終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】
「ち、が……、だって、玲司くん……、玲司くんだけ、だもの。こんな、私のせいで、私の……ために、不利益を被る人、玲司くんしかいない……だから、話をしなきゃ……だめでしょ……」

 玲司だけだ。こんなわかりやすく自分を度外視して、雪那を優先しようとするのは。終着駅で再会してからずっと。
 だから玲司は、警戒すべき男じゃなくて、橋谷玲司という枠だ、と思う。
 雪那の嫌なことはしないだろうという信頼が強くて、い一瞬頭をよぎった家に行くのは良いのかな、という疑問は近所という免罪符だけですぐに消えてしまうほどの特別。
 そのことに、はっきりと玲司に指摘されるまで、気がついていなかった。
 しどろもどろになった雪那から視線を外さない玲司はくすりと笑った。

「すごく真っ赤だ。すぐ顔に出ちゃうのも、可愛い」
「っ、……可愛げないって、言われて……」

 仕事ならいくらでも平静が装えるのに。
 体が熱い。
 玲司の手をはたき落とすなんてできず、ただただ、自分と違う体温が頬に触れていることに、動揺するしかできない。
 
 くすり、と彼が笑って、もう一方の手まで反対側の頬に触れた。顔を包まれる形になって、尚更逃げ場がない。耳の形を指先で撫でられると、全力疾走している心臓が酸素を求めてさらに暴れた気がした。

「そう?この気の強そうな目が、今はどうしようって落ち着かなくて、うるうるして、すごく可愛くて、色っぽい」

 玲司が、目の下の黒子を親指でなぞる。覗き込むような距離にある綺麗な顔を直視できず、ギュッと目をつぶってしまった。

 (あ、まずい……)

 こんなの、キス待ち顔だ。そう思って慌てて目を開けようとするが、その前に唇に息がかかって、そのまま柔らかに触れた。
 ピク、と肩がわずかに跳ねるが、嫌だという感情は浮かび上がらない。逆に、まあ仕方がない、という感情でもない。
 ただ、純粋にドキドキとしていた。
 心臓が胸の中から、飛び出していきそう。

「ん……」

 十秒経っても離れない唇に、鼻から咄嗟に止めていた息が漏れる。それを合図にしたかのように、玲司の舌がチラリと唇の合わせ目をノックした。
 
 どうしよう。……どうしよう、じゃない。やり方はわかるはず。違う。押し返したって別にいい。でも、離れたら気まずい。違う。そうじゃなくて、もっと、してもいい。……したい。
 
 高速で脳内で葛藤して、そっと唇を開いた。すぐに潜り込んできた舌が上歯の裏側をなぞる。くすぐったくて、ピクピクと肩が揺れた。その反応をもっと引き出すように上顎の裏のざらつきから頬の内側、下の歯と舐められる。ウズウズと触れてもらえない舌が疼く。悪戯を続ける彼の舌を自分から追いかけると、ようやくぬるっと柔らかで敏感な表面を擦ってもらえて、ゾクゾクと背筋が震えた。

「ふ、ぁ……ん……っんん」

 しっかりと絡んだ舌を、玲司の口腔内まで吸われる。じゅっ、じゅう、と音がして恥ずかしい。別に、初めてでもなんでもないのに、耳が燃えるように熱くなったのを自覚した。
 けれどそんな心地は、頭の後ろに手が回ってその重みを預ける形のように上を向かされたところまでで終わった。
 玲司が動きやすいように角度を変え、激しくなった口付けに翻弄されるばかりだ。痛いほど舌の根を吸われて舐め取られる。執拗に擦り合わされる舌はその表面のざらつき一つ一つまで意識させられ、喉の奥の奥まで他人の舌が進攻しようとする苦しさに喘いだ。
 けれど、嫌ではなかった。
 必死で口の中に溢れる自身と玲司の唾液を飲み込みながら、ふうふうと息を切らしながら、彼のTシャツに縋り付く。気がつけば、顔を包み込むように触れていた両手は離れていて、彼の腕の中にがっちりと抱え込まれていた。
 玲司の匂いが口の中、鼻腔いっぱいにする。嫌じゃない。むしろゾクゾクとする。相手が望むから、じゃない。
 体の中に小さな炎が灯って、ジリジリと雪那自身の官能を焼く。
 気がつけば自分から、必死に追い求めていた。すこしひんやりする口内が気持ちがいい。舌全体を舐められることも気持ちがいい。
 けれど、舌先を歯で軽く噛まれて、びっくりして目を開けた。
 ようやく他人としての境界を取り戻した玲司の顔が視界いっぱいに広がる。

