終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】
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 (やっぱり、断るべきだったかも)

隣で冷たい風にたなびく髪をうざったそうに掻き上げながら、ざざんざざんと冬らしい暗めの海を眺めている玲司は今日も麗しい。
 ただ、なぜ高速に乗って車で二時間の自分の地元に来る羽目になったのか。しかも早朝に。しかも業務用と取り繕うのすらやめた結構ラフな格好で。
 流されたと言わせないと言いつつものすごい勢いで流してくる相手に、自分に雪那は厚手の手袋をした手で顔を覆うしかなかった。


 きっかけは、とにかく今まで振り続けた直接担当の仕事と残業が減ったので、プログラムを含めて自己研鑽を始めたことだ。もっと要件定義と社内の開発の橋渡しを言語的にしたいとずっと思っていた。顧客のヒヤリングは得意なのだが、いかんせんそれを開発チームに提案する際に議論にならないと失笑される。できないのかやりたくないのか。煮湯を何度も飲まされた。
 だから、玲司が雪那の要望を魔法のように叶えてくれたあのときからずっとやってみたかった。まさにSEの鏡というべき要件定義から仕様書作成、開発、保守までの一気通貫での完璧な能力は年下ながら憧れの対象だった。一年ほど前からは、自分で商品企画に異動希望を出さほどには。今は、玲司が得意でもなさそうだった営業を自らやっていることを知ると負けてたまるかという思いもあり、資格試験を受けようと思ったのだ。

「それなら俺が教えますよ」

 言ってくるだろうと思って黙っていたのだが、ふと雪那の携帯を見下ろして彼にも目に映ったのだろう。やたら出てくる情報技術者講座の広告を見て、興味があるんですか?と食いつかれた。
 何気ない会話の中で目標がバレると、嬉々として提案された。自分のテリトリーを奪える相手の手練手管の基礎だけでも知りたくないです?と誘われるなんて、悪魔の誘惑だ。
 競合と接触を持つことそのものがあんなにダメだと思っていたのに、勉強の仕方だけですよ、と片目を瞑られれば、その誘惑に勝てなかった。
 ただ「先生」の教鞭が、彼の自宅だったり自分のアパートでを提案されたら、雪那は絶対に頷かなかった。
 でも、待ち合わせは、駅前のビルのコワーキングスペースなんてビジネスライクな場所。なんなら課題まで出されて、個人メールでのやり取りはもう誤魔化しきれないほどになった。

 「対価は雪那さんの時間なんてご褒美でしかない」

 なんだかんだ彼の好意を都合よく利用している気がして腰がひける都度、玲司はいい笑顔で言ってくる。
 駄目だと思うのに、慣れてしまうと何度か車で一緒に出かけた。車内会話は試験問題や玲司が社内にいた頃の話。彼の得意なことの話。玲司は自分の興味を話すのは得意だけれど人に尋ねるのは結構苦手、と素直に言うので、雪那は笑って自分の好きなことを話し始める。

 やっぱり玲司といても、気を遣わなくて、楽だ。

 「女」のくせに察しが悪い、気が利かないなどと言われたくなくて、仕事でもプライベートでもとにかく相手を先回りして望むものを提供してこようとしてきた無意識の癖が、自分を対人関係でやたらと疲弊させていたのだという気づきを得てしまった。
 玲司は、雪那にやって欲しいと求めていることがない、もしくはそれを感じさせない。息がつきやすい相手だった。
 その代わりに自分がしたいことには強引だけれど。
 いつしか対価を差し出しているという感覚よりも、ただ嫌ではないから雪那も笑って受け入れていた。
 


「どうかしました?」

 少し離れたところで動かない雪那を、玲司が振り返った。

「えっ?その……早朝の冬の海って人が少なくていいわよね」

 ソワソワとしている不自然さを気取られたくなくて雪那はぎこちなく笑う。近隣住民に見られないという意味では早朝は有り難かった。
 何も知らない玲司がふふっと笑う。

「そんな感想?もっと文句が出るかと思ってました」
「え?」
「朝は早いし風が強くてとにかく寒いし曇ってるから灰色の海だし一体何しに来たのかとか思いません?」
「別に……寒いのは分かっていたからちゃんと着込んできたし、朝早いから道が空いてて最短で着いて、人がいなくて、静かに海の音を聞くという玲司くんの目的を存分に達成できる状況は、得した気分じゃない?」
「ふはっ、雪那さんってば目的に対して合理的。最高」

