終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】

14. 福の神の崩壊

 とりあえず玲司と話さなければという使命感で雪那はどうにか家に帰ってきた。
 家に、とは玲司の家だ。もうほぼここに住んでいるもの同然だった。

「遅かったね。どうしたの?」

 だが、扉を開けた瞬間に、玲司が玄関に立っていたのに驚いた。

「……ぇ、もしかしてここで待ってたの?ずっと?」

 仕事もせずに玄関で?と雪那は驚く。今日は忙しすぎるから補充と朝に散々雪那に甘えて来ていたのに。
 ふと、玲司の時間を奪うなという優希の言葉が蘇り、胸に強く刺さった。

「……ずっとじゃないよ。そろそろかなあって」

 けれど玲司は珍しくバツの悪そうな顔をした。

「勘?よくわかったね」
「誰かと会ってたの?仕事じゃないよね?」

 さらに被せるように尋ねる声にいつもの柔らかさがなくて、雪那は強く違和感を覚えた。行動を報告させられる嫌な記憶が脳裏をよぎる。

「どうしたの?怖い顔をして」
「怖い?ごめん、納期前で気が立ってて……いつも遅くなるなら連絡をくれるのに慣れてたから」

 しかしすぐにしょんぼりと肩を落とす玲司はいつもの彼だ。雪那はホッと息を吐いて、靴を脱ぎつつ、彼の頭を撫でて謝った。
 
「ごめんね、急に呼び出されて」
「誰に?」
「芦本さん。こないだここにいた人」
「は?なんで?何の話したの?」

 急に低い声になった玲司から表情が抜ける。驚いて少し後ずさろうとしたが、肩を抱かれてそれも難しい。

「ねえ、アイツに何言われたの?近づくなって釘を刺したのに。教えて?」
「た、大したことじゃ……」
「わざわざ世間話するわけないよね?何?」

 強く迫る玲司が知らない人に見えてゾクっとする。

「れ、玲司くん……急にどうしたの?」
「優希が忠告を無視してこういう行動に出かねないとは思ってたけど、まさか本当にやるとは。最悪パターンだ。どうせ俺のためになにができるのか、とか、なんてくだらないことを雪那さんに言ったんでしょう?」

 そのものズバリの指摘に雪那が震えると、玲司が剣呑さを隠しもせず「ふざけてるな」と呟いて、クシャと髪を掻き上げた。部屋の照明が逆光になった彼の表情は、ひどく冷徹なものに思えた。

 唖然とする雪那に、玲司が突然ハッとしたように、いつものちょっと困ったような表情に戻った。

「ごめんなさい。優希がくだらないこと言って……アイツ、俺のためとか俺の役に立ちたいとか言って、時々勝手なことをするんだ。でも、本当、気にしないで」

 取り繕うように言うけれど、雪那の心臓の音は嫌な音を激しい立てたままだ。同時に、またひどくもやっともした。
 
 名前を呼ぶ関係?彼女の言動を易々予想できるの?そんな相手を平然とそばに置いてきたの?どう考えても好意からの行動を淡々と受け入れていたの?

「彼女、大学のゼミの同級生とか信者って聞いたけど、どういう関係?」
「聞いたの……?えっと、ファン?シンパ?俺のことをやたら神格化してる一派の一人、かな?俺のために何でもしたがるっていうか……暴走しない限りはいると便利な存在、だったっていうか」

 玲司の説明はますます雪那の理解を超えている。

「あの人……玲司くんこと、好きだよね?男性として……わかってるよね?」
「え?うん、知ってる。でもちゃんと断ってるよ。それでもいいからどうしてもっていうから勝手に好きにさせてるだけ。誓って関係したことない。あとが大変そうな相手とは深入りしないよ」
「……私は、あとが大変そうじゃないってこと?」

 ものすごく苦いコーヒーを誤って口に入れて咄嗟に吐き出した時のようだった。反射的に心の澱が吹き出した。
 吐き出したシミはどす黒い色で胸の中を一気に染めていく。
 玲司の顔が驚いたものになっていた。

「どうしたの?雪那さんは、俺にとってそんなどうでもいい人間と違うよ?」
「どうでも、いい?」
「うん。あ、雪那さんが嫉妬してくれるのはすごく嬉しい。でも、嫉妬するまでもない。俺、雪那さんしか興味がないから」

