終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】
13. 挑発
料理は上手くできずとも、せめてできることを、と思って、玲司に人と会う予定だけ聞いて、その時間の前にできるときなら連絡を入れるということだけを始めてみた。
予定の把握って束縛かも、と若干悩まないではないが、「雪那さんが秘書ならいいのに」「いつも一緒にいられたらな」とお礼と共に弾むようなチャットが返ってくる。時々、「でも職場で押し倒しそう。秘書と職場でって、背徳感あるよね」とふざけた冗談もくる。
途端に気分が下がり、その理屈で言うと優希とそういう関係だよ、と思ってしまう自分に辟易した。
元彼の大和にはそんなこと一度も思ったことがない。彼の周りにどんな女性がいるなんて気にしたことすらない。本当に振り返れば雪那はひどい彼女だ。
では、もっと前はどうだったのだろうか。嫉妬した?こんなにも不安だった?
しかし、十代や二十代前半の思考なんてものは恥ずかしくて、すぐに考えるのをやめた。
今は今の年代での恋愛というやつがある。
もっと落ち着くべきだろう。好きとか嫉妬とか感情だけで動くのはみっともない。年下。儲かっていそうではあるが不安定な自営業。あの親に紹介できるだろうか。いや、別に賛成されなくても……。
「……さん、桐谷さん、一番に外線です」
「あっ、はい」
仕事中にぼうっとするのは良くない。浮かれるな。
仕事に集中してない相手に軽蔑めいた視線を向けていた過去の雪那がチクリと苦言を呈した気がした。
*
「すみません。お時間を取っていただきまして」
「いえ……何かありましたでしょうか?」
突然の電話は優希からだった。
商談後によく寄る喫茶店で待ち合わせした彼女は、今日も少しゆるっとしたカットソーにタイトスカート。サラサラに手入れされたショートカットから伸びる細長い首筋が色っぽい。結局自分では巻くのが面倒になって、少しだけ後れ毛を出した一つ結びがルーティンになった雪那とは違う、指先まで完璧に整った「女の人」。
「いつもうちの橋谷がお世話になっております。本日は正式に我が社への転職をお考えいただけないかと思い、お時間を頂きました」
何を言われるのか警戒していた雪那は、斜め上からの話にしばし惚けた。
営業スマイルだけは自信があったのに、なにか、おかしい。そもそも、うちの橋谷って何?だ。
しかし、彼女は仕事中なのだとモヤモヤする腹を落ち着かせる。
「私、その話は今は」
「条件面で不服がありますか?それとも、小さな会社ということで将来性に不安が?橋谷のスキル頼みではありますが安定的に仕事は取れている方と思います。桐谷さんが加わっていただけるのであればさらに安泰かと思いますので待遇面でご希望があればおっしゃってください」
「……いえそういうことでは」
「それとも、橋谷と別れたあとが気まずい、などと気にしておられますか?」
にこやかな彼女の笑顔の中で、突如、視線の意味合いがピリッと変わった。雪那は再び警戒も露わに見返す。
「確かに人数が少ないですので、プライベートとの区分けが難しいかもしれません。橋谷を中心として全員の距離感が近いので」
「……何が言いたくて来たのですか?広報兼秘書がリクルートとはやや不自然ですね?」
玲司と親密だと言いたげで、明らかな敵意を感じる雰囲気に、雪那も真っ直ぐに受けて立つ。
帰り際、こんな話を一方的に持ちかけられる意味がわからない。
くす、と相手の赤い唇が笑みの形に持ち上がった。
「すみません、なにせ少数精鋭なので設立当初から橋谷の体調管理も含め、私が全て雑用をひきうけているんです。橋谷は経営管理に興味もなく、勝手にプロダクト作って仕事受注して来て、挙句、利益率も低い下請作業の提携まで結んでしまうような人なので。片手間の事業などどうでもいいのに貴女のせいでめちゃくちゃです。橋谷の才能はそんなところにはないというのに」
「……才能?」
はっきりと長いまつ毛を持ち上げて優希が雪那を蔑んだ目で見つめていた。
「全く知らないんですね。橋谷玲司といえば今や名の通ったサイバーセキュリティプログラムのプロですよ。個人名での受注は引も取らない。ユースアラウンドはどうしょうもない橋谷の趣味だけで作ったものです。本体はユースプロテクト。全て橋谷の才能を存分に発揮してもらうために、橋谷の信者で作った会社です」
「しんじゃ?」
「大学時代に研究室でクラッシュトラップのデモ環境プログラムをそれはそれは見事な美しさで作って……一躍時の人だったのに、面倒になったのか、目立つとろくなことがないって言ってしょうもない会社なんかに就職して。本当歯痒かった」
聞き慣れない単語に唖然とする雪那に、舌打ちでもしそうな勢いで優希が語ってくる。
