終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】
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「ん……っ、ふ……ぁ、ん」

 何度となく角度を変えて重なる唇に、顔周りを撫でる節の立った細くて長い綺麗な指に、雪那はずっと翻弄されていた。
 性能劣化してとろりと溶けた思考では、舌先が口内を掻き回す感触に意識が持っていかれてしまって、なぜこうなっているのかまで辿り着けない。
 世界をぐるぐると回すような激しい酔いはおさまったものの、未だに熾火のように体の奥をアルコールによる酩酊が支配していた。
 本能に忠実に、気持ちいいものは気持ちいいと肉体が飛びついてしまう。元後輩と何故という気持ちと、フリーだからいいんだろうかという気持ちが心の天秤を激しく左右に揺らしている。
 痺れて境界がわからないほど重なり合っていた唇がふいに離れて、ぷはっと息が切れた。

「嫌じゃないです?」

 雪那はその問いかけにどう答えたらいいのか咄嗟に分からなかった。全身が痺れて動かない。
 玲司が耳をくすぐるように手入れされた綺麗な四角の爪先で撫でる。「ん……」と喉から勝手に甘えたような声が漏れた。

「可愛い……」

 聞き慣れない評価に思考が止まる。真っ直ぐに降りる前髪を持ち上げられ、額にちゅ、と柔らかい感触が降ってきた。
 
「でも酷い人だ。期待をさせておいて、次の瞬間にはあっさりフるんだから」
「……フる?!いつ?!」
 
 いくら検索機能が衰えてしまっているとはいえ、記憶メモリのどこにもそんな記録はない。
 けれど、彼は肩をすくめて雪那のブラウスに手をかけ始めた。
 
「ちょっと……っ?」
「まだ結婚する気がない彼がいる、なんて見事な玉砕でしょう」
「え?」
「大学の同級生で?サークルの同期飲みで運命的に再会して?仕事にも理解があって?一緒にいると気が緩む空気みたいな人?そんな話を聞いて告白なんてできると思います?」

 あの朝日の中、どんな人と付き合っているのかと聞かれ、後輩にセクハラもどきをしてしまいドキドキした気まずさから、玲司を安心させようと大和をやたら良い人のように褒めた気がする。

「あれは、だって……」
「俺、傷つきました」

 玲司の手がするすると体の線をなぞっていく。待って、と言えば止まってはくれるものの、のしかかる重みも圧も決して軽くならない。

「俺なんてただの後輩で眼中にないんだって。はっきりと突きつけられたから……だから後輩をやめて、あなたを奪ってやるって決めたんです」
「そんな……優秀賞取ったのに辞めた理由がそんなのなの?」
「あなたにお膳立てされた賞なんて、意味がない」

 結局、玲司との個人的な打ち上げは成立しなかった。導入プロジェクトが終わったあと、急に忙しいからと避けられ始めたし、それを気にしている暇もなく雪那も転勤辞令が出て忙しくなったから。
 ただ、玲司が考えてくれた新機能は素晴らしいものだと思ったから彼の名で企画賞に応募したのだ。もちろん、参加について玲司の許可は取っていた。もったいないから、と。

「俺は雪那さんの糧になるつもりが、俺の名前が前面に出てて……あんな気遣われ方をしてもう情けなくて」
「ごめんなさい……そんなつもりじゃなくて橋谷くんが作り上げたものだったから」
「アイデアは雪那さんだ。俺はただ雪那さんが作りたいものを作っただけ」
「作れるのがすごいのよ?私は埋もれさせるのが惜しいと思って、優秀な才能は伸ばさなきゃって」
「……そうやって、先輩ぶられるのが一番傷つきました」

