終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】

5. 後輩以上恋人未満


 グイグイ来られるのは苦手だったはずだ。
 とにかく自分のペースを守りたい。落ち着いて、穏やかに、干渉しすぎず、感情を乱しすぎないでいられる相手がいい。
 だって、好きという感情は、判断を狂わせる。
 頭で間違わない答えを常に考えることができるくらいの、そんな距離感の感情を持つ恋人がちょうどいい。
 好きになりすぎても、なりすぎられても、御免だ。仕事に関わる相手なんて、特に無理。恋愛()()()()()が仕事そのものに支障をきたすなんてことは絶対に嫌だ。だからこそ、その気配を察知したら、とにかくバリアを張って踏み込んでくるなと警戒し続けてきた。

 それなのに、何故こんなことになっているのか?
 全部、あの日の迂闊なワンナイトが悪い。元はと言えば飲み過ぎが全部悪い。その原因になった元彼ととにかく仕事を奪い続けた隣でハンドルを握るこの男も悪い。

(本当に何で……なんで、あそこでうっかり誘ってしまったんだろう?)

 高級国産車の助手席で唸りながら丁寧に塗られた自分の薄ピンク色の爪先を見つめ、雪那は冷静な判断をしていなかった自分に項垂れた。

 **

「無理。ごめんなさい」

 いきなり結婚という単語を出されても、引くしかない雪那に、玲司はまたにっこりと微笑んだ。それが明らかに作ったものであることは明白だ。
 それにしたって、顔がいい。柔らかで優しそうな、人から好かれるだろう整った顔。ちょっと犬っぽくて可愛げもある。
 
「それもそうですね。俺の仕事内容も年収も生活習慣も思考も何も開示せずでは不安でしょう。お互い知っているのは体の相性くらいですもんね」
「……っ、だからっ、忘れてよ!」

 しかし、とにかく口から出てくる言葉が可愛くない。
 
「営業は何事も情報収集が基本、でしたっけ?じゃあ、とりあえず健全にデートからしましょう」
「聞いてる?! 耳はついてる?!」
「はい、貴女の言葉ならいくらでも聞いていられます。()()()()()()()()話をしてくれているんですから」
 
 まるで雪那が彼を無視をしていたような言い分に違和感を覚える。
 
「会社にいた頃から普通に話をしていたつもりだったけれど。……もしかしてなにか気にしてた?」
「いいえ、いつも真剣に話をしてくれてました。ただ、やめてからも、俺、()()雪那さんを見かけることがあって」
「え?声をかけてくれたらよかったのに」
「いえ、いつも忙しそうにされていましたし、俺のことなんて覚えてないかなって」

 そうやってちょっと肩を落としてしょんぼりされると、途端に罪悪感がわく犬顔はずるい、と雪那は思った。
 結局、しどろもどろな声音で言い返す。
 
「お、覚えているわよ、もちろん、記憶力は良い方だし、唯一夜明けのコーヒーを飲み交わした仲じゃない」
「唯一、ですか?」
「そうよ。あんなこと会社人生で何回もあってたまるものじゃないわ」
「ああそういう……。でも、結局、駅で会った時には完全に初対面のフリされたし、その前のバーでだって不審者扱いされたし」
「うっ、あれはかなり酔っ払ってたからで……顔もあんまり、見てなかったし……名前はちゃんと覚えてたでしょう?そもそも橋谷くんの印象が変わりすぎなのよ。イケメンになりすぎじゃない?」
「イケメン?雪那さんに言われるなら嬉しいです。ふふ」

 パッと顔を輝かせたと思えば、じっとりと恨みがましく文句を言われて、今度は余裕の微笑み。
 そのコロコロ変わる表情に雪那の心臓はいちいちドキッと跳ねて、今はドクドクと強く脈打っている。

「そんな。変わったね、とか、素敵だね、とかみんなに言われるでしょう?」
「さあ?俺は雪那さんしかまるで興味がないので」
「興味?!」
「あ、言いすぎました。口説いてる相手のことしか頭にないのは当然でしょう?」
「……その顔で?私を?口説く?何のために?」

 だが、雪那はいい加減うろんげになってきた。

「逆に何故そこまで疑いますかね?雪那さんほどの美人ならいくらでも口説かれたことありますよね?」
「……美人?冗談でしょ。そういうのは綺麗な若い子に使う言葉よ。私なんて男友達ばかりで、気のおけない同性として扱われているだけ」
「はは、気づかれてさえないの、本当、哀れですね。まあ塩を送る気はまるでないんで、どうでも良いですけど」