大学の同級生で同じゼミにいたこと。
天才とはこう言うことをいうのだと悟った衝撃のこと。
自分の才を見限って玲司に尽くすことを天啓と思ったこと。
玲司がたくさん特許を持っていて海外の企業からもひっきりなしに誘われていること。
雪那が知らない彼の姿に唖然とすると共に、心酔といった優希の口調は優越感に満ちたもので、気が引けてしまう。
「彼の時間は、あまねくその才能を発揮するために使ってもらうべきだと思うんです。けれど、何も理解しない異物がいるんです」
だがその言い方を受け入れなければならない理由もまたないだろう。ムッとして睨み返した。
「いくらなんでも、ほぼ初対面で失礼でないですか?」
「あら、橋谷から一方的に聞かされ続けたので初対面な気がしなくて申し訳ありません」
一体何を言ったのかと雪那は玲司を心の中で詰った。どう考えても彼女は玲司を好きだ。玲司はそんなにも愚鈍ではないと思うのに。
「橋谷は、他人に一つも興味ないので、私の感情などわかっていて、いくらでも使い捨てますよ。便利だ、とね。神みたいに無慈悲でしょう?」
テーブルの上で拳を握り込んだ雪那の考えを見透かしたように優希が言う。美しいその顔はやはり恍惚としていた。気味が悪い。
「やる気なく普通の会社員をしていた彼を独立に焚きつける動機になっていただいたことは本当に感謝しています。得てして天才というのは一つのことにのめり込みすぎるものですから、暴走もやむを得ません。周りからはただの石ころに過ぎなくても無邪気な子供は気に入ったものを手放したりしませんから、飽きるまでは取り上げたりしませんよ」
バグの次は石ころ。流石に付き合う理由はないだろうと雪那はカバンを持ち直した。
「これ以上は時間の無駄のようですから失礼します」
「貴女は橋谷のために何ができる人間なんですか?」
けれど、一転して怒りがこもった声を向けられ、再び彼女に視線を向ける。
「……どういう意味ですか?」
「私なら、日常生活に無頓着な橋谷のサポートが完全にできます。ずっとそうして来ましたから。見返りなんて求めません。仕事も、起業した時からずっと隣にいて見てきました。橋谷の苦労だって知ってます。でも貴女は何もしないし知ろうとしない。与えられてるものを受け取ってるだけ。橋谷が貴女に尽くしている時間で、貴女は橋谷以上に何かを生み出せる人間なんですか?」
「……それは」
痛いところを突かれた気がした。
雪那は何者でもない。魔法みたいにプログラムを作れる玲司のように、これだけはという優れたところがない。仕事だった代わりはいる。雪那という人間が必要とされているわけでもない。
今、グラグラと揺れている足元に思い切りハンマーで叩き込まれた気がした。
「そもそも、橋谷がいなければ売り上げだってそんなに出せる人間でもないくせに。全部お膳立てされてるだけの凡人は、謙虚に天才に尽くすべきですよ。それができないなら彼に近づかないで」
「え?」
お膳立て、とはどういうことか。
優希が鼻で笑う。
「何も知ろうともしないなら、素直に橋谷のそばで囲われていればいいのに。無駄なプライドで彼の意識を逸らせないでr
不愉快そのもの、といった表情で彼女が伝票を掴んだ。
「お時間を取らせました。橋谷は貴女がそばにいないとやる気が出ないらしいので。転職の件、ぜひ前向きに考えてください。当面は貴女にも悪い条件じゃないと思います。なんなら家にいるだけでいいと思います」
かつん、と優希のパンプスが軽やかな音を立てて雪那の座るソファを通り過ぎる際、彼女ははっきりとした憎しみを込めて睨みつけていた。
「なんであんたなんかが選ばれるの?」
そのきつい表情に硬直したが、美しいと思った。彼女はきっと揺るぎない自信を持っているんだと思って。
そのまま、まるでモデルのような後ろ姿を見送って、雪那は背中をぐったりとソファに預けた。
情報過多すぎて訳がわからない。
けれど一番心に突き刺さったのは、玲司の時間を奪う分で何ができるの?という言葉だった。
まさか三十を過ぎてから、自分が一体なんの価値があるのかなんて、そんな悩むだなんて、思ってもみず、しばらく雪那はその場から動けなかった。
予定の把握って束縛かも、と若干悩まないではないが、「雪那さんが秘書ならいいのに」「いつも一緒にいられたらな」とお礼と共に弾むようなチャットが返ってくる。時々、「でも職場で押し倒しそう。秘書と職場でって、背徳感あるよね」とふざけた冗談もくる。
途端に気分が下がり、その理屈で言うと優希とそういう関係だよ、と思ってしまう自分に辟易した。
元彼の大和にはそんなこと一度も思ったことがない。彼の周りにどんな女性がいるなんて気にしたことすらない。本当に振り返れば雪那はひどい彼女だ。
では、もっと前はどうだったのだろうか。嫉妬した?こんなにも不安だった?
