次の世界でも、私を探してくださいね。

24

 芍薬麗園での仕事を終えた後、竹香は仕事着を黄色い服に着替えて、町にある離山の屋敷を訪ねた。

 玄関に立つと、年配のやさしそうなおばさんが出てきた。
「あなたは竹香さまですね。私はアミノと申すお世話係のばあやでございます」
「急にお伺いして、すみません」

「竹香さま、よく来てくださいましたね。ずっとお待ち申しあげておりました」
「ずっとですか」
「はい。半年以上、毎日でございます」 
「わたしのことを、待っていてくださったのですか」

「そのお召し物も、私が買いに参ったのですよ。ご主人さまが、黄色い服を探して来てほしいというものですから。なんでも、幼馴染の方だそうですね」
「はい、そうです」
 

「でも、幼馴染の方は、ご主人さまが誰だか気がつかれなく、帰ってこられるたびに、今日もだめだったとがっかりしておられました」
「そうなのですか」
 竹香は心臓が縮んでしまいそうになった。

「それで、私が申しあげたのですよ。ご自分から名乗ればよいではありませんかと。でも、それがなかなかできないそうで、今日はどちらから名乗られたのですか」
「わたしが」
「それはよかったです。ご主人さまはさぞお喜びのことでしょう」
「は、はい」

 アミノは竹香を応接間に案内した後、台所で何かしていたが、やがてにこにこした顔で戻ってきた。

「では、ここは竹香さまにお任せして、私は帰ることにしますが、よろしいでしようか」
「えっ、はい」

「夕食の用意はほぼできております。ただ今、台所をお見せしますから、あとはご自由にお願いします」
「えっ、はい」

 竹香は同じ言葉を繰り返している気がする。馬鹿だと思われないとよいけれど。
 アミノは、竹香が机の上の小さな木箱をちらりと見たのに気がついた。

「それ、なんだかおわかりですか」
 箱の表面には斜めに線のような模様が刻まれている。
「竹ですか」
「そうですよ」
 アミノは不思議な笑いをした。いやな笑いではないけれど、何か秘密を知っていているような笑い。
「これが、何か」
「ご主人さまにお聞きすればよいでしょう。では失礼します」
 と言って軽やかに帰って行った。

           *
 
  竹香は耳に神経を集中させていた。
 あっ、砂利がきしむ音がした。馬車が止まったんだわ、とその手を止めた。
 帰ってきた。

 竹香はどきどきする胸を抑えながら、台所から玄関まで走って行った。この廊下はよく磨いてあるから、滑って転びそうになった。今日は失敗したくない。

「お帰りなさい」
 竹香が挨拶しようとしたら、冬氷はこちらをちらりと見て「おう」と手を上げると、その手で竹香の頭をこつんとひとつ叩いて、奥にはいって行った。
 
 えっ。これって、何なの?

 竹香が首を傾げながら台所に戻って、ぐつくつ煮えているスープを眺めていると、彼の声が聞こえた。
 アミノおばさんの名前を呼んでいる。

「アミノおばさんは帰られましたよー」
 
 数しばらくの間、何も音がしなかったが、やがて彼が台所の入口に顔を半分だけ出した。
 
「アミノさん、帰ったの?どうして」
「どうしてって。キャプテンの指示ではないんですか」
 違う違う、そんなこと、指示してないと彼が首を振った。

「わたし、アミノさんに、台所をまかされました」
「そうか。わかった」 
 
 冬氷は一度姿を消したが、今度はためらいがちな態度で、照れた表情して現れた。
 竹香には、その意味がすぐにわかった。彼がピンクの上着を着ている。襟の下に青い色が見えて、それはズボンと同色である。

「どうしたんですか、それ」
「やっぱりね。おかしいだろ」
「おかしくないですけど」
「これを着るように置いてあったんだ。こんな色、着たことないから、どうしようか迷った」
「似合っています」
「アミノさんから、もっと明るい色を着るようにわれていたんだ。若く見えるようにさ」
「かわいいです」
「それはないだろ」
 そう言いながら、冬氷が鏡をちらりと見た。
 
