それは面倒で。 でも愛しくて。

ハート型のピアス



 蜜葉が長期出張に行く一週間前。
 
 麗奈さんが再び蜜葉の家に駆け込んできた。蜜葉は徹夜で仕事を上げたばかりで夕方まで寝ていて、チャイムの音で起床し、半覚醒で玄関まで出迎え抱きついてきた麗奈さんに驚き固まる。
 そこにスーパーでオムライスの材料を買ってやって来たあたしと鉢合わせ、修羅場となる。
「なにしてるのかしら……?」
 抱き合う二人を見て、いや、よく見れば抱きついているのは麗奈さんの方で蜜葉は硬直しているだけなのだが、あたしは冷ややかな目線を投げつける。傷つき涙ぐみながら立ち去る、なんてか弱い女がするようなことはしない。麗奈さんはふてぶてしく「あら、こんにちは」と悪気なく笑う。半覚醒の蜜葉が、完全に目覚めたらしく、だらだらと冷汗を流して両手を上げる。自分からは触れてません、と意思表示をする。
 あたしはつかつかと歩み寄り、べりっと麗奈さんを引き剥がす。蜜葉を背にかばい、睨みつける。
「鈴華ちゃん、怖い」
「なにしに来たんですか。また喧嘩ですか」
「聞いてくれる?あのね」
 玄関で喋りだした麗奈さんの話は長く、夕方になると風が冷たくなるこの季節、あたしは仕方なしに麗奈さんを蜜葉の部屋に上げることを許可した。コーヒーを三人分淹れ、愚痴を聞く。
 礼二さんとは大方うまくいってらしい。取引先の社長との連絡のやり取りの文面は気に入らないものの、そこは我慢し、礼二さんとの新婚生活を楽しんでいた。朝のいってらっしゃいから始まり、掃除洗濯などの家事を片付け、スーパーに行き食材を買い、夕飯を作って礼二さんの帰りを待つ。おかえりなさいと出迎えて、夫婦の時間を過ごしてまた朝を迎える。この繰り返し。単調だが幸せな時間に満足していた頃、礼二さんが少し早めに帰宅した日があった。たまには外で食事でも、と誘われ連れて行かれたのは居酒屋料亭。こじんまりとした、若い夫婦が営む評判の店だった。予約していたらしく二人掛けの席に案内され、コース料理に舌鼓して日本酒も入りほろ酔いで、とてもいい気分だった。店主とその奥さんのおしどり夫婦の雰囲気も楽しくて、時間はあっという間に過ぎていき、最後の料理を胃に収めたとき。どうしてその話になったのかは覚えていない。礼二さんの奥さんを見つめる目が優しく、あろうことか注文の際奥さんの名前を呼んだのだ。雅さん、と。
 麗奈さんは聞いた。親しかったの?と。
 礼二さんは何気なく答えた。昔、ナンパした、と。
 一度だけここで共に食事をしたと言う。まだあの二人が夫婦になる前の話だと、笑いながら話す礼二さんに冷笑した。

「それで、逃げてきたんですか。過去の話でしょ?」
「過去の話よ。でも、関係を持っていた女がいる店に行くかしら普通。ありえないわ」
「それは、確かに」
「料理は美味しかったわ、とても。でも、妻への気遣いができてないわ」
 ふん、と鼻を鳴らす麗奈さんを見て静かにため息を吐く。蜜葉は仕事部屋にこもって最終調整をしている。期限が差し迫っているのだから仕方がない。麗奈さんの相手はあたしがするしかない。

