それは面倒で。 でも愛しくて。
あたしは手の中の小箱を見つめため息を吐いた。
一度しまった鍵を再度取り出し鍵穴を回す。
今度こそ玄関のドアを開け、中に入った。
柔軟剤の匂いがして、初めて蜜葉の部屋に来た時のことを思い出す。あの時は水難の相に悩まされ、心身ともに疲れていた。今もまあまあ疲れている。麗奈さんはあたしを悩ませる天才だ。
家主は不在。今日は出社する日で、帰るのは六時頃と聞いている。
あたしはエコバッグをキッチンに置き、小箱を手にソファに座った。悩んで、ぱかりと小箱を開けた。そこには想定通り、キラリと光る指輪。
「……ペアリング、よね」
指輪は一つしかなかったが、それは真ん中よりも少し右にズレている。
蜜葉もつけなかったと、麗奈さんは言った。
でもそんなのわからない。麗奈さんと別れるまで、つけていたかもしれない。
あたしは指輪を小箱から取り出した。この指輪に罪はないが、なんだか憎らしくなってしまい、テーブルの上でころころ転がす。
そう言えば、蜜葉は自分の指のサイズはわかっていた。麗奈さんにこの指輪をプレゼントするときに測ったのだろう。
あたしは自分の薬指にはまる指輪に視線を送る。あたしだけじゃなかった。それはそうよね。付き合ってたんだから。指輪の一つや二つ、三つ四つ、蜜葉なら過去の恋人に愛情を持って選んだだろう。麗奈さん以外の元カノなんて知らないけど。
それに……いつだったか泣いてるあたしを慰める言葉のなかに、いつしか時間が解決してくれますよ、涙も枯れます、なんて自分が経験したような言い方をしてたけど。あれは麗奈さんが、結婚したって聞いたときの話なのだろうか。枯れるほど、泣いたのだろうか。この指輪の片割れはどうしたのだろうか。まさか、まだ持ってる……まさかね。
転がしていた指輪を小箱に戻し、テーブルの上に置いた。
カレーを作って気を紛らわそう。
蜜葉の嫌いな玉ねぎを荒く切ってたくさん入れよう。
それでちょっとは気が晴れる。
チキンカレーにと、今日はモモ肉が安かったのでそれにした。ニンジンにジャガイモ、玉ねぎを切って炒めて水を入れ、煮立つまで腕を組んで鍋の中の野菜を見つめる。
六時過ぎ。そろそろ帰ってくるかなと玄関に意識を向けると、がちゃりとドアの開く音がした。
キッチンからひょこりと顔を出すと、靴を脱ぐ蜜葉と目が合った。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「今日はカレーだっけ」
「うん。チキンカレー。好きよね」
「好きだよ」
「玉ねぎたくさんいれたからいっぱい食べてね」
「うん?」
「好き嫌いはダメよ」
「なんか機嫌悪い?」
キッチンに引っ込むと、蜜葉は真っ直ぐあたしのところまで来て顔を覗き込む。肩を掴まれ逃げ場はない。
鍋がぐつぐつと煮立っている。ちら、と鍋に目をやると、火を止められた。
「なんかあった?」
「あったような、ないような」
目を泳がせる。蜜葉の手があたしの顎を優しく掴み、くい、と上向かされた。視線からも逃げられない。
あたしはごにょごにょと口を動かした。
「蜜葉の元カノが、気になるの」
「元カノ?」
「何人いたのかなーとか、プレゼントとかしてのかなーとか」
「いきなり、思いついたの?それで不安になった?」
あたしは肩を掴む蜜葉の手を握り、リビングへ向かう。テーブルの上に置いた箱を掴み、蜜葉に押し付けた。
蜜葉は戸惑いながらも小箱を受け取る。
「なにこれ」
「……わからないの?」
「見たことあるような、ないような」
「今日、返してもらったのよ」
