それは面倒で。 でも愛しくて。
番外編 -面倒で、愛しい恋人-
蜜葉が長期出張から帰ってきたその三日後。
スーパーで買い物をし、エコバッグにチキンカレーの材料を詰め込み階段を上る。
銭湯の斜め向かいの古いアパートの二階。通い慣れた恋人の家の鍵を鞄から取り出す。蜜葉の部屋のドアの前。エコバッグを持ち直し、鍵を差し込んだところで「鈴華ちゃん」と名前を呼ばれて振り向いた。
黒髪ボブヘアの色白美人、麗奈が階段を上りながら手を振っている。
あたしは差し込んだ鍵を回さず引き抜き、部屋を守るようにドアにぴったりと背をつく。
麗奈はあたしの前に来ると、にこりと微笑む。あたしは胡乱な目を麗奈に向ける。
「元恋人の家に何かご用事?」
嫌味っぽくなってしまったが致し方ない。
蜜葉のタイプである元カノに、あたしは未だに不安を覚える。嫌いになって別れたわけではない二人、というキーワードが、あたしの中では燻っている。例え麗奈さんが人妻で、夫に溺愛されていたとしても気は抜けない。恋はいつだってすぐそばにあり、何をしでかすかわからない。人の気持ちは移ろいやすい。麗奈さんは夫と上手くいっているけれど、喧嘩をすれば躊躇いなくあたしのところに転がり込んできた。そして蜜葉が帰ってきたとなれば、蜜葉の部屋のドアは簡単に叩かれる。
蜜葉は優しくて鈍感だから、困っている人がいればすぐに手を差し伸べてしまう。
それは蜜葉の魅力だけれど、あたしにとっては不安要素であり愛しい蜜葉の性格だ。
麗奈さんはあたしの複雑そうな表情を見て首を傾げる。
「どうしたの。可愛い顔が台無しよ」
「麗奈さんに言われても……上から目線にしか聞こえないわ」
「あら。そんなことないわよ。可愛いって思ってるわよ」
あたしは苦々しく思いながら麗奈さんの顔と胸に視線を送る。パッチリとした目にふっくらとした唇。毛穴のないすべすべの肌は色白で眩しいくらいだ。胸の膨らみはふくよかで、ウエストはキュッと締まっていて世の男性、いや、女性から見ても完璧な容姿である。対してあたしはスタイルがよいわけでもなく、胸の膨らみも平均より小さい。鼻と頬にはそばかすがあり、お世辞にも肌が綺麗とは言い難い。
綺麗な人に可愛い、なんて言われても、素直に喜べない皮肉な自分にうんざりする。
こんな気持ちとはさっさとさよならしたい。
あたしは咳払いをして話を進める。
「ご用件は」
「なあに。事務的ね」
もお、可愛くない、と唇を尖らせながら、麗奈さんは鞄の中から小箱を取り出した。
差し出されたので両手を広げると、麗奈さんは友達にお菓子をあげる軽い仕草でそれをポンと手のひらに落とした。あたしはそれを、凝視する。
ビロードの小箱。赤くて手触りのよいそれは、中に何が入っているのか容易に想像できる。
麗奈さんは黒髪のボブヘアを揺らしながらこてん、と首を傾げた。
「これ、蜜葉に返しておいてくれる?」
「どうしたんですかこれ」
「付き合ってたとき貰ったのよ。でも結局一度も付けなかったの。きっと蜜葉もつけなかったんじゃないかしら」
「どうして」
「これ貰ってすぐに連絡できなくなっちゃったから」
あたしは麗奈さんと手の中の小箱を交互に見て、押し返す。麗奈さんの胸の膨らみが手の甲に当たり忌々しい。
「自分で返してください」
「ええー面倒だわ。それに蜜葉と会っちゃったら、礼二さんやきもちするし……鈴華ちゃんから返してよ」
「どうしてあたしが」
「蜜葉と会っていいの?思い出話しちゃうかもよ?」
ずい、と顔を近づけいたずらっぽく笑う麗奈さんを見て歯ぎしりをする。
想像できる。麗奈さんが話す言葉を、蜜葉が目を細めて微笑み聞いている様子を。木ノ葉のカウンター席で並んで座り、コーヒーを飲む蜜葉に頬杖をつく麗奈さんを。
そこにあたしがいたとしても、ふたりの雰囲気は変わらない。あたしはふたりの背中をただ見つめるだけだ。
「鈴華ちゃん」
はっと顔を上げる。
麗奈さんは苦笑し、小箱をあたしの胸に押しつけてきた。
「やっぱり鈴華ちゃんから返しておいて。お願いね」
「えー……」
「捨てるに捨てられないわよ。まあまあ高いものだし。じゃあね」
用件は済みました、とさっぱりした表情をして麗奈さんは行ってしまった。