未来郵便図書館

最終話 未来へとどく手紙

 夏休み最後の日になりました。
 朝、目が覚めたとき、空はよく晴れていました。カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床に細長い四角を作っています。つむぎはしばらく、その光を見ていました。
 最後の日だ、と思いました。
 でも、終わりの日、という感じはしませんでした。何かがここで終わるのではなくて、何かがここからはじまる、そういう日のような気がしました。
 起き上がって、窓を開けると、風がすっと入ってきました。もう夏の盛りの暑さではなくて、朝の空気に秋のにおいが混じっています。
 台所ではお母さんがごはんを作っていました。
「おはよう、つむぎ」
「おはよう、お母さん」
 昨日の夜に話してから、お母さんとの空気が少し変わった気がします。重くなったわけではなくて、むしろ軽くなった。言えなかったことを言えたから、お互いにそれを持ったまま話せるようになった、そういう感じです。
 朝ごはんを食べながら、お母さんが言いました。
「今日、どうする? 夏休み最後だけど」
「午前中、友だちと会う。午後は、ひとりで行きたいところがあって」
「いいね。夕ごはん、何か好きなもの作ろうか」
「カレー、また食べたい」
「また? 昨日作ったばかりじゃない」
「好きだから」
 お母さんが笑いました。つむぎも、笑いました。
 こういう、何でもない会話が、今日は少し特別に思えます。

 午前中、つむぎとあおいは商店街を歩きました。
 夏休みの最後の日だからか、商店街には家族連れが多く、どこかのんびりとした空気が流れています。
 二人でたい焼きを買いました。最初にいっしょに食べた、あのたい焼き屋さんです。つむぎはカスタード、あおいはあんこ。それはあのときと同じでした。
「もうここに来て一ヶ月以上になるんだね」
あおいが言いました。
「うん。はじめてたい焼き食べたの、夏休みの最初の方だったもんね」
「つむぎちゃん、あのとき、もっとしゃべるの難しそうだった」
「そうだった?」
「うん。なんか、ちょっと聞いたらちょっとだけ答えてくれる感じで。でも、いやそうじゃなかったから、もっと話したいのかな、って思ってた」
 つむぎは、そのころの自分を思い浮かべました。言いたいことがのどにつかえて、でも言えなくて、あおいのテンポについていくのが精一杯だった。
「あのころから、あおいちゃんはそんなこと考えてたんだ」
「考えるよ。あたし、人のこと気になるタイプだから」
「知ってる。おせっかいだけど、それがいいところだと思ってる」
 あおいが少し驚いた顔をして、それからにっと笑いました。
「つむぎちゃん、そういうことさらっと言うようになったよね」
「そう?」
「そうだよ。前はそういうの飲みこんでた感じがした。今は、ちゃんと出てくる」
 つむぎはたい焼きをひとくち食べました。カスタードの甘さが、舌の上に広がります。
「出せるようになってきた、って感じかな」
「それって、どうしてそうなったの?」
 つむぎは少し考えました。
 どうして、と聞かれると、一つの答えではうまく言えません。手紙のおかげ、というのは本当のことですが、それだけではありません。
あおいが話しかけてくれたから。みなとが言葉が少ないなりに、そこにいてくれたから。お母さんに言えたから。風見さんの話を聞いたから。そのひとつひとつが、積み重なっているのだと思います。
「この夏のおかげかな」
「この夏の?」
「この夏に、いろいろあったから。あおいちゃんと会えたことも、含めて」
 あおいが少し目を赤くしました。でも泣きませんでした。
「あたしも、この夏よかった。つむぎちゃんと友だちになれて」
「わたしも」
 二人でしばらく、たい焼きを食べながら歩きました。
 商店街の端まで来たとき、あおいが言いました。
「つむぎちゃん、午後ひとりで行きたいとこがあるって言ってたじゃん。図書館?」
「うん」
「行ってきな。あたしは、みなとと模型見せてもらう約束してるから」
「そっか」
「ユエに、よろしく言っといて」
 つむぎはうなずきました。
「言っておく」
 あおいと別れて、つむぎは坂道の方へ歩きました。