「返してもらった?……もしかして元カレから?」
蜜葉の眉間に皺が寄る。
元カレから貰ったものなんて何もない。
あの人はあたしに何もくれなかった。欲しかったわけでもないが、今思えばそれは当たり前だ。ただのセフレのような関係だったのだから。
「そんなわけないでしょ。……麗奈さんからよ」
「麗奈?」
「本当に見覚えないの?ペアリングじゃないの?」
蜜葉は小箱をぱかりと開けた。そしてやっと思い出したのか、ふっと自嘲しすぐに蓋を閉めた。
「ねえ。片割れは?」
「え」
「持ってる?」
「……」
「……」
「持ってるのね」
ギクリと肩を揺らし目を泳がせる蜜葉を半眼で睨む。蜜葉は沈黙し、あたしはぷいとそっぽを向いた。
「いいのよ。ぜんっぜん気にしてないから」
腕を組み背を向けるあたしの腕を掴み引き寄せる。蜜葉の匂いがふわりとしたが、あたしの心は癒されない。
「ごめんごめんごめん。待って、探してくる。たぶん仕事部屋の机の引き出しにある」
「大事にしまってたのね」
「放置してただけだから」
「いいのよ。美しい思い出だものね。そのまま大事にしまっておけばいいんじゃない?」
「捨てる。捨てます。鈴華、怒らないで」
「怒ってないし」
「明日は燃えないゴミの日だ。ちょうどいいね。あ、そうだ。明日休みだよね。明日は早起きして鈴華の好きなパン屋さんにでも行こう。ね」
「ゴミ捨てついでに?」
「パン屋がメイン」
「……いーけど」
「楽しみだね?」
「……そうね」
「その前にカレーだね。楽しみだな」
ピー、と炊飯器が音を立てる。
火を止めた鍋は、また温めなければならない。
あたしは蜜葉の腕の中から抜け出しキッチンに向かった。小箱を持ったままうろうろする蜜葉を横目に、再び煮立った鍋の火を止めてカレールウを投入した。部屋の中がカレーの匂いで充満する。
一度しまった鍵を再度取り出し鍵穴を回す。
今度こそ玄関のドアを開け、中に入った。
柔軟剤の匂いがして、初めて蜜葉の部屋に来た時のことを思い出す。あの時は水難の相に悩まされ、心身ともに疲れていた。今もまあまあ疲れている。麗奈さんはあたしを悩ませる天才だ。
家主は不在。今日は出社する日で、帰るのは六時頃と聞いている。
あたしはエコバッグをキッチンに置き、小箱を手にソファに座った。悩んで、ぱかりと小箱を開けた。そこには想定通り、キラリと光る指輪。
「……ペアリング、よね」
指輪は一つしかなかったが、それは真ん中よりも少し右にズレている。
蜜葉もつけなかったと、麗奈さんは言った。
でもそんなのわからない。麗奈さんと別れるまで、つけていたかもしれない。
あたしは指輪を小箱から取り出した。この指輪に罪はないが、なんだか憎らしくなってしまい、テーブルの上でころころ転がす。
そう言えば、蜜葉は自分の指のサイズはわかっていた。麗奈さんにこの指輪をプレゼントするときに測ったのだろう。
あたしは自分の薬指にはまる指輪に視線を送る。あたしだけじゃなかった。それはそうよね。付き合ってたんだから。指輪の一つや二つ、三つ四つ、蜜葉なら過去の恋人に愛情を持って選んだだろう。麗奈さん以外の元カノなんて知らないけど。
それに……いつだったか泣いてるあたしを慰める言葉のなかに、いつしか時間が解決してくれますよ、涙も枯れます、なんて自分が経験したような言い方をしてたけど。あれは麗奈さんが、結婚したって聞いたときの話なのだろうか。枯れるほど、泣いたのだろうか。この指輪の片割れはどうしたのだろうか。まさか、まだ持ってる……まさかね。
転がしていた指輪を小箱に戻し、テーブルの上に置いた。