 玲司が片頬を歪めたうえで、突然スマホをポケットから取り出した。その上でいきなり画面をこちらに向けて渡してきた。

「とりあえずこれに一緒に行きません?」
「嫌だけど……、待ってっれこれ、もう一般入場締め切りになった次世代デジタルテクノロジー展じゃない?!」
「はい。俺のお客さんが出展してて、一部プログラムを受注してたので招待券をもらったんです」

 さすが商材に合わせたお洒落な電子コードの招待券……!と金と赤の動くセキュリティのかかったコード画面に感動してしまう。日本最大規模だから行きたかったのに、一般チケット抽選に外れてしまったのだ。
 「雪那さん行きたがってたもんね」とニコニコとしている玲司をうぐ……と喉で唸りながら見つめた。この話も、酔っ払って話していたならば言い訳は難しい。
 けれど雪那は休日に会社の関係者と出かけるのは避けたかった。意図のつかめないことばかり言い張る玲司にはこれ以上付き合いたくないのもある。
 今日だって脅すのはこれきりにしろと釘を刺すために来たのに新しい約束をしてどうするのだ。
 
「でもあなたの会社のチケットで入るのは禁止行為だわ」
「いえ、これは俺個人名義で受注したので会社は関係ないですよ」
「個人名義」
「しばらくフリーランスをやってたので」
「……本当に才能があるのね」

 腕一本、パソコン一台でやれないことはないだろうが、仕事を取るのは大変な世界だ。雪那は玲司が何をしてきたのかに興味をそそられた。玲司の瞳がきらりと丸くなる。

「俺に興味を持ってくれました?ね、行きましょうよ」
「い、いえ……」
「もう、仕方ないな」

彼のスマホを持ったままの雪那の肩を強引に引き寄せると流れるような仕草でスマホを取り返し、彼女の目の下の黒子に口付けた。次いで、カシャ、と音がする。

「は……?」
「雪那さん、今までよく無事だったね。無闇に男と二人きりにならないっていう自己防衛を徹底してくれててよかった。これ、会社に送りつけられたくなかったら言うこと聞いてね?」
「は?」
「一緒に行ってくれたら目の前で消してあげる。データバックアップも含めてね。ついでに雪那さんが次、受注を目指してるP社に営業かけないって約束する」
「なんでその話……」

何故知っているのかと警戒に目を瞬き、次の瞬間にしまった、と思う、シラを切るべきだった。
 けれどもう遅い。玲司はスマホを片手で操作して、雪那の業務携帯の番号へのチャット画面を見せてくる。

ーーP社の件、ありがとうございます。ユース橋谷

競合の情報を仕入れて渡したかのように見せるつもりの意味深な文言。
そんなものを送信されたら身の破滅だ。業務携帯は自動で監視されているのだから。

「やめて……!そもそもあなたのやりとりも全部きちんとシステム側から消してくれるからって今日……」
「消しますよ?雪那さんが一緒に行ってくれるならね。逆にそうじゃないと、写真と一緒にもっと送っちゃうかも」
「脅迫って言葉知ってる?!」
「俺、理系なんでそういうのあんまり気にしないかな?」
「理系は関係ないでしょう!何でこんなことするの?」
「雪那さんとデートしたいから。なんならO社の件も譲るよ?」
「公私混同も甚だしいわよ!」
「だってオーナー俺だから何したって責められないよ。あ、うーん、あいつにバレるのは面倒だけど、まあこっちの話」
「ダメなんじゃない!」
「大企業様と違ってよりゆるーく生きてる会社だからね。雪那さんを養わなきゃいけないから早々に潰したりしないよ?ね、一度デートしてくれたらもう脅したりしないから」
「信じられるわけがなくない?!」
「じゃあこれ、そっちの携帯に送っちゃうよ」
「やめて……!」
「雪那さん、今週休日出勤ないでしょ。土曜日がいいかな?連絡取れないと困るから個人携帯教えて?これからはそこに連絡するからさ。ね?もう会社のやつには絶対連絡しない。約束する」

 その約束をどう信じろと?と雪那は憤ったが、しばらく唇を噛み締めたあと、諦めてラベンダー色のスマホを取り出したのだった。

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