 彼は笑っていた。優しい顔でいて、はっきりと情欲を浮かべた瞳で。
 でも、その唾液で濡れた唇から出るのは、冷静な声だった。
 
「雪那さん、俺ね、もうワンナイトだけ、ってのは御免なんだ。そんなことでは我慢できない。体じゃなくて、雪那さんの気持ちも欲しい」

 コツンと額が重なり、離れる。

「雪那さんが好きなんだ。全然信じてもらえてないみたいだけど、本当。雪那さんが手に入るなら何を差し出してもいいよ。だから、まあいい、嫌いじゃない、とは、違う雪那さんをくれるまで俺は待つよ」

 髪を撫で抱きしめられて伝わってくる彼の鼓動や体温もその言葉が上辺だけじゃないと信じたい。

「な、んで?私、つまらない人間だよ……?」

 それでも、雪那は先ほどと同じ問いかけしかできなかった。自分にそんな価値があるとはやはり思えない。
 けれど、嘘を言っているように見えない視線と熱は確かにすぐそこにある。デジタル文字の表示と通話では決して伝わらないそれに、ドクドクと熱い脈動が全身をめぐる。
 
「つまらなくないよ。俺には興味を引いて仕方がない存在。説明しようか?」

そう言って玲司は雪那の手に指を絡めるようにして握りしめる。

「自分の考えを持っていて、強くて人前で先輩にも引かなくて、でも、傲慢じゃなくて、プロジェクト参画メンバーでさえあれば末端のプログラマーだろうと顔と名前は全員きちんと覚えてて、クレームでも一つも人のせいにしないで頑張ってて、お人好しだからできない人の仕事被って、いつもできないことはありませんってキリッとした顔してるくせに、職場の自動販売機の前で電池切れして死んだ顔したりぶつぶつ言ってたり、階段で涙ぐんでたり、そうやってうっかり弱いところ出しちゃうの、抜けててすごく可愛い。それが好きになったきっかけ」

 そんな立派な行為でもないと思いながら後半からは羞恥にたじろぐ。けれど玲司の恥ずかしげもない言葉は止まらない。

「猫みたいに警戒心が高いかと思えば、ちょっと気を許したら無防備だし、興味あることには夢中になっちゃうし、わけがわからないくらい向上心は高いし、男運が悪いというかまんまと()()()()()()()し、なんでもできるのは焦らないように必死で裏で勉強してるからだし、自分のこと自信もないし、素直に誰にでも感謝しすぎだし、そのときの顔が可愛すぎてて攫われないか心配で目が離せないし……」
「ちょ、ちょっとま……っ、急に何……!」

 立石に水とばかりに流暢に流れ続ける言葉の洪水にいたたまれなくなった雪那は流石にギブアップした。褒められているのか微妙だが、羞恥が止まらない。ストレートな言葉をお世辞と受け取るのは難しく、かわす術を持てない。

 玲司がゆっくりと目を細めて、びく、と肩が揺れる。
部屋の照明を背後に背負った影が、彼を知らない人に見せた気がした。

「もう、俺に慣れたから言ってもいいでしょう?雪那さんのことだからさ、最初から俺が色々褒めても、所詮よく知らないくせにって聞き流して終わってた。違う?」

 まさにその通りの図星を指され、動きが止まる。

「でも、俺はもう雪那さんをよく知ってるし、雪那さんも俺を受け入れてくれているよね?」
「れ、玲司く……」
「俺の大事なものを雪那さんのために差し出したからって怒って説教に来るくらい、俺のこと気になって仕方ないんだもんね?」
「う……」
「雪那さんはお人好しだけど、家までのこのこ来てくれるのはさすがに俺だからだよね?もう絆されてくれるよね?」
「え、っと……」
「まあ逃すつもりはないけど」
「え……っ」