 昼を過ぎたころ、つむぎは路地に入りました。
 白い花は、もう少し少なくなっていました。夏の終わりだからかもしれません。でも、庭はいつものように静かで、看板の字もそのままです。
 未来郵便図書館
 つむぎはドアに手をかけました。
 ぎいっという音とともに開いて、木と紙のにおいが包んできました。
 でも、何かが違いました。
 いつもと同じ本棚、同じテーブル、同じ引き出しの棚。でも、部屋全体の空気が、少し違います。
 光が、やわらかい。
 窓から差し込む外の光ではなくて、棚の方から、引き出しの間から、本棚の隙間から、やわらかな光がにじみ出ています。
 ユエはいつもの場所に立っていました。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
 つむぎは部屋を見まわしました。
「なんか、今日はちがう感じがする」
「そうですね。今夜、役目が終わると思います」
 つむぎは、ユエのその言葉を静かに受け取りました。
 今夜。
「消えるの?」
「消える、というより。届く、という方が近いかもしれません」
 ユエが棚の方を見ました。つむぎもいっしょに見ました。
 引き出しのひとつひとつから、本当にかすかに、光が漏れています。全部の引き出しではないけれど、たくさんの引き出しが、同じようにやわらかく光っています。
「あの中に入っている手紙が」
「はい。この町の、言えなかった言葉たちが、ちゃんと届く準備ができてきています」
「わたしが届けたわけじゃないのに、どうして?」
「つむぎさんが、自分の言葉を届けたからだと思います。一人がちゃんと届けると、その周りにも伝わっていく。ことばはそういうものだと、ぼくは思っています」
 つむぎは引き出しの棚の前に立ちました。
 光はやわらかく、でもあたたかい。怖くはありません。むしろ、手を当てたくなるような光でした。
「あおいちゃんから、よろしくって言っといてって言われました」
「ありがとう、あおいに伝えてください」
「みなとくんも、今日は友だちと模型を見せ合ってます」
「そうですか。みなとは、ことばが届きやすくなりましたね」
「うん。さみしいって、言えてた」
「それは大きなことです」
 つむぎはカウンターのそばの椅子に座りました。ユエはその向かいに来て、テーブルを挟んで立っています。
「ユエ、最後に聞いてもいいですか?」
「はい」
「ユエは、この図書館が終わったら、どこへ行くんですか?」
 ユエは少し考えました。
今まで見た中で、いちばん長い時間、ユエは考えていました。
「わかりません。でも、ここが終わっても、ぼくが見てきたことは、どこかに残ると思っています。つむぎさんたちのことも」
「忘れないってこと?」
「忘れるかどうかとは、少しちがいます。つむぎさんたちが手紙を読んで、言葉を受け取った。それは、ほんとうにあったことです。だから、なくならないと思います」 
つむぎはユエの言葉を、ゆっくり頭に入れました。
 あったことは、なくならない。 
「わかった。わたしも、この夏のことは忘れない」
「覚えていてくれると、うれしいです」
 ユエが「うれしい」という言葉を使ったのを、つむぎははじめて聞いた気がしました。

