それは面倒で。 でも愛しくて。
 さっきまであたしが座っていたカウンター席に、見知らぬ若い男が座っていた。男はちらちらとあたしを見てはコーヒーを飲み、何か気にしているようだった。
 なんだろう。あ、もしかしてさっき泣いてるとこ見られた人かな……気まずくてふいと顔を背けてドーナツを食べる。
 けれど後ろ頭にちくちくと視線が刺さり、どうにも居心地が悪い。身動ぎしながらドーナツを頬張ると、やっと男性がコーヒーを持って戻ってきた。思わずほっと息を吐く。
 男性はコーヒーをテーブルに置くと、カウンター席をちらと見た。視線を送ってきた男がやっとガラス張りの壁の外に視線を戻す。
「さっき。店の外からあの男があなたの泣き顔を見て入ってきてました。近づこうとしていたので先に声を掛けさせていただきましたが……カウンター席には座らないほうがいいですよ。その、失恋から立ち直るまでは。お節介ですが」
「……いえ。ありがとうございます」
 だいぶ落ち着いて、ドーナツを食べきる。男性はお節介ついでに、と言葉をつけ足す。  
「あなたの元カレは類を見ないほどのクズですよ。そんな男は早く忘れたほうがいい。すぐには無理だと思いますが……時間が解決してくれます。一番は新しい恋って言いますけど」
「しばらく男の人は勘弁ですね」
「男全員がクズではないですよ」
「今は、男の人と関わる勇気もありません」
「じゃあ、しばらく、あなたの失恋の痛手が癒えるまで僕が相手になりましょうか」
「え?」
「あ、相手って、恋人とかじゃなくて……こうしてコーヒーを飲みながら話をするってことです。……お節介ですか?」
「いえ、その。嬉しいです。実はこのいきなり泣き出す癖、誰にも相談できてなくて、あなたにしか話してないんです。だから気兼ねなく話せる人ができて助かります」
「そうですか。お節介じゃなくてよかった」
「ふふ。あたしのこと面倒だと思ってるくせに優しいですね」
「……すいません」
「いえ。正直に言ってくれたほうがあたしは嬉しいです。わかりやすいですしね。ふふ。浮気したらすぐバレそう」
「しませんよ、浮気なんか」
「あの人は、わからなかったなぁ」
 哀愁漂う遠い目をしたあたしに、男性は静かに言葉を紡ぐ。
「その人のことは、できるだけ考えないようにしてください。僕のことだけ考えて」
 男性の言葉にどき、とする。
 まるで口説かれているみたいな台詞に、あたしの耳は自然と赤くなる。
 男性は、コートのポケットから財布を取り出すと、テーブルの上に名刺を置いた。
「蜜葉といいます。エンジニアです。うちは割と融通が利いて、納期さえ間に合えば会社に行かなくても好きなところで仕事ができます。自宅にいることがほとんどですが、気分転換にここにも来ます。とても静かで集中できて第二の職場みたいです」
「へえ。今どきですね。格好いい」
「とりあえず、怪しいものではないので安心してください」
「ふふ、怪しいなんて思ったことないですよ。名刺、ありがとうございます」
「お名前を聞いても?」
「あ、失礼しました。鈴華です。街中の喫茶店で働いてます。ここには敵情視察で来ました。でもカフェオレとチョコレートドーナツが美味しくてすでに一ファンです」
「はは。そうですか。今度鈴華さんの喫茶店にも行ってみたいですね」
「ぜひ。ナポリタンがおすすめです」
「店名を聞いてもいいですか?」
「木ノ葉っていいます」
「次の勤務日に行ってもいいですか?」
「もちろんです。うちも落ち着いた喫茶店なのでお仕事しやすいと思いますよ」
「そうですか。楽しみです」
 連絡先を交換し、あたしはカフェオレを飲み切るとそろそろ行きますね、と蜜葉に別れを告げた。
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