 玲司が噴き出した。気の抜けたその笑顔にドキッとする。
 雪那はドキドキとする心臓を持て余し、強烈な海風に飛ばされそうになる髪を押さえて、慌てて海を向いた。
 ついには外行きの服が無くなり、玲司と出かけるために新しい服を買うのもなんだか楽しみにしているみたいでモヤっとして、自宅用の防寒服にしてしまった。
 冬の散歩用の防風のダボズボンに、トレーナーに重ね着した古いセーター、細身のコートは着膨れた腕が入らず箪笥の肥やしだった色褪せたスキーウェアの上がコートがわり。ただ寒いの嫌という雑な服装で着てしまったことは、わりと、ずっと後悔していた。
 まだ日が出る前に迎えにきた玲司が、タートルネックのざっくりリブ編のニットセーターに細身のズボンを着ていて、後部座席におしゃれであったかそうなダウンコートが置いてあるのを見て、完全に間違えたと思ったのだ。
 やっぱりもっと可愛い格好をしてくるべきだった。
 防寒に全力で振り、ニット帽まで被った雪那は、玲司とのちぐはぐが目立って隣はいたたまれない。
 
「…………合理的って褒め言葉じゃないわよ」
「え?どうして?俺は好きですよ」

 これは合理的に、であって、自分に向けられたものでないと理解していても、また心臓がキュウとなる。
 俯いた雪那に近づいてきた玲司が雪那の手を握った。

「て、手袋してるのに手を繋ぐのは合理的ではないように思うわ」
「え?雪那さんと手を繋ぐと、俺が幸せになるって合理性がありますよ」
「……またそんなこと」
「あとは、雪那さんにとっても風除けにはなるってメリットありでしょ?」
「!」

 そう言って軽く手を引っ張られて肩が触れるほど近くに寄せられる。そうすると背の高い玲司の陰にすぽりと入って少し耳を凍えさせる寒風が和らいだ。
 いつもは手だけなのに、少しの遠出で彼も開放感があるのかもしれない。
 ね?と言いたげな柔らかな微笑みで覗き込まれると、ドドドっと心臓が異常値の音を立てる。
 いい大人がたかがこんなことでと思うのにまるでコントロールできない。一歩距離を離れようとしたところで、玲司の方がすぐに引いてくれた。

 そのまま少し散歩してくしゃみが出たところで、温かいコーヒー買ってくるから風が出ないところに座っていてね、と気遣いを受けて堤防下で待つことになる。なんなら玲司のが薄着に見えるのに、膝にマフラーをかけられてしまった。断る暇がなかった。慣れないとよく言うくせにこういう時だけは素早い。
 太陽の光を弾く海面を座ってぼうっと見つめる。
 昔に、自転車で兄たちとカニを取りに来たなと思い出した。仲がいいというよりは振り回されていただけだけど。今よりはマシな関係だった。
 ふと、なんでここに来てもいいと思ったんだろう?という気持ちが湧き上がってくる。寄りつきたくない地元だったはずなのに。
 いい場所と誘われた、説明が嫌だった、と言えばそうなのだが、断れたしリスクを負う必要はなかったはずだ。
 でも、玲司が雪那さんと行きたいと待てをした犬みたいな顔で言うから。
 
 ドクリ、とまた鼓動がうるさい。
 自分もメリットがあるからというだけでは言いようがない鼓動の高鳴りに悩まされるのが最近の常だ。だって玲司は本当に自分を好きでいてくれるような言動を繰り返すのだから。
 顔がいいって本当……と思ったところで、やっぱり苦い記憶に鼻に皺が寄る。つくづく面食いな自分にため息が出た。
 
 (イケメンは地雷説はどうしたの、桐谷雪那!)