 しばらく、二人で静かに話しました。
 ユエが図書館に来てから、今までにどんな人が訪れたか。言葉が届いた瞬間はどんな感じがするか。つむぎはこの夏に受け取った手紙のことを、一つひとつ話しました。
 最初の手紙、「ちがう」って言って。
あおいと会ったときの手紙、にげなくていい。
みなとのことを考えながら読んだ手紙、ことばが少ないのはやさしくないからじゃない。
あおいとひなちゃんのことを思った手紙、先に言うのはまけじゃない。
風見さんの話を聞いた日の手紙、しまっておくと、なくなることばもある。
夏祭りの前の手紙、こわい気持ちはいっしょに行く。
未来の自分からの手紙、言えないままだと、きっとあとでかなしくなる。
そして、ユエからの手紙。
「全部、つながってた気がします」
つむぎは言いました。
「そうかもしれません」
「最初から、お母さんに言えるようになるための手紙だったのかな」
「最初からそう決まっていたかどうかはわかりません。でも、つむぎさんが受け取るたびに、少しずつそちらへ向かっていったのは確かだと思います」
「手紙が決めたんじゃなくて、わたしが動いたから、そうなった?」
「そうだと思います。手紙はほんの少しだけ、方向を教えるだけです。進んだのは、いつもつむぎさんでした」
 つむぎは、それを聞いて、胸の中に何かがあたたかく広がりました。
 自分で進んだ。
 そうかもしれない。こわかったけど、逃げなかった。うまく言えなかったけど、にげなかった。それの積み重ねが、今日につながっている。
「ユエ、今までありがとう」
 つむぎはテーブルの前に座ったまま、ユエにそう言いました。
「手紙のことも、話を聞いてくれたことも、ここに来させてくれたことも」
「こちらこそ。来てくれて、ありがとう」
 二人でしばらく黙っていました。
 棚の方から、光がゆっくりと強くなってきていました。引き出しのひとつひとつが、やわらかく輝いています。光は金色ではなくて、白に近い、やさしい色です。
 やがて、引き出しのひとつから、ふわっと光が浮かびました。
 小さな光の粒が、引き出しから出てきて、空気の中をゆっくり漂います。それがまた別の引き出しに触れると、そこからも光が出てきました。ひとつ、またひとつと、光が増えていきます。
 つむぎは立ち上がって、棚の前に行きました。
 光の粒は、蛍のように、でも蛍よりもっとやわらかく、部屋の中を漂っています。壁に触れると、そのまま壁をすり抜けて、外へ出ていくようでした。
「届いてるの?」
「はい。それぞれの場所へ」
 
 つむぎは光を見ていました。
 だれかの言えなかった言葉が、今夜、届く場所へ向かっていく。
 それがどこへ届くのかは、つむぎにはわかりません。でも、ちゃんと届くと、わかりました。ユエがそう言ったから、ではなくて、この光を見ていると、そう思えました。
 光は少しずつ増えて、部屋全体がやわらかく明るくなりました。
 窓から外を見ると、光の粒が外の空気の中へ出ていくのが見えました。夕暮れの空に、白い光が少しずつ混じっていきます。

 しばらくして、光が落ち着いてきました。
 引き出しはもう光っていません。でも、部屋の空気はまだあたたかい。
 つむぎはユエの方を見ました。
 ユエは棚のそばに立って、静かにそれを見ていました。
「ユエ」
「はい」
「もうすぐ?」
「はい」
 つむぎは、さよならを言わなくてはいけない、と思いました。
 こわいとか、さみしいとか、そういう気持ちはあります。でも、手紙が言っていたように、こわい気持ちはいっしょに行く。さみしいまま、でも、ちゃんと言う。
「またね、ユエ」
 つむぎは、自分の言葉でそう言いました。
 さよなら、ではなくて、またね、でした。
 ユエは少し目を細めました。今までで、いちばんやわらかい顔でした。
「またね、つむぎ」
 ユエが初めて、つむぎさん、ではなく、つむぎ、と呼びました。
 つむぎは深呼吸をして、ドアに向かいました。
 振り返ると、ユエはまだそこに立っています。白いシャツに、古びたベスト。やわらかな光の中に、静かに立っていました。
 つむぎはもう一度だけ、手を振りました。
 ユエも、小さく手を振り返しました。
 ドアを開けると、夕方の風が入ってきました。
 つむぎはドアをそっと閉めて、路地に出ました。

 坂道を少しくだったところで、つむぎは立ち止まりました。
 振り返ると、路地の入口が見えます。
 しばらく見ていました。
 風が吹いて、木の葉がさわさわと鳴りました。
 もう一度、路地の方を見ました。
 ゆっくりと、図書館のあった方向の空気が、少しだけ変わった気がしました。やわらかい光が、あの路地の奥からふわっと広がって、夕暮れの空に溶けていきました。
 つむぎは、泣かないでいられました。
 さみしいけれど、泣かない。それは、悲しくないからではなくて、ちゃんとさよならを言えたからだと思いました。
 またね、と言えた。ユエも、またね、と言ってくれた。
 それで、じゅうぶんでした。
 つむぎは坂道を下りはじめました。