しかし、十代や二十代前半の思考なんてものは恥ずかしくて、すぐに考えるのをやめた。
今は今の年代での恋愛というやつがある。
もっと落ち着くべきだろう。好きとか嫉妬とか感情だけで動くのはみっともない。年下。儲かっていそうではあるが不安定な自営業。あの親に紹介できるだろうか。いや、別に賛成されなくても……。
「……さん、桐谷さん、一番に外線です」
「あっ、はい」
仕事中にぼうっとするのは良くない。浮かれるな。
仕事に集中してない相手に軽蔑めいた視線を向けていた過去の雪那がチクリと苦言を呈した気がした。
*
「すみません。お時間を取っていただきまして」
「いえ……何かありましたでしょうか?」
突然の電話は優希からだった。
商談後によく寄る喫茶店で待ち合わせした彼女は、今日も少しゆるっとしたカットソーにタイトスカート。サラサラに手入れされたショートカットから伸びる細長い首筋が色っぽい。結局自分では巻くのが面倒になって、少しだけ後れ毛を出した一つ結びがルーティンになった雪那とは違う、指先まで完璧に整った「女の人」。
「いつもうちの橋谷がお世話になっております。本日は正式に我が社への転職をお考えいただけないかと思い、お時間を頂きました」
何を言われるのか警戒していた雪那は、斜め上からの話にしばし惚けた。
営業スマイルだけは自信があったのに、なにか、おかしい。そもそも、うちの橋谷って何?だ。
しかし、彼女は仕事中なのだとモヤモヤする腹を落ち着かせる。
「私、その話は今は」
「条件面で不服がありますか?それとも、小さな会社ということで将来性に不安が?橋谷のスキル頼みではありますが安定的に仕事は取れている方と思います。桐谷さんが加わっていただけるのであればさらに安泰かと思いますので待遇面でご希望があればおっしゃってください」
「……いえそういうことでは」
「それとも、橋谷と別れたあとが気まずい、などと気にしておられますか?」
にこやかな彼女の笑顔の中で、突如、視線の意味合いがピリッと変わった。雪那は再び警戒も露わに見返す。
「確かに人数が少ないですので、プライベートとの区分けが難しいかもしれません。橋谷を中心として全員の距離感が近いので」
「……何が言いたくて来たのですか?広報兼秘書がリクルートとはやや不自然ですね?」
玲司と親密だと言いたげで、明らかな敵意を感じる雰囲気に、雪那も真っ直ぐに受けて立つ。
帰り際、こんな話を一方的に持ちかけられる意味がわからない。
くす、と相手の赤い唇が笑みの形に持ち上がった。
「すみません、なにせ少数精鋭なので設立当初から橋谷の体調管理も含め、私が全て雑用をひきうけているんです。橋谷は経営管理に興味もなく、勝手にプロダクト作って仕事受注して来て、挙句、利益率も低い下請作業の提携まで結んでしまうような人なので。片手間の事業などどうでもいいのに貴女のせいでめちゃくちゃです。橋谷の才能はそんなところにはないというのに」
「……才能?」
はっきりと長いまつ毛を持ち上げて優希が雪那を蔑んだ目で見つめていた。
「全く知らないんですね。橋谷玲司といえば今や名の通ったサイバーセキュリティプログラムのプロですよ。個人名での受注は引も取らない。ユースアラウンドはどうしょうもない橋谷の趣味だけで作ったものです。本体はユースプロテクト。全て橋谷の才能を存分に発揮してもらうために、橋谷の信者で作った会社です」
「しんじゃ?」
「大学時代に研究室でクラッシュトラップのデモ環境プログラムをそれはそれは見事な美しさで作って……一躍時の人だったのに、面倒になったのか、目立つとろくなことがないって言ってしょうもない会社なんかに就職して。本当歯痒かった」
聞き慣れない単語に唖然とする雪那に、舌打ちでもしそうな勢いで優希が語ってくる。
大学の同級生で同じゼミにいたこと。
天才とはこう言うことをいうのだと悟った衝撃のこと。
自分の才を見限って玲司に尽くすことを天啓と思ったこと。
