終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】

16. 私の道

 その日から、彼とは一切連絡が絶えた。
 毎日、ごめんなさいと来ていたチャットの音がなくなるのが寂しいと思う時点で、雪那は、自分が馬鹿なことをしていると何度も思った。
 それでも、雪那は早急に決めなければならないから。自分の道を。

**
 
「商品企画……ですか?」
「ああ、希望していただろう。ただな、町おこし的なものなんだ。任期は三年。現地で役場に入ってもらってその中でIoTでできることを聞き取りからってプロジェクトだ。成功すれば注目度は高いだろうが、何せどっぷり田舎に入ってもらうことになる。やりたいか?その、お前、恋人がいるんだろう、結婚とか……あ、セクハラじゃないぞ。ライフプラン的なものを聞けと上からだな」
「三年……」

 課長からの呼び出しは、異動の打診だった。ここから飛行機でしかいけない町への転勤付きの。今冬、三十二になる年。そこから三年。結婚、妊娠でリタイアなんて先方への失礼はできないだろう。先に聞くのもよく分かる。

「……考えさせてもらっていいですか?」
「そうだな、まだうちとしても具体化してないんだ。一ヶ月くらいで返事をくれるか」
「わかりました」
 
 やりたいと言えばやりたい。クライアントの中に入って商品設計すること、憧れていた仕事だ。けれど、それは、本当に全てを捧げていいものだろうか。海のものとも山のものともつかない。三十代の前半。本気で結婚、出産したいなら仕事に捧げていいのか悩む時期。本当はもっと早く悩めと家族にせっつかれていたけれど。
 周りはどんどんライフイベントを進んでいく。仕事のやりがいは玲司のせいで脆いものだと知ってしまった。これでいいのか、わからない。

 会議室を出て、席に戻ると瀬南が部長に向かって深々と頭を下げていた。

 「ほんっとうに申し訳ありませんでした!!」
「申し訳ないで済む問題じゃないだろう!何をやってたんだ!」

 雪那が目を丸くして、アシスタントの一人に尋ねたところ、S社の見積もりについて齟齬があり、クレームに発展したらしい。何度も資料と口頭説明が違うと言われ、最後の最後に直した見積もりも間違え、別に請求させて欲しいと謝ったところ信用がならないと解除を申し出られているらしい。だから資料は使い回すなとあれほど言ったし、丁寧に説明すべき相手だと伝えたのに。
 そればかりか、あちらの社長が、伯父が経営する会社にぽろりと話したらしいと聞いて血の気が引いた。
 ボンボン社長の伯父が経営しているのは、基幹システムを入れている大口顧客だ。ただ四年前の導入時に大規模な品質不具合を起こして激怒され、当社社長まで出て頭を下げた案件。担当営業だった雪那もシステム部に張り付いて復旧を応援して、土下座も覚悟した。以降、センシティブな相手だった。

「知らなくて……まさか、あそこの若社長が、東技研総合の甥っ子で、専務がその奥様の父親だなんて。だって桐谷さんこんなこと一言も教えてくれなかったし」
「資本関係見れば一発で分かることだからいちいち伝えなかっただけよ!そんなものも確認してないの?!だから売上規模で見るなって言ったじゃない。そんなことより、先方へはもう謝罪に行ったの?!」

 雪那はその場に飛び込んでいった。
 
「か、顔も見たくないと……」
「それでも頭下げなくてどうするのよ!」
「……でもあっちがクレーマー気質で、ちゃんと何度も説明はしっかり……」
「言い訳しないでよ!営業が、会社の顔なのよ!お客様を責めてどうするの!だいたい見積もりも間違えたんでしょ!?自分に責任がないって言いたいの?!」
「ま、間違えたのはアシスタントで」
「担当が最終チェックするのが当たり前でしょうっ!何やってるの!!」

