葉だもんね」
気が弱くて頼りない、でも独占欲が強くて一途な愛を注いでくれるのは、あたしの大切な生涯のパートナーだ。この瞬間、過去の思い出はがらがらと崩れて木っ端微塵に砕け散る。
可笑しくてくすくす笑うと、蜜葉も口の端を上げ目を細める。
「最近、泣くのは僕のためだけになったね。あとは、こうして笑ってる」
顎に指を添えられ、ちゅ、と音を立ててキスをする。蜜葉の目の奥に、情欲が湧いている。
「これからも、僕のためだけに笑って泣いて、怒ってね」
あたしは蜜葉の首に腕を回してキスのお返しをする。
「蜜葉もね」
「勿論」
約束のキスをして、笑う。蜜葉はひょいとあたしを横抱きに持ち上げると、寝室のドアを足で開ける。部屋に入りベッドの上に優しくあたしを降ろすと、我慢せずに優しいキスを何度も繰り返した。
