終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】
8.執着 ⭐︎
『ちょっと色々一気にありすぎたので、一度落ち着いて考えさせて。今のところ、転職する気もないし』
突然雪那から届いたチャットに、玲司はふぅんと何度かスマホの画面を叩いた。
(誰かに何か吹き込まれたかな?雪那さん、自分のことだけやたら流されやすいからなあ。そこも可愛いんだけど)
自分も押し流している一人と自覚しながら、あのコミュニケーション力がありながら、性根が愚直すぎて、あまり人間関係が得意ではなさそうな雪那にやれやれとため息をつく。
雪那自身が抱えている不安に共感され、背中を押されたというところだろうか。
『あ、ちょっとそういうのは。見知らぬ人に相談する気は無いので』
あのバーで、ぐでんぐてんになりかけた雪那に近づいた瞬間、全力で拒否され即座に『お会計!』と逃げられたことを思い出して失笑する。同じ手段でひっかからない女はいなかったのになあ、とちょっと自信喪失しかけた。
しかし、朱に染まっていた顔で毛を逆立てた猫みたいに睨みつけてツンと出て行った背中を思い出すと、今度はニヤリとしてしまう。
見知らぬ他人への警戒心は非常に高いのに、一度懐にいれた他人には甘い彼女。今、あの時と違い、容易に気の抜けた笑顔を向けてもらえることに脳髄が甘く痺れる。
追いかけて来ないとほっとしたのかまたフラフラしていたから、違うホームにそっと誘導してあげたら、うっかり乗っちゃうあまりに可愛い姿もいいんだけれども。
玲司はギシリと背もたれの分厚いゲーミングチェアに背中を預けた。しばらく顎を上げて天井を見て、二つあるキーボードのうち、左のものを叩いて幾つかの顔写真とプロフィールを一番大きなデスクトップに表示させる。そのうちの二つにはすでに斜線が引いてあった。
「さて、どれかな」
玲司は除外印のついた尾崎大和、東郷秋彦という名にはもはや目もくれず、カーソルを動かすともう一つのキーボードにも軽やかに打ち込む。
延々と流れ続ける防犯カメラの画像の中に見間違えるはずもない雪那の背中を見つけてそれだけで口元が緩んだ。
犯罪?知ったことではない。保存データの経由地で抜き取られる側の防犯が悪いのだ。必要最小限、目的以外には使ってもいない。まああとで表からセキュリティの売り込みでもしよう、と鼻歌でも歌いそうな勢いであった。
(雪那さんのことだから、何か吹き込まれても自分でも数日は考えてから動くだろうな……そうすると一週間くらいか)
地道な画像の切り替え作業をしながら、玲司は青白い光を眼鏡に写し込んだ。自動販売機の横で立ちすくむ雪那の姿を見つけて、とりあえずその視線の先にいるぼやけた人影を社会的に消そうと心に誓う。
雪那を傷つけるものは許したりしない。傷ついた彼女を慰めるチャンスだなんてそんな下賎なことは思わない。彼女を傷つけるのも慰めるのも自分であるべきだ。
玲司には玲司なりの美学もこだわりもある。
弱った雪那の顔が好きかと言われれば好きだが、それは自分が慰められることを前提としており、自分の大切なものをむやみに傷つけられるのは大嫌いだった。
そして雪那はやたらと他人に目の敵にされやすい。気が強そうな成功者に見えるくせに、実はそんなことがなくてむしろ自信が少ないところにつけ込まれるのかもしれない。
そもそも、なぜ実家を出て十年以上経っても、近隣県とはいえあの地域で雪那の近況が面白おかしく語られるのか。今も故意に噂を定期的に流している相手がいるはずだ。
あわよくば最初から「知って」いた地元で、既成事実っぽい噂を流してやろうと思い素知らぬふりをして早朝の海の散歩を提案したことも、東郷秋彦が朝に犬の散歩をしていることも知っていたことも、純然たる事実ではあるが、最良の結果はただの偶然だ。運は玲司の味方であった。
そもそもつけ込まれるようなことしかないクズだから勝手に落ちていくだけで、玲司はさほどなことはしていないと思っている。
あと二人、雪那と付き合った幸運な人間はとりあえず二度と這い上がれないようにしておこうとは思うが、今は関わりがないから後回しだ。
玲司は雪那を見守ると決めた。だから、探索も正当な行為であり、雪那のためなのだ。
元々は、五年前から始まった雪那への中傷の原因を探るために始めた。
支社時代に男に襲われかけ、挙句に、付き合っていたのに騙して自分の顧客を取ったと保身に走った男にデマを吹聴された彼女。ただ、それが何故、本社で枕営業などという話で広く広まったかというと、本社への投書があったからだ。
――桐谷雪那は顧客と不適切な関係で仕事を取っている。
それも各部署に割り当てられたファックス番号にわざわざ送りつけるという悪質さで。当然、内部犯と疑われた。
それ以降のことはコンプライアンス部門のヒアリングデータのとおりで、犯人はわからずじまい、雪那は支社の男性社員を含め、被害届は出さないことで終わった。そこまでしても会社にしがみつくことで、鉄の女と言われながら。
もしかしたら会社から大事にするなと丸め込まれたのかもしれない、と玲司は最近思っている。それくらい雪那は「気にしい」だった。内部の誰かにそこまで恨まれているのは自分のせいとまで思った可能性だってある。
玲司は時々、残酷だな、と思う。
もし彼女が平凡だったら。特筆すべき売上を上げる女じゃなかったら。目立つ人間ではなかったら。
きっと、人を気遣うのが上手い彼女はもっと生きやすかっただろうに。あんな風に突然スイッチが切れるほどに頑張らなくてよかっただろうに。
けれどそれでは玲司は雪那に出会わなかったし、興味も持たなかっただろう。
だから彼女が傷ついたことに感謝して、その詫びとして、この先を彼女のために捧げようと思うのだ。
そのためにも、投書の犯人は見つけておきたかった。ついでに雪那も早くあの会社を見限ったらいいのに、と思う。
俺が雪那さんの望みを全部叶えて幸せにしてあげるのに。
「……少し動くか。ごめんね、雪那さん」
雪那が人から羨ましがられればそれだけ、闇は深くなる。
玲司は口元だけで小さく笑った。