 ぎゅっと手のひら全体を握り込まれて、口元に引き寄せられる。以前そうされたときよりも深く、ガリと音がしそうなほど強く甲を噛まれる。
 鈍い痛みに震えると、ベロリと今度は舌で大きく舐められた。そのまま滑っていって手首の薄い皮膚も。
 それは犬がじゃれついているよりも、獲物をじっくり味見するような執拗な仕草だった。
 ゾクゾクとして、は……っと緊張の息がこぼれた。

「でも、俺、待つのは得意だから。この状況でも、雪那さんがダメって言うなら、ちゃんと待てする。だから、考えてよ。俺のこと、年とか立場とかに逃げないで、俺という存在を真っ正面から考えて?お願い」

 それは下手に出ているようで、負けない自信がある男の言葉だった。雪那の気持ちが彼に向いてないなんて思ってもいない、「逃げ」以外の何者でもないことを見透かしている言葉。
 目の奥を覗き込まれ、鼻先が触れる。けれどもう唇は重ならない。
 雪那はそれに不満を覚えて、そんな自分にうろたえた。
 また少し離れた彼の瞳のなか、赤くて媚びた顔の女が映りこんでいる。
 本当に自分なのかと言いたくなるけれど、形は雪那でしかない。
 
「好きだよ、雪那さん。雪那さんは、俺のこと好き?」

 言葉でいくら否定したって、こんな顔をしていたら説得力がない。
 魂胆がわからない男の、好きだと言うその言葉を信じたいと思ってしまう。だって嬉しい。
 もう一度、好き?とはっきり聞かれれば、頷くしなかった。

「やった!」

 玲司がぱっと顔を輝かせた。犬みたいな可愛い笑顔に胸がギュンとなる。騙されていてもいいなんて思ってしまう。三十二歳にもなるのに、それもどうなのか。

「…………でも、釣った魚に餌をあげないタイプはちょっと」
「まさか!自分の魚になってくれるなら、もう遠慮なく心こめてお世話する。可愛すぎて、毎日たくさん餌をあげてぶくぶく太らせてしまうタイプ。……たぶん」
「多分?」
「雪那さんみたいに好きになった女の人がいないからわからない」
「……またそんな」
「本当。綺麗な水槽に入れてずーっと眺めて何もかもをお世話して俺だけのものってニコニコしたい気持ちが抑えきれない」

 玲司はやっぱり例えが独特だな、と雪那は思った。

「別に面白いものはないと思う……よく、彼女のくせに可愛げがないって言われたし」
「可愛げは振りまいてもらうものじゃなくて自分で見つけるものでしょ。雪那さんの可愛いところなんて俺はもうたくさん知ってるし、これからも勝手に可愛いって思っているから。気にしないでいつもの雪那さんでいて」
「…………恥ずかしい」

 雪那はぼすっと玲司の肩に顔を埋めた。玲司の腕の力が強くなる。

「ほら照れてるの、とっても可愛い」

 頭頂部に頬ずりをされた。その仕草からも可愛い、が聞こえてくるようだ。
 
「ちょっと……あの黙って」
「黙ってもいいけど、これだけ。俺と付き合ってくれる?もう手を出してもいい?俺、浮かれてるし、割と限界で」
 
 押し付けられるそこの明らかな変化に、またしてもドッと汗が噴き出るほどに熱くなる。

「今度は朝までずっと一緒にいて欲しい」

 玲司が甘えたようにまた鼻先をチョンとくっつけてくる。きゅん、と体の中から聞いたことのない音が響いた。

「いいよ。今度は本当の意味で夜明けのコーヒーを一緒に飲もう?淹れてくれる?」

 ちゅ、と雪那から口付けると、玲司から大変濃厚なお返しが返ってきた。
 
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