玲司がたくさん特許を持っていて海外の企業からもひっきりなしに誘われていること。
雪那が知らない彼の姿に唖然とすると共に、心酔といった優希の口調は優越感に満ちたもので、気が引けてしまう。
「彼の時間は、あまねくその才能を発揮するために使ってもらうべきだと思うんです。けれど、何も理解しない異物がいるんです」
だがその言い方を受け入れなければならない理由もまたないだろう。ムッとして睨み返した。
「いくらなんでも、ほぼ初対面で失礼でないですか?」
「あら、橋谷から一方的に聞かされ続けたので初対面な気がしなくて申し訳ありません」
一体何を言ったのかと雪那は玲司を心の中で詰った。どう考えても彼女は玲司を好きだ。玲司はそんなにも愚鈍ではないと思うのに。
「橋谷は、他人に一つも興味ないので、私の感情などわかっていて、いくらでも使い捨てますよ。便利だ、とね。神みたいに無慈悲でしょう?」
テーブルの上で拳を握り込んだ雪那の考えを見透かしたように優希が言う。美しいその顔はやはり恍惚としていた。気味が悪い。
「やる気なく普通の会社員をしていた彼を独立に焚きつける動機になっていただいたことは本当に感謝しています。得てして天才というのは一つのことにのめり込みすぎるものですから、暴走もやむを得ません。周りからはただの石ころに過ぎなくても無邪気な子供は気に入ったものを手放したりしませんから、飽きるまでは取り上げたりしませんよ」
バグの次は石ころ。流石に付き合う理由はないだろうと雪那はカバンを持ち直した。
「これ以上は時間の無駄のようですから失礼します」
「貴女は橋谷のために何ができる人間なんですか?」
けれど、一転して怒りがこもった声を向けられ、再び彼女に視線を向ける。
「……どういう意味ですか?」
「私なら、日常生活に無頓着な橋谷のサポートが完全にできます。ずっとそうして来ましたから。見返りなんて求めません。仕事も、起業した時からずっと隣にいて見てきました。橋谷の苦労だって知ってます。でも貴女は何もしないし知ろうとしない。与えられてるものを受け取ってるだけ。橋谷が貴女に尽くしている時間で、貴女は橋谷以上に何かを生み出せる人間なんですか?」
「……それは」
痛いところを突かれた気がした。
雪那は何者でもない。魔法みたいにプログラムを作れる玲司のように、これだけはという優れたところがない。仕事だった代わりはいる。雪那という人間が必要とされているわけでもない。
今、グラグラと揺れている足元に思い切りハンマーで叩き込まれた気がした。
「そもそも、橋谷がいなければ売り上げだってそんなに出せる人間でもないくせに。全部お膳立てされてるだけの凡人は、謙虚に天才に尽くすべきですよ。それができないなら彼に近づかないで」
「え?」
お膳立て、とはどういうことか。
優希が鼻で笑う。
「何も知ろうともしないなら、素直に橋谷のそばで囲われていればいいのに。無駄なプライドで彼の意識を逸らせないでr
不愉快そのもの、といった表情で彼女が伝票を掴んだ。
「お時間を取らせました。橋谷は貴女がそばにいないとやる気が出ないらしいので。転職の件、ぜひ前向きに考えてください。当面は貴女にも悪い条件じゃないと思います。なんなら家にいるだけでいいと思います」
かつん、と優希のパンプスが軽やかな音を立てて雪那の座るソファを通り過ぎる際、彼女ははっきりとした憎しみを込めて睨みつけていた。
「なんであんたなんかが選ばれるの?」
そのきつい表情に硬直したが、美しいと思った。彼女はきっと揺るぎない自信を持っているんだと思って。
そのまま、まるでモデルのような後ろ姿を見送って、雪那は背中をぐったりとソファに預けた。
情報過多すぎて訳がわからない。
けれど一番心に突き刺さったのは、玲司の時間を奪う分で何ができるの?という言葉だった。
まさか三十を過ぎてから、自分が一体なんの価値があるのかなんて、そんな悩むだなんて、思ってもみず、しばらく雪那はその場から動けなかった。