 たしかにかわいい。役人服の時より、ずっと若く見えると竹香は思った。

「料理を作ってくれているのかい。そんなこと、しなくていいのに」
「アミノおばさんがほとんど用意をしてくれていたの。わたしが作ったのは肉とお豆のスープです」
「それ、好きなんだ」
「知っています。味はわかりませんが」
「どうして知っていたの?そんなこと話したことあったのかい」

「はい。目が慣れたら、ちゃんと前のキャプテンに見えてきました。お帰りなさい」
「ああ、そうだったね。挨拶をしていなかった。ただいま帰りました。ここがぼくの家です」
 冬氷が唇を真一文字にした。

「とても素敵な家です。後で、案内してくださいね」
「うん」

 台所の隣りの食堂の大きなテーブルの端と端に、食器が並べられていた。
「席が遠すぎないかい。これじゃ、地の果てみたいだ」
「わたしもそう思いましたが、アミノおばさんがこのように配置されていたので、キャプテンの指示ではと」
「ないない」

 彼の席はそのままにして、竹香はその斜め右側に食器を運んだ。

「うん。いいね」
 彼が困ったような表情を浮かべながらほほ笑んだ時、さっきのどきどきがまた戻ってきたから、竹香は焦った。これからふたりで時間を過ごすことになるけれど、へまなことをしでかさないで、ちゃんと過ごせるだろうかと不安になった。
 
 冬氷はスープを一口飲んでみた。うん、これだと目が笑った。
「おいしい」
「よかったです」

「チーチーは料理を作れるんだね」
「はい。キャプテンは」
「作ってみたいとは思っているんだ。うちは台所にはいる時間があったら勉強せよという家だったから、やったことがない」
「勉強は好きでしょ」
「好きなもんか」
「大好きだと思っていたけど」
「誰が好きなもんか」
 そう言いながら、キャプテンが明るく笑っていた。
 
「でも、永剣は作れるんだ、料理」
「ケンケンが料理をするの?」
「必要に迫られてだな」
「どんな必要」
「うーん、でも、味には改良の余地がある。あいつのは、すごくまずい。チーチーのは、とてもうまい」

 彼は何でもほめてくれる。竹香は今朝助けてくれたこと、これまで親切にしてもらったことを感謝した。
「そんなにまで親切にしていただく資格がわたしにあるのかどうか、わかりません」

「人を思ったり思われたりするのに、資格なんかいるのかい。好きな人を愛したり、愛される権利は誰にでもあるのではないのかい」
 彼の言葉の中に、「愛」が出てきたので、竹香は緊張した。
 
「でも、どんなに愛しても、その気持ちが通じないこともあるだろう。世の中には、そういうことのほうが多いかもしれない」
「そういう時は、どうすればよいのですか」
「思い続けるのは自由だけど、相手がいやだと言ったら、距離的には離れるしかないだろう」
「諦めるということですよね。できますか」
「できないと思っても、しなければいけないことがあるからね」
「そうですね」
 竹香は子供の頃、冬氷に憧れていたが、今は正直のところ、冬氷から愛される自信はないのだ。離山さまは大物すぎる。

「うん。たとえば、このぼくはチーチーがわからなかったくらい変わってしまっただろう。ぼくの気持ちは前より濃いとしても、チーチーには通じないかもしれないと思っている」
「わたしは浅はかだし、この3年間で中身が変わってしまって前と同じではないから、そんなわたしを知ったら、キャプテンはがっかりして、離れていくと思います」

「ぼくはどんなチーチーでも、いいんだよ」
「そんなこと、なぜ。どんなわたしでもいいだなんて、おかしいじゃないですか」
「おかしいけど、なぜだかわからない」
「キャプテンにも、わからないことがあるの」
「わからないことだらけだよ」
 そうなんだ。キャプテンでも、わからないことがあるのだ。それも、たくさん。竹香は、急にキャプテンを近くに感じた。

「チーチーは」
「わたしも、キャプテンが痩せでも、デブでも、足があってもなくても、キャプテンです」
「ありがとう」

 あらっ。
 わたし、告白してる?
 告白されてる?
 こういう超重大なことって、もっとずうっと先のどこかであるかもしれないと思っていたけれど、早すぎない?

 
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