終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】

3. 後悔先に立たず

 飲んでも飲まれるな。顧客の言質は記憶を飛ばすな。
 営業にとって大事なことだ。
 だが、今回ばかりは記憶が飛んでくれて構わない、と雪那は頭を抱えていた。

 (あぁ………恥ずかしすぎる……)

 本当に雪那らしくなかった。
 こっぴどくフられてヤケ酒。まだいい。
 駅で大失態。まあもう仕方ない。
 しかし、なぜ、何故、あの時「いいよ」などと言ったのだろう。温度があるようなないような、ただじっとりとした玲司の瞳と「悔しかった」という言葉と自分の悔しさに流された。

 そうして残ったのは、やたらと丁寧で甘ったるい記憶。一つ一つ、「ねえいいです?」と尋ねられて最後の方は必死に媚びて早くと懇願した。
 正直あんなに気持ち良かったことなんてない。
 全部が全部、雪那優先で。ぐずぐずにされて。歯が浮くような褒め言葉をたくさんもらって。
 ぼろぼろになった自分の価値を取り戻させてもらった。ぼろぼろにした張本人のくせに。
「雪那さんの牙城を崩すの本当に本当に大変だったんだよ?」とか「あんなテンプレしかない製品と社名だけで販路維持どころか新規顧客開拓してるなんて本当営業力だよね」とか。
 口先だけとわかっていても、山ほど降ってくる仕事に、金と数字しか見てない女だなんて仕事でもプライベートでも罵られて、知らず疲弊していた心が癒やされた。
 他人に認められないと自認ができない弱さは恥ずかしい。でも弱かったのは事実だ。完璧に負けた相手だからこそ、弱さを見せてもいいと思った。とんだ意地っ張りだと自分でも思う。

(でもあの口のうまさはないわ……)

 流石、システム屋だけでなく、独立して営業まで自らこなすようになっただけのことはある。

ーー雪那さん、すっごく綺麗。ずっと好きだった。ずっと俺のものにしたかったんだよ?

 三年前のあの日、前髪を上げたらモテそうと思った以上に、自信を身につけたイケメンに成長していた男に褒められる快感は何にも代え難かった。
 魔法のように愛用のゴツそうなキーボードを打ち込んでプログラムを動かす綺麗な指先が自分の体をなぞったことを思い出して、また真っ赤になってしまう。

 (まあでももう会うこともないし……。コンペでもない限りは……まあ会ったからってどうということもないし。バラさないわよね、競合相手だもんね?!)

 案外丈夫な雪那は明け方に唐突にパチリと目を覚まし、隣でスヤスヤ眠っている玲司を見て頭を抱えた。資金力が違うとはいえ、立派なライバル社のCEOと一晩を過ごした。下手に見られたら情報漏洩と疑われかねない。
 ユースアラウンド社は部署では、目の敵にされている。
 雪那が失注はわざとで、ライバルに塩を送ったのでは、なんて絶対に言われたくない。

 ガンガンと痛む頭と気だるい体を抱え、一万円札を置いて一人でホテルを出た。
 昨日とんでもなく悪い気分で降りた駅の反対ホームで、始発が来るまで、明るくなっていく冬空を眺めていた。キンと冷える空気よりも腰が辛いと思いながら赤くなったり青くなったりしていた。

 雪那は決して軽い女ではない。合理的に損得を考えて行動する可愛げのないタイプで、ワンナイトだなんて初めてだった。ゆきずりの相手ではないが、あんなに印象が変わっている元後輩……それもどう見ても女に不自由してないだろう元後輩など、ゆきずりと同じようなものだ。
 県境を越える温かな電車の中で、顔を両手の中に何度も突っ込んだ。
 一言も言葉を交わさず置いてきたのは失礼だっただろうか。気配りの営業の顔が少し出てくる。けれど、どう考えても高そうなスーツに時計にイケメン。本気な訳がない。一方でそんな女遊びするタイプではない印象でもあった。それなら、なんで、と思う気持ちはある。あるが、雪那は深く考えるのをやめた。
 なんとなく期待してしまいそうな、自惚れてしまいそうならそんな気がしたからだ。
 でも、浮かれては足を救われる。これ以上の男女関係のゴタゴタで心を乱されたくはなかった。

 きっと、プライドを刺激された相手をはっきりと打ち負かして祝杯をあげていたところに、雪那がやってきて今度は無視したから腹が立って、たまたま同じ電車で乗り過ごしてしまって同じベッドだからなんとなく……的な。もしくは、この俺をフるなんてもったいなかっただろう的な。フったなんて言いがかりも甚だしいけれど。
 とにかく、三つも下のあの女に絶対不自由してないだろう甘ったるい顔の男が、今の自分に本気で好きなんて言うわけがない。
 そもそも「好き」ならわざわざ嫌がらせのように仕事の邪魔をして、元会社での評価を下げるなんてことをしないだろう。よし、終わり。

 雪那はそう結論づけて、記憶を振り払うよう幾度も頭を振った。

「何かご意見でも?」

 後輩の困惑した声が聞こえてハッとなった。会議室の全員の視線が突き刺さっている。フレックス出社を認めてもらいながら販売会議に全く身が入っていなかったことに慌てて首を振る。