 次の朝、新学期の朝になりました。
 つむぎはいつもより少し早く起きて、制服に着替えました。筆箱と教科書を確認して、水筒を入れて、手さげを持ちました。
 玄関を出る前に、なんとなく手さげの中を見ました。
 筆箱を取り出したとき、その下に、何かがありました。
 小さな、白い封筒です。
 つむぎは息をのみました。
 手さげの中に、封筒が入っているはずはありません。昨日、全部中身を確認したとき、こんなものはなかった。
 でも、ある。
 つむぎは封筒を開けました。中の便せんを広げると、短い言葉が書いてありました。字は、どこかで見たことのある、やわらかい字でした。

 ちゃんと話せたね。
 こんどは、きみがだれかの力になれるよ。

 差出人の名前は、ありませんでした。
 でも、つむぎにはわかりました。
 だれからか。
 つむぎはしばらく、その便せんを見ていました。
 こんどは、きみがだれかの力になれるよ。
 この夏、つむぎは手紙に助けてもらいました。ユエに話を聞いてもらいました。あおいに話しかけてもらいました。みなとに、そこにいてもらいました。お母さんに、抱きしめてもらいました。
 次は、自分がだれかの力になれる。
 そうか、とつむぎは思いました。
 手紙を届けてもらう側が、手紙を届ける側になる。そういうことなのかもしれない。言葉を受け取る側が、言葉を渡す側になる。
 それが、次のつむぎのすることなのかもしれない。
 つむぎは便せんを折りたたんで、封筒に戻しました。筆箱の横に、そっとしまいます。
 大事に、持っていようと思いました。

 学校に着くと、昇降口の前で、あおいが待っていました。
「つむぎちゃん! 昨日、図書館どうだった?」
「行ってきた」
「ユエは?」
「よろしく、伝えておいたよ」
 あおいは少し目を細めました。
「そっか。図書館は?」
「昨日の夜に、役目が終わったみたい」
 あおいはしばらく黙っていました。それから、「そっか」とだけ言いました。
 そこへ、みなとがやって来ました。
 いつものように、少しだけ眠そうな顔で、でもつむぎたちの前で足を止めます。
「図書館」
 みなとは短く言いました。
「もう、ないみたい」
 つむぎが答えると、みなとは少しだけ目を伏せました。
「……そう」
 それだけでした。
 でも、みなとが何を思っているのか、つむぎには少しだけわかる気がしました。
 チャイムが鳴りました。
「じゃあ、またあとでね」
 あおいが手を振りました。
「うん」
 あおいとみなとは、一組の教室へ向かいました。
 つむぎは、二組の教室へ入りました。
 席に着くと、教室の中はまだ少しざわざわしていました。

 ほどなく先生が来て、朝の会がはじまりました。
 つむぎは、窓の外を少し見ました。
 空は青く、雲が流れています。
 夏休みに受け取った手紙のことを、ひとつ思い出しました。
 ことばが少ないのは、やさしくないからじゃない。
 つむぎの隣に、あおいはいません。
 少し離れた場所に、みなともいません。
 でも、ひとりぼっちだとは思いませんでした。
 一組の教室には、あおいがいます。みなとがいます。
 廊下をはさんだすぐ近くに、ちゃんと言葉を届けたい人たちがいます。
 そして、この教室の中にも言えないことを持っている人が、きっといます。
 つむぎと同じように、言いたいのに言えなくて、飲みこんでいる人が。
 そういう人のほんの少しの力になれたら、と思いました。 
 手紙が教えてくれたように、答えをぜんぶ教えなくてもいい。ほんの少しだけ、方向を示せれば。
 先生の話を聞きながら、つむぎは筆箱をそっと触りました。
 中に、手紙があります。
 こんどは、きみがだれかの力になれるよ。
 つむぎは前を向きました。
 前より少しだけ、胸を張って。
 窓から光が入ってきて、教室をやわらかく照らしていました。
 ことばは、ちゃんと届くときがあります。
 ユエの声が、どこかから聞こえた気がしました。
 つむぎは小さく、うなずきました。
 新学期が、はじまりました。
(おしまい)
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