喪失騎士エルディーテの冥界追想録 〜 孤独な騎士の過去を辿る、運命を覆す相互救済ロマンス~
ディアンがエルディーテに打ち明けた内容は、とあるご婦人から聞いたという噂だった。

十年ほど前に病気で亡くなった夫人の夫は、自分が死んだら冥界へ行って連れ戻してくれと生前告げていたらしい。

ケルベロスの条件を達成すれば、現世に帰れる。
そうすれば傷も病も消え、無垢な肉体で地上に戻れるのだと。

その夫人は結局、夫が死んだあと冥界に行くことはなかったが、その噂話を寝物語のようにディアンに語り聞かせたという。


「――それは誰かが作ったお伽噺の類では?」

突拍子もない話にエルディーテが問うと、ディアンは神妙な面持ちで首を振る。

「いいや。ここ近年で人伝で急速に広まった話らしい。蘇りのチャンスは病も傷も癒す。最初の一人はこの試練を広めるための証人として幸運にも無条件で地上に返してもらえたという」

「なるほど……生き証人がいると」

「いた、だな……隣国の音楽家だったようだ。実際、死んだはずの人間が蘇っているのを見た人がいるらしい」

「胡散臭いな……まさかディアン、信じるのか?」

「――あぁ、信じる」

荒唐無稽な話に疑義の目を向けて問えば、ディアンは深く頷いた。
そしてエルディーテに問う。

「姉さんは、信じたいと思わないのか?」

その言葉に僅かばかり目を瞠った。
内容の真偽を疑うのでなく、事実と前提にして考えてみようとするディアンにサフィアに対する忠義を試されたような気がしたからだ。

エルディーテは怪訝な顔で「私だってチャンスがあるなら試したいさ」と答えた。

それから確認するようにディアンに問う。

「ちなみにその試練とは?ケルベロスの条件を満たさないと魂は連れて帰れないのだろう。何をするんだ?」

「……分からない。その内容は口にしてはいけないらしい……だから行ってみなければ分からない」

告げられた言葉は重く、静かな溜息が落ちる。

「その噂が本当じゃなかったら?冥界の入口は、確かに存在するが……」

この世は冥界と繋がっている。
それは聖典にも書かれているが、広く知られているのは冥界にゆけば帰ってこれないということ。

生者は絶対に入ってはいけないと、固く禁じられている。
間違って迷い込まないように誰もが幼いころから教えられてきたことだ。


「――それでも、私はサフィアを連れ帰りたい。迷惑をかけるが……後の事は姉さん達に任せたいと思ってる。いいかな?」

ディアンがエルディーテにこの噂を話したのはこのためだったのかと、やっと胸に落ちた。

嫡男である自分が無断で消えたらグラウス家は困惑すると考えたのだろう。
せめて姉だけには事情を話しておきたいというニュアンスが、端々から感じ取れた。

「……たとえ話は好きじゃないが、もし聖典の話も噂も間違っていて、地上に戻れたなら、その時はちゃんと家に戻ってくると約束してくれるか」

エルディーテは問う。
希望に縋りたいと思う。だが噂はあくまで噂だ。
そうなった時に、ディアンが家に戻る気があるのか、それはエルディーテにとって重要なことだった。

しかし返ってきた言葉は期待と裏腹に、エルディーテの心に重くのしかかる。

「いや、……それは出来ない。私にはサフィアが必要なんだ……」

その言葉は固い決意が秘められていた。

エルディーテの想像よりも遥かに凌ぐ愛が垣間見え、このままディアンを行かせれば二度と帰ってこないのだと現実味を持たせる。

困ったことに、それを知って見送れる姉ではない。
エルディーテは了承したふりをした。

「分かった。それほどまでにサフィア様を想っていたんだな……家の事は任せてくれ」
「……いいのか?」

ディアンは双眸を瞬きエルディーテを見た。

「あぁ。公爵家には従兄弟を養子に迎え入れればいい。父にはそう進言するよ。私は婿取りが出来るような柄ではないしな」

肩を竦めて薄い笑みを零すとディアンは表情に陰りがさす。

「……すまない。迷惑かけて……姉さんのことも、家の事も大事だが私は……」

「かまわないよ。私もいつか、ディアンのように敬愛以上の感情を誰かに抱いてみたい」

口端を緩め自虐的に告げればディアンはエルディーテの手を握って「できるよ」と微笑んだ。

「しかし流石に今夜一晩ぐらいは家で過ごせよ、ディアン。私ほど夜目がきかないだろう?」

部屋の隅にまとめられていた荷物を見てエルディーテは言った。
招き入れられた当初は静養でもするつもりなのかと思ったが、旅支度だったと気付き釘をさす。

しかしディアンは首を振る。

「いや、悪いが直ぐにでも発つつもりだ」

「――それはさすがに残される身としては許せないな……もう会えないのなら、一晩ぐらい酒に付き合ってくれ。心の準備も出来ないうちにお前まで失うのはキツい」

エルディーテは縋るようにディアンを見た。
実の姉の最後の願いぐらい叶えてくれと、そう訴えれば優しい弟は折れたように頷いた。

「分かったよ……だが、早朝には出発するから。お手柔らかにね」

きっとそう言ってくれるだろうと考えて出した要求は、予想通り応じられた。
エルディーテは笑った。

「なら倉庫へ行ってくるよ。父様達に見つからないようにしなければな……酔いすぎないように調理場から何か軽食も貰おう」

そうして弟の出立を止めたのだ。

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