「では次のS社案件は瀬南メインな。桐谷、引き継ぎ兼ねてしっかり後輩をサポートしてやれよ」
「承知しました。よろしくお願いします」

 先ほど声をあげた後輩、瀬南(せなみ)幸介(こうすけ)にペコリと頭を下げる。向こうもペコリと首だけの会釈をしてきた。そのまま解散になると、アシスタントの林まひるが大きな胸を揺らして寄ってくる。

「雪那さぁん!ぼーっとしてるなんて珍しいですね!お疲れですか?」
「……えっと、ちょっと飲みすぎて……二日酔いなの」
「えー、珍しいぃ!雪那さんってどれだけ飲んでも酔い潰れないのに!」
「はは……」
 
 鼻にかかった甘えた声音と緩やかに肩のあたりでカーブする巻き髪、なによりその胸は、昨晩、雪那を惨めな女に叩き落としたあの裸の女性を思い出す。けれどもう、胸の痛みどころかモヤつきすらない。
 32歳の誕生日を前に彼氏に浮気されて捨てられた、一般的に惨めな状況は何一つ変わっていないのに。
 でも、本当にちっとも大切にされてもいなかったんだなと、元彼よりずっと素敵な相手に教えられたから、あんなものにしがみつかなくてもよかったんだと本当に強がりでなく思っている。
 まだ腰に違和感があったので、いつもと違うローヒールと緩めのワイドパンツで足音も控えめに歩くたびに、先ほど「終わり」とした記憶に引きずられそうになるのを叱咤した。
 
「さすがに雪那さんもここまでの連続失注はショックでしたか?課長も頭を抱えてましたよ〜!本当ユースアラウンド社憎し!」

 社名にギクリとする。
 やはり絶対に昨夜のことはバレてはいけない。
 
「何度も見積もりをやり直してくれたのに、ごめんね」
「いえいえ。そんなことを気にしないでください!それより、次はあの瀬南さんとチームだなんて嬉しい!私も頑張ってサポートしますぅ!なんなら景気付けに三人で飲みに行きましょうよ」

 若い彼女の現金な言い分に、雪那は苦笑した。
 噂話好きが集まるトイレの鏡の前で「落ち目のエースの専属なんて最悪。道連れはごめんなんだけど」などと口紅を直しながら吐き捨てていた、うかつなアシスタント。雪那だって女性トイレくらい利用するのに。
 それまでこの子をいつも差し入れをくれて慕ってくる可愛い後輩と思っていた自分が恥ずかしい。いや、雪那が確固たるエースである限りはアシスタントの彼女は鼻が高かったのかもしれない。そう思いたい。
 ただ、信用はできない。二日酔いの話だって、新規のメイン担当を外された話だって同期に面白おかしく言いながら、表ではこうやって媚びてくるのだろう。
 どうやらまひるが気になっているらしい瀬南は、入社四年目で、背も高く、肩幅もあるスポーツマンな爽やかな青年だ。ちょっとウッカリやなところか玉にきずであるが、人懐っこい笑顔で上手く相手の心を掴む人気者。ただ、もう少し勢いでなく丁寧にと口酸っぱい雪那には苦手意識があるようだった。
 それでも雪那のチームに入れば他の女性社員たちを抜きん出て当然親しくなれるだろう。
 
「瀬南くんは私のことを怖がってるみたいだから、仲良くなってから自分で誘ってみたら?」
「ええ〜雪那さんが誘ったら瀬南さんも断らないじゃないですか〜」

 語尾の伸びた声があまりに自分の欲望に忠実で笑いそうになってしまう。このガッツと厚顔無恥さが女の子らしい「女の子」を苦手とする理由でもある。
 感情的で合理的でないリスクのある行動を平気で取る。予測がつかないで巻き込まれて、結果思わぬ傷を負う。
 何度同じことを色恋沙汰で経験してきたか。剥き出しの感情なんて職場どころかプライベートだってもう不要に感じる。

「申し訳ないけれど職場の飲み会以外、個人的に職場の異性とは飲まないことにしているの。ランチなら同席で奢るわ」

 明らかにまひるが白けた顔をした。だが雪那が媚びて何になるわけでもない。
 男性と飲みに行くだなんて、二度と職場で下手な噂の元になる行為はごめんだった。

 彼女を置いて大股で歩き去る。見られている背中に力を入れるとわずかばかり腰が鈍く痛むしどこか言いにくい場所の筋肉痛を意識せざるを得ない。それでも頭から一本糸で吊られているかのような姿勢を意識した。

 (そういえば……)

 彼女を廊下に置いて大股で歩き去りながら、ふと、玲司に個人的な打ち上げに誘われたのは()()嫌な記憶のあとだったなと思う。それでもいいよ、と言ってしまったのは、借りとまで感じていたからだったからか、完徹の勢いか。
 あの時は全勢力仕事に傾いて二人きりでいる時間も長くて、男というのを感じてなかったからかもしれない、とも思う。

 その時、ブル、とスーツのポケットの中の業務用携帯が揺れた。
 何気なくその画面を見た雪那のは、その涼やかな瞳をピンとまつ毛が直角に立つくらいに見開いた。

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