 雪那のイケメン不信は高校時代にまで遡る。厳格な父の勧めで、兄たちと一緒に3歳から空手道場に通って男子顔負けのやんちゃに育ち、高校は合気道部に入った。髪も短く、とにかく女子にモテモテだった。
 それでも、両親の不仲に、全く反抗期が終わらない一番上の兄。すぐ上の兄は家出中。家では鬱状態の母に代わりに家事を回しても気が利かないとなじられるグチ聞き係。虚しくてたまらなかった。
 そんな中で取り巻きがいるような先輩に何故か告白されて、疑いつつも同情してくれる優しいその人柄に……正直、綺麗な顔にも舞い上がって絆されて、付き合い始めた。割とすぐに体の関係を求められて、いいのか分からずに頷き、それからは会うたびそう言うことばかり。図書室の書庫、体育館倉庫。人目を避けて、いつしか、雪那への優しい言葉はどこにもなくなっていたが、それでも幻影に縋った。
 現実を突きつけられたのは、甘ったるい香水をつけたふわふわ巻き髪の上級生の忠告で。
 無断で三年の教室に迎えば、彼は雪那とはまるで違う可愛い女の子と致していた。
 父に隠れて読んだ少女漫画のようにはいかなかったらしい。あの時の馬鹿にした綺麗な顔の彼を今でもはっきりと思い出せる。

 バッカだなあと今の雪那は思う。分かるでしょ、とも思う。でも合気道部の王子様を食ってやったら案外具合が良かったと面白おかしく噂され、地元高校だから親世代にも知られて、恥ずかしくて外も歩けないと母になじられ、父に殴られ、結局引きこもりの兄に嘲笑されたのは、辛かったなあ、とも未だ思うし恨んでいる。

 そこからあっちこっちで下卑た誘われ方をする暗黒時代を経て、必死で勉強し、髪を伸ばして都会に出て大学デビューをして、あの日見た綺麗な女の子らしい先輩を真似してみたらそれなりにモテた。
 次に付き合ったのは大人しめの、これまた中性的な男性だった。サークルの先輩で、指先が綺麗でいつも本を読んでいるような人だった。好きな作家の趣味が合い、執拗に誘われるようになった。またイケメンはちょっと……と思い、何度か断ってもめげなかったので、そこまでならと押し切られて付き合ったら、とんだ束縛男だった。雪那は自分に自信がないんだよねとか、これが好きになるはずだ、とかをは決めつけられて押し付けられることに辟易し、何度も喧嘩して、最後は有る事無い事まで言いふらされてぼろぼろにされた。
 とにかくもうイケメンはごめんだと、その次は友人に紹介された、全然好みじゃない男臭くてもっと軽い感じの明るい男性と付き合ってみたが、今度は三股男。またしても他の女と致しているところに遭遇し、本当見る目がない、と絶望した。
 以降、就職活動もあって男性とのお付き合いは何度誘われてもご遠慮願い、無事就職した先で仲の良かった先輩に散々飲まされて襲われかけ、今度は職場でも変な噂を立てられる。彼氏がいれば色目を使っていると言われないかもと思い、サークルの同期会で再会した大和からの渡りに船の告白に便乗し、心置きなく彼氏いますので!と社内恋愛はお断りしつつ仕事へ全集中した日々を過ごしていたら、誠実と思っていた大和すらあの結末に至った。

 正直なんでこうなる?としか言いようがない。いや、大和はこっちが利用した。それはごめんとは思うけれど、やっぱり男運は悪い。
 特に玲司は口が上手くて綺麗な顔。転がり落ちる最初の先輩を思い出す。

 胡散臭いと疑って然るべきしかないのだ。

 今は遠方に引っ越してしまった仲の良い学生時代の友人には「やっと運が回ってきたから優良物件を逃すな!」と言われ、大学のサークルから会社も一緒の同期には「そんな従順ワンコ年下ハイスペなんて裏があるに決まってるでしょうが!また傷つくのは雪那だよ」と渋い顔をされた。
 どっちもわかる……と顔を覆うばかりで判断がつかない。
 そもそも仕事に支障がありそうしかない相手で、そこを天秤にかける気があるのか。自分の気持ちすらわからない。何度目かのため息をついたところで、ふと玲司のものとは違う男性の声が聞こえてきた。

「…………雪那?雪那じゃん?」

その懐かしい響きに、ぎくりと全身が強張った。
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