 興味がない。雪那の何とも言えない衝撃を、不思議そうに玲司が首を傾げている。とても残酷に。

「雪那さんだけは、……なんだろう。俺の世界を動かす人かな。キラキラしてる。俺は雪那さんが笑ってくれるのが一番嬉しい。むくれてるのも可愛いし泣いてるのも可愛いし。でもその全部は俺に向けたものであって欲しいかな。優希に対して嫉妬なんてしなくたっていいんだよ。だって雪那さん以外はその辺の石と同じだから比べる意味がわからないし」

 ——石ころ。

 それは言い過ぎ、と嗜めるのがいつもの雪那だっただろうか。けれも今は胸の裏側をざらりと撫でられ不愉快だ。
 優希のあの鋭い視線を思い出す。
 一歩違えば、雪那はあちら側に落ちるのかもしれない。玲司がキラキラしていると信じているただの石を磨く興味を失った、その瞬間に。
 あまりの落差に、怖い、と思った。
 
「なんで……私なんか?」
「なんか、じゃないよ」
「だって、芦本さんの方が、綺麗だし、美人で……」
「そんなことないよ。雪那さんの方が綺麗。アイツ腹黒いし」
「……玲司くんのことよくわかってると思うわ。美味しいご飯も作れるし仕事もずっとサポートしてきたって。見返りなくできるって」
「はあ、思い上がってるな。妄想も大概にしろって言ってるのに」

 苛立つというよりは無に近い表情で玲司が呟く。どこまでも怜悧な表情は、無慈悲な神という優希の言葉を思い出した。
 妄想、という言葉は、今の雪那こそがいる場所ではないか。

「もう、そう……って?」
「そうでしょ?身勝手なことして、俺の役に立つって悦に入ってるだけだよ。優希は雪那さんとまるで違うのに、同じ土俵に立てると思うなんて傲慢だ」
「……さっきは便利って言ったよ」
「煩わせない限り、だよ。家の鍵も返させたから許したけど、もう会社も辞めさせるよ」
「なんでそんな極端なことを言うの?」
「だって俺は雪那さんしか大事じゃないから。その雪那さんを蔑ろにする駒はいらない」

 雪那の知っている玲司は駒なんて言葉は使わないと思っていた。雪那の知っている彼は、優しくて可愛くて頼り甲斐があって……、果たして、雪那は彼をどれほど知っているのだろうか。

「……なんでそんなに私に?何があるの?」
「好きだからって言ったよ?どこが好きかもずっと口にして説明してきたと思うけど」

 確かに玲司はずっと雪那に可愛いと好きを具体的に口にしてくれている。くすぐったい褒め言葉。
 でも結局、雪那はそれを自分で価値があると思えない。
 そしてこの妙な熱に浮かされたような玲司においても、ずっとは続くものじゃないと思う。当たり前だが、時間を掛ければ、気持ちも状況も変化する。それでも雪那は玲司を信じたいと思った。
 でも、玲司のここまでの興味のない相手への冷淡さを知ると、足元が揺らいだ気がする。
 いま、深入りをすることが、怖くなる。
 まだ依存までしていない。それなら、まだ引き返せるような、このやたら気持ちの悪い胸の内からすればもう手遅れのような、ぐしゃぐしゃの感情が襲ってきた。
 
 その表情を見た玲司がゆっくりと首を傾げた。
 
「俺のこと、信じられない?」

 咄嗟に答えられず、視線を逸らした雪那の肩に玲司が手を置いた。

「ねえ、他に何言われた?ちゃんと、教えて?全部」

 単調な声に、追いかけてきた凄みのある顔に、ぞ……っと全身が総毛立つ。

「べ、別に……たいしたことは……」
「そんなわけないよね?雪那さん怯えてる。ようやく、ようやく手に入れたのに。それを台無しにした。邪魔するなんて許さない。ね?安心して教えて。俺の大事な人を、俺以外が傷つけるなんて、何も俺のためじゃないよ。身勝手な人間を排除するだけ」

 また視線を逃がそうとしたら、顎を取られて覗き込まれた。
 垂れ目の瞳が真っ直ぐに捕まえてくる。猛禽類のようだ。ゾクゾクと背筋を冷たいものが這う。

「排除、なんて……そしたら、何も言えない……」
「雪那さん優しすぎ。アイツに気を遣うことなんてしなくていい。むしろ雪那さんに庇われたってだけで腹が立つのに。だいたい、勝手にあの喫茶店に連れ出すだなんてふざけてる。あそこは俺の"聖地"なのに」

 ばくん、とそのまま心臓が飛び出しそうに大きな音が体内から聞こえてきた。

「……なんで、どこにいたかを知ってるの?」
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