終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】

6. 過去と男運

 一回だけ付き合えば、という話は、いつの間にか二回、三回になって、もう数えるのをやめるに至った。
 結局、押し切られたのだ。
 確かに昔から友人や先輩や上司や同僚に「頼む」と言われたら断るのは苦手だった。しかし、まさか自分がここまで押しに弱いだなんて思っても見なかった。

「雪那さんってしっかりしてそうに見えて騙されるタイプだよね。浮気男をひっかけるとかさ、見る目もないし」
「馬鹿にしてるの?むしろないからいまだにあなたに会ってるんだけど」

 じろりと睨めば、座る男は本日も涼やかな表情でニコニコと笑っていた。
 仕事帰りに会うと細い銀縁眼鏡を掛けている男は、雪那と会う時だけはコンタクトらしい。いかにもできる男という気配が途端に柔らかくなる。
 同僚に紹介されたカリスマ美容師にモテるからと言われて始めたらしい。雪那さんにモテたくて、なんて口の上手い男だが、雪那じゃなくて全世界の正解だと思う。

「私の何がそんなにいいの?」
「可愛いところ」

 いつもと同じ即答と満面の笑顔に、雪那はため息をついた。
 可愛げないは、数えきれないほど言われてきたが、可愛いなんて言われたこともない。玲司はよほど何かのネジが緩んでいる。
 
 何も知らずにフらないでと懇願した男は、とにかくしつこい。「何がダメ?」と悲しそうに眉を下げる悲しそうな顔もずるい。顔がいいのがずるい。
 そして口も上手い。
 「仕事奪う相手は無理」には、「もう意識してもらったからしないしいいでしょ」。
 「競合相手と繋がれない」には「そんなの、もう一度したならあと何回でも一緒。そもそも、バレなきゃいいんだよ」。散々、脅したくせに。
 うるさくしないから、邪魔しないから、美味しいご飯一緒に食べてくれるだけでいいから。触らないから。いや手くらいは触りたい。なんなら肩とか腰も触りたい。でも唇は我慢するから。あと俺のことは嫌じゃないならできる限り触って欲しい。と大型犬もびっくりの強引なリードの引っ張り方で、手を握って、次の約束をするまで車から降ろしてくれなかった。
 やっぱり男の車に乗ってはいけない。襲われなくて良かった。
 結局、ご飯を食べるだけならと諦めて、玲司とは何度か仕事帰りに外で食事をしている。いつも個室で高そうなお店で、領収書切れるから、と奢られてしまう。
 「今度は雪那さんがお店を選んでいいよ。そろそろ奢り返さなきゃって思ってる頃でしょ」と見透かした提案をされれば、落ち着かない心地だった。

「可愛い子なんて世の中に他にたくさんいるのに」

 そう、たとえばこの目の前でふるふると揺れる二段重ねのスフレパンケーキを持ってきてくれた、可愛いフリルエプロンの店員さん。例によって玲司に見惚れていたけれども、仕事中をちゃんと意識しているまともな笑顔の可愛い子だった。
 なのに。

「いないよ。雪那さんほどしっかりしててなんでもできるのに、雪那さんほどお人好しで抜けてる人」
「すごく馬鹿にしてるよね?」

 雪那は切りごたえのないほど柔らかなパンケーキを、つのが立たないほど柔らかいクリームに抹茶ソースをかけて口に運んだ。本物の抹茶のいい香りな鼻に抜け、ほんのり苦味はあるが甘い味が口の中にいっぱいに広がる。そのあとでふわんと解けていくスフレの感触とバターの香りがとても好みだ。
 美味しい、と自然と自身の口元が綻ぶのを感じた。