 そろそろ、迎えに来ないかな。

 ちら、と時計を見やる。
 午後八時。そろそろオムライスを作りたい。食べて、お風呂に入って、蜜葉と同じベッドで眠りたい。

「ねえ、蜜葉は?」
「仕事です」
「忙しいのね。せっかく鈴華ちゃんが来てるのにね」
「そうですね」
「そういえば、出張の時期ね」
「……なんで麗奈さんがそんなこと知ってるんですか」
「付き合ってたとき、よく出張に行ってたもの。この時期が多かったなあって思い出したわ。今回はどのくらい行くの?」
「……半年ほどらしいです」
「え。三日とかじゃないの?付き合ってた頃は長くても一週間とかだったわよ」
「……そうですか。今回は半年って言ってましたよ」
「どこ行くの?」
「北の方に」
「ふうん、大変ね。遠距離恋愛かあ。自然消滅しそうね」
「……」
「やだ、怖い顔。でも不安よね。蜜葉って自分に向けられる好意に鈍感だから、下手したら他の女に寝取られるかもしれないわよ」
「え」
 考えてなかった。
 そうだ、確かに。蜜葉に言い寄ってくる女は積極的で、それなのに蜜葉はちっともそのアプローチに気づかない。知らないうちに部屋に上げて、襲われたらどうしよう。
 ちら、と麗奈さんを見る。綺麗な顔立ちの、胸の大きな女は蜜葉のタイプだ。こんなのが、もし出張先にいたら……。
 
 不安になったその瞬間。チャイムが鳴った。
 麗奈さんが頬を膨らましそっぽを向き、蜜葉が部屋から出てきて玄関に向かう。ドアを開けると強風のような勢いで礼二さんが駆け込んできて、麗奈さんを抱きしめ口説き、嫌がる素振りをしながらも礼二さんからの熱烈なキスを受け入れた麗奈さんは、そのまま仲直りして「お世話になりました」と嵐のように去っていった。
 玄関のドアを閉め、うんざりといった顔の蜜葉に苦笑し「今からオムライス作るわね」と伝えると、蜜葉は元気のない微笑を浮かべた。
「鈴華と二人で過ごしたかったのに」
「あれが麗奈さんよ。諦めるしかないわ」
 キッチンに立ち、フライパンをコンロの上に置く。冷凍ご飯にケチャップ、タマネギと挽肉を取り出し調理を始める。蜜葉は仕事部屋に戻らず、腕を組んで冷蔵庫によし掛かり、あたしの様子を伺っている。あたしは振り向きどいて、と蜜葉を押しのけ冷蔵庫から卵を取り出した。
「鈴華」
「なに?」
「心配しなくても大丈夫だよ」
「な、なにを?」
「出張先はド田舎で、若い人はいない。ましてや鈴華が心配するような、麗奈みたいな女性は存在しない」
 割った卵に殻が入ってしまった。
 蜜葉はあたしの心の中が読めるのだろうか。スプーンを引き出しから出して、殻を掬う。蜜葉を振り返り見上げると、申し訳なさそうに眉が八の字に下がっている。
「不安にさせてごめん」
「蜜葉の性格はわかってるわ。頼りなくて気が弱いからそばにいたくて仕方ないけど……。木ノ葉での仕事もあるからついていけない」
「そうだね」
「蜜葉の全部が愛しいの。優しいのは悪いことじゃないけど、安売りして勘違いさせちゃだめ。年配のマドンナにだって好かれちゃうかもしれないんだから気をつけて」
「わ、わかった。気をつける」
「定期的に、連絡してね」
「うん。鈴華もしてほしい」
「迷惑じゃなければ、するわ」
「待ってる」
 あたしは頷いて、チキンライスの続きを再開する。蜜葉が仕事部屋に戻り、オムライスが出来上がるとテーブルに並べる。
「出来たよ蜜葉」
 木ノ葉の店主が作るオムライスには程遠いが、とろとろ卵のオムライスはあたしの得意料理のひとつだ。
 蜜葉が仕事部屋から出てきてオムライスを見て目を細める。
「美味しそう」
「遅くなっちゃったけど、食べましょ」
 時計を見ると、午後九時を回ってしまった。今日は蜜葉に触れてもらえないかな、と少し寂しく思っていたが、蜜葉はあたしの心が読める人。
 ベッドに入った瞬間、蜜葉の手があたしの頬を撫で、唇に触れ情熱的なキスをしてくれた。
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