 頭が痛くなってきた。雪那は部長に深々と頭を下げる。

「申し訳ありません。フォローが足りませんでした」
「……いや。まあ、瀬南が桐谷をあそこまで否定して拒絶していたんだから仕方ない。ラインを外す判断をしたのは私だ」

 ギクっと瀬南が横で震えたのが雰囲気でわかった。フロア中の注目を浴びたのだ。今度は別の意味でざわついている。

「悪いが、桐谷。まずは先方にアポを取ってくれ」
「はい、すぐに」

クレームは慣れがモノを言う世界だ。再見積もりに菓子折り、社内報告の調整。次々のタスクを頭の中で組み立てあちこち指示する。

「瀬南さん、ぼさっとしないでさっさと経緯説明資料とプランB提案を作ってください。簡単な一枚でいいから、失注時の損失と、各種提案の費用比較表も」
「え。あ、俺が……?」
「担当が逃げてどうするのよ!大口たたいて調子がいいこと言うなら尻拭いもやりなさい!それともアポ取りやるの!?」
「は、はい!」

 ギロッと睨みつけると、体の大きい瀬南がネズミのように縮こまって自分のパソコンに向かった。パワハラだっただろうか。まあもういい。久々にアドレナリンが出た。
 こわー、というコソコソ声が聞こえてくる。
 でも、これは誰かがやらなきゃいけないのだ。
 電話用遮音ブースに向かおうとしたところで、まひろが自分のパーテションの隅でガタガタ震えていたのが見えた。
 ミスしたのは彼女か。雪那の担当だった頃にはミスを何度も指摘していた。ろくなチェックもなしに出したらそうなるに決まっている。

「まひるさん、今は振り返らなくていいから。瀬南さんに再度見積もり出して。ちゃんと、三回確認してから」
「ひっ、は、はい……」

 小手先で仕事するからこうなるのだ。
 楽することは落とし穴。汗かいてこそ。
 それが今の時代には遅れているのかもしれないけれど、雪那は先人たちのその言葉を噛み締めていた。


 それから二日が怒涛のように過ぎて、S社案件は保留。ほぼ受注が決まっていたはずの東技研総合の別案件すら指名撤回、コンペ移行の憂き目にあった。
 二年前まで担当で、四年前のクレーム対応をしていたときに寛恕を引き出した雪那がまだマシだろうと今は課が違うはずなのに、東技研総合のコンペ担当にされた。相手はうちに不信感しかなく、乗り換えの容易な小粒のシステムなど正直負け戦だ。でも誰か責任は取らないといけない。本社から転勤予定があり、最悪退職も視野に入れていた雪那は頼まれて引き受けた。いくらあんな口論があったとはいえ、指導を途中で放棄した責任を感じてもいた。

 忙しいのに紛れて優希からのメールは無視していたが、溜まっていくメール件数の数字にこの人も粘着質だなと辟易する。
 しかしふと思った。

 ——いっそ、賭けてしまおうか。

 所詮お膳立てされなければさほどでもない営業と馬鹿にされるなら。
 仕事なのか親に言われなくても気になる女の幸せなのか、自分の人生で何が後悔しないか、自分で決断できないなら。
 玲司をすっぱり切れなくて、一緒にいると楽しいけどとか、守ってくれて感謝してるとか、まだその後の人生かけられるほど信用できないとか、でも三年待ては言えないとか、でも一人ぼっちは怖い、とか、本当にずっとモヤモヤし続けるくらいなら。
 全力で足掻いてみた結果で、決めたっていいじゃないか。
 自分が積み上げてきたものそのものに価値があるのか。
 好きとか仕事とかストーカーとか天才とか凡才とか信者とか嫉妬とか得とか損とか実家とか世間体とか生き方とか。
 時間は有限で、大人はややこしい。雁字搦めだ。
 でもこれは、大人の恋だから。大人になってからの恋だから。それを取るか取らないか。信じるか信じないか。失敗するか成功するか。
 考えたってもうわからない。パンクしそうだ。

「大人になってからの熱病の方が厄介ってその通りだわ」

 だったら、一度くらい、馬鹿になってもいいんじゃないか。乗るかそるかも、全部運任せ。
 一度そう決めたら、なんだかスッキリした気がした。
 
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