「ほらね。すっごく可愛い顔してる。他の男に見せないでよ」

 口の中で溶ける柔らかさでなければ喉に詰まらせたいただろう。代わりにきゃあ、と隣の席の女性二人組から小さな声が上がる。雪那は、耳まで真っ赤に染まった。
 
「へ、変なこと言わないで」
「なんで事実を言ったらダメ?可愛いから可愛いって言ってるだけ」

 ごふ、と変な咳が出た。
 間隔の狭い両隣のテーブルから息を呑む気配がして、雪那は身の置き場がない。
 半年前にオープンして以来ずっと人気のこの店を選んだのは、抹茶好きというのもあるけれど、ほぼ女性とカップルの行列は流石に嫌でしょ?という意趣返しのつもりだった。
 元彼は行列なんて聞くだけで絶対嫌だ、女が多いところは恥ずかしい、で終わりだった。けれど玲司は「いいよ、雪那さんが気になるなら俺も気になる」の一言。
 むしろ、この恥ずかしい状況に自らを追い込んだことを雪那が激しく後悔している。

「やっぱり、一人で来ればよかったわ……」
「ダメだよ。こういうお店に雪那さんみたいな迂闊な人が来たら。声かけられるよ」
「かけられてたのは玲司くんでしょ」
 
 先に玲司を店の外に出して会計する短時間に、彼は女性に声をかけられていた。誰?とびっくりするほどの彼の無表情は、雪那を見るなり、パッといつもの表情になった。
 アンケート勧誘だと言い張るが、「本当だよ。でも、雪那さんがいてくれて助かった」と柔らかく笑う。
 隣に並んだ長身の彼は、今日行列に並ぶ中でも、注目を集めていた。そんな玲司はととんと弾むように一歩を大きく踏み出して雪那を上から覗き込んでくる。

「雪那さんに名前を呼ばれるの嬉しい」

 本当に嬉しそうに言うので、雪那は眉を寄せて唇をへの字にした。お腹に力を入れてないと頬がまた赤くなってしまう。ツンと顔を反対側に背けた。
 
「呼んでってしつこいからでしょう」
「うん、すごく嬉しい」

(もう!なんでこんな素直?!)

 時々びっくりするほどの脅しをしてくるくせに、玲司のどう考えても好意を示している言葉はストレートすぎる。毎回豪速球を受けている気分だ。取りこぼすポンコツキャッチャーだけれども。
 一体何を企んでいるのだろうとずっと疑っているのに、いい加減、これはもしかして本当に本気なのだろうか……と雪那の脳裏によぎり始める。

 ――馬鹿じゃねえの?お前なんかちょっと物珍しいから遊んでやっただけに決まってんじゃん。まさか本気と思った?この俺が?

 けれど、玲司の柔和で女性を惹きつける容姿を意識するたび、もう十年以上も前の出来事がジクジクと胸を刺す。本当に馬鹿だったあの頃。学校どころか家族にさえ嘲笑された惨めな出来事。

 だから、今回もきっと信じたら痛い目を見るのだ。
 顔が綺麗で、背も高い細マッチョ。社長で、本人曰く人一人は余裕でそれなりの生活で養えるお金を持っていて、気取らなくて、雪那を敬って優先してくれる、優しい人。
 完璧すぎて怪しさしかない。
 信じた先はアリジゴクか地雷爆発の匂いしかしない、と雪那は思う。

「一人で来ていたら黒蜜と二種類が食べれなかったし、俺がいてよかったでしょう?」

 ただこの素直に尻尾を振ってくる笑顔に弱い。またしても、ううっと詰まった雪那は頷いた。

「それはそう……。ありがとう、付き合ってくれて。それに色々事前に調べてくれていたのも。玲司くんとだからかな、待ってる間も思いの外、楽しかったし、気楽だった」

 二時間の行列中も退屈しなかった。かと言って無理に話して続けていたわけでもない。事前に玲司が「待ってる間に本を読んでいてもいい?」と聞いてくれていたから雪那も電子書籍で漫画を読んだりして、時々、玲司が覗き込んでそれ知ってる、と話が弾んだりした。あと三十分くらいになればお店の話でどれにする?好きなものは?なんてたわいのない会話をしたり。
 一人で待つのは平気なのだが、案外、人と待つと相手を苛立たせていないかとか気にする雪那にとっては、玲司の最初から無駄なくそれぞれの時間を過ごすスタイルは合っていたようだ。
 パチリ、と玲司の茶色の瞳が瞬く。それから珍しく口元に手をやってフイと雪那がすぐに届かないところに顔を上げた。
 