カレーを作って気を紛らわそう。
蜜葉の嫌いな玉ねぎを荒く切ってたくさん入れよう。
それでちょっとは気が晴れる。
チキンカレーにと、今日はモモ肉が安かったのでそれにした。ニンジンにジャガイモ、玉ねぎを切って炒めて水を入れ、煮立つまで腕を組んで鍋の中の野菜を見つめる。
六時過ぎ。そろそろ帰ってくるかなと玄関に意識を向けると、がちゃりとドアの開く音がした。
キッチンからひょこりと顔を出すと、靴を脱ぐ蜜葉と目が合った。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「今日はカレーだっけ」
「うん。チキンカレー。好きよね」
「好きだよ」
「玉ねぎたくさんいれたからいっぱい食べてね」
「うん?」
「好き嫌いはダメよ」
「なんか機嫌悪い?」
キッチンに引っ込むと、蜜葉は真っ直ぐあたしのところまで来て顔を覗き込む。肩を掴まれ逃げ場はない。
鍋がぐつぐつと煮立っている。ちら、と鍋に目をやると、火を止められた。
「なんかあった?」
「あったような、ないような」
目を泳がせる。蜜葉の手があたしの顎を優しく掴み、くい、と上向かされた。視線からも逃げられない。
あたしはごにょごにょと口を動かした。
「蜜葉の元カノが、気になるの」
「元カノ?」
「何人いたのかなーとか、プレゼントとかしてのかなーとか」
「いきなり、思いついたの?それで不安になった?」
あたしは肩を掴む蜜葉の手を握り、リビングへ向かう。テーブルの上に置いた箱を掴み、蜜葉に押し付けた。
蜜葉は戸惑いながらも小箱を受け取る。
「なにこれ」
「……わからないの?」
「見たことあるような、ないような」
「今日、返してもらったのよ」
「返してもらった?……もしかして元カレから?」
蜜葉の眉間に皺が寄る。
元カレから貰ったものなんて何もない。
あの人はあたしに何もくれなかった。欲しかったわけでもないが、今思えばそれは当たり前だ。ただのセフレのような関係だったのだから。
「そんなわけないでしょ。……麗奈さんからよ」
「麗奈?」
「本当に見覚えないの?ペアリングじゃないの?」
蜜葉は小箱をぱかりと開けた。そしてやっと思い出したのか、ふっと自嘲しすぐに蓋を閉めた。
「ねえ。片割れは?」
「え」
「持ってる?」
「……」
「……」
「持ってるのね」
ギクリと肩を揺らし目を泳がせる蜜葉を半眼で睨む。蜜葉は沈黙し、あたしはぷいとそっぽを向いた。
「いいのよ。ぜんっぜん気にしてないから」
腕を組み背を向けるあたしの腕を掴み引き寄せる。蜜葉の匂いがふわりとしたが、あたしの心は癒されない。
「ごめんごめんごめん。待って、探してくる。たぶん仕事部屋の机の引き出しにある」
「大事にしまってたのね」
「放置してただけだから」
「いいのよ。美しい思い出だものね。そのまま大事にしまっておけばいいんじゃない?」
「捨てる。捨てます。鈴華、怒らないで」
「怒ってないし」
「明日は燃えないゴミの日だ。ちょうどいいね。あ、そうだ。明日休みだよね。明日は早起きして鈴華の好きなパン屋さんにでも行こう。ね」
「ゴミ捨てついでに?」
「パン屋がメイン」
「……いーけど」
「楽しみだね?」
「……そうね」
「その前にカレーだね。楽しみだな」
ピー、と炊飯器が音を立てる。
火を止めた鍋は、また温めなければならない。
あたしは蜜葉の腕の中から抜け出しキッチンに向かった。小箱を持ったままうろうろする蜜葉を横目に、再び煮立った鍋の火を止めてカレールウを投入した。部屋の中がカレーの匂いで充満する。