 傷ついたと主張する玲司に、冷静さを取り戻した頭がヒヤリとした。首をすくめてごめんなさい、と繰り返す。
 唐突に玲司が微笑んだ。
 
「良いんですよ。おかげでいい子でいるだけで駄目なんだとよくよく気づきましたから」

 その顔にはもう目まで覆い隠す前髪はない。あの朝日の中で可愛いと思った面影すらなく、自信に溢れた知らない男の顔だった。
 整った、綺麗な、なのに獰猛な。
 ドクドクと心臓がうるさくて、目が離せない強烈な引力を持った男。

「本当は雪那さんに()()()男から俺の方がいいってわかってもらってばっさり乗り替えて欲しかったんですけど……雪那さん自分で片をつけてしまうですもん。……そんなにベロベロに酔い潰れるほど好きだった?ねえ、あんな奴そこまで傷つけられたって言うんです?」

 だが少し、様相がおかしい。茶色がかった瞳は笑みの形は作っているのだが、可笑しいという感情がまるで伝わってこない。彩光を落としていないのに、瞳は暗く、光を弾いていないようにさえ見えた。

「あ、の……」
「ねえ、俺に自信を持たせてくださいよ?あんなクズに負けてただなんて、ショックで」

 元彼のクズっぷりを何故知っているのだろう。もしかしてバーでの愚痴を聞いていたのか。そんな大声だったのか。
 今更ながらに雪那は恥ずかしくなる。しばらくはあのお店に顔を出せない、なんて思う。
 
「ねえ、雪那さん。俺の方がいい男でしょう?俺を見て?あなたにお膳立てされる必要もない、あなたを負かせられるくらいの、いい男に育ったでしょう?」
「……ッ」

 プライドがじくじくと疼く。この男の作った会社に負けた。何度も商談を潰された。
 手助けしようなんて思い上がっていた存在に。
 玲司もこんなふうに悔しかったのかもと思う。上っ面だけの先輩に恩着せがましくされて。
 
 唐突に、やるせなさが胸を抉った。
 
 悔しさをバネにそれなりに安定した企業の高収入を投げ出して、会社を作るなんて新しい道を切り拓いた玲司はすごいと思う。
 一方、かつて先輩に余分なことはいいから言われたことだけやれと何度も叱られていた雪那は、主任になって部下を持って丸まった。守りに入った。会社の利益を一番に、効率的に、自分が一人で抱え込んで。はい、と受け入れるしかできない人間になった。
 不意にあのがむしゃらな日々が懐かしくなる。残業申請もなく一緒に試行錯誤して作り上げたあとの、夜明けのコーヒーの清々しい匂いがはっきりと蘇る。
 コストに見合わないだろうと怒られて腹の底を焼いた若い頃の悔しさを諦めた自分とその悔しさを超えた目の前の玲司。

「…………いい、よ」

 気がつけば、聞きたいことも忘れて、ぽつりと言葉が溢れていた。するりと目の前の変わってしまった後輩の首に手を回し、薄い唇に自ら口付ける。
 玲司の目が見開かれたのがわかった。

「立派に育ったはしやくんに、完敗だもの。好きにして、いいよ」

 やけっぱちな気分だったのは事実だ。
 体はベロベロでまだ上手く動かなくて逃げられない。
 そして、彼氏にもういらないと言われた女の価値を、目の前の自分より優秀だと誇示する男が感じてくれるならありがたいことでしかないんだろう、と。

「…………なんか、違うのはわかってますけど。でも、据え膳食べないほど、俺、立派な人間ではないので、こんな美味しいチャンス逃さないですよ。いいんですか?」

 ここで最終確認とは。真面目で慎重派なところは変わってないようだ。何も言わなくても、何回も最終チェックをしていた猫背な彼と重なる。
 懐かしさと気恥ずかしさにクスクスと笑ってしまった。
 
「ふふ、あとで酔いにつけ込んで、なんて、訴えたりしないわよ。記憶は飛ばさない方なの」
「じゃあ、この先もしっかり記憶に残るようにしますね」

 やはりじっと見てしまう玲司の黒子が近づいてきて、唇がしっとりと唇を覆った。
 
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