「どうしたの?」

 視線の先を無意識に追いかけた雪那は、彼の耳がほんのりと赤いことに気がつく。
 手の下で、珍しく小さな声がした。
 
「俺とだからかなって、嬉しい……かわいい……これ以上顔が近いとキスしそうだなって……」
「は……」
 
 つられて雪那の耳も赤くなってしまった。
 なんだかんだ、玲司はきちんと距離感を保っていた。言葉と違ってきちんと一線を引いているというか。なのに急にキスしそう、ってなにそれ、と思う。

「……冗談でしょ」
「そんな言葉で済まさないでよ。俺、ずっと我慢してるんだから」

 そう言って、顔を覆ってない方の手で雪那の手の甲に、自分の手の甲を押し付けてきた。他人の皮膚の感触にビクッと雪那の肩が震える。

「手も繋がないってずっとおあずけされて、我慢してるの」

 いい大人がそんな切実そうに、完全に照れたとわかるはにかみ顔でいう話なのだろうか。これが演技なら俳優にでもなればいい、と雪那は思った。
 
「手……別に、手くらい……」
「え?本当?繋いでもいい?セクハラって言わない?」
「過剰反応しないでよ。恥ずかしい」

 またしても全力で振ってる尻尾が見えそうな笑顔を向けられて、雪那は照れ隠しにツンと一歩先に歩き出した。その次の瞬間に、後ろから手首をパシリと掴まれる。
 そのまま手のひらに、冬の空気で冷えた男の手が滑り込んできた。全体を一度ぎゅっと握られてから、指先の一つ一つを確かめるようにゆっくりと辿って指の間に潜ってくる。ぴったりと重なった手の腹の厚みを嫌でも意識した。

「お許し、嬉しい」
「……これくらいはスマートにやりそうな顔をしてるくせに」

 余裕なイケメンの、垂れ目な笑みが眩しい。つい憎まれ口を叩いてしまうと、繋いだ手を持ち上げられて、チュッと手の甲に口付けられた。気障な仕草にボンッと顔が赤くなった。

「俺、強引な自覚はあるけど、ただ流されてるんじゃなくて、雪那さんにちゃんと選んでもらいたいんだよね」

 心理をまた見透かされた気がして、雪那の心臓が違う意味でひどい音を立てた。
 
「俺が強引だったから、なんて。二度と言い訳できないように、一つ一つ雪那さんに俺という存在を選んで刻んで欲しい」

 チュウ、と手の甲の薄い皮膚を吸う音がして、そのまま彼の口の中で歯を立てられた。
 犬に、噛まれた。
 咄嗟にそう思ったが、長い伏せたまつ毛を持ち上げて雪那をその茶色みががかった瞳で一心に雪那を見つめる玲司の視線は今までがなんだと思うほどに鋭かった。雪那に犬とて肉食でもあると思い起こさせるほどに。いや、犬なんかでは収まりきらないのではないか、と思わせるほどに。

 息を呑んだ雪那が手を引こうとしても、玲司はもう強く手を握って離してはくれない。
 
「さ、次に行きましょうか。せっかくの休日を無駄にしないためにも」
「……せっかくの休日にこれだけの時間並んだならもう終わりでもいいわよ」

 ぴたりと寄り添う玲司にそんな憎まれ口を叩いてみるが、彼はくすくすと笑った。
 
「欲しいもののために待つ時間は何一つ無駄でないでしょう?俺ね、待つのは得意な方なんです。その先のご褒美を思えば、ね」

 ご褒美。
 雪那は玲司の恍惚としても見える顔を見て、鏡を見ていなくても我ながら顔が真っ赤にも程があると雪那は思った。

< 17 / 19 >

この作品をシェア

pagetop