母国を追われた草いじり令嬢は、敵国で『宮廷植物医』として新生活を満喫しています~元婚約者様と義妹、お元気ですか? 貴重な植物が全て枯れ、さらに私が渡した大事な園芸書を燃やした?じゃあ、もう無理ですね~

第10話:宮廷植物医、仕事を始める

 瞼に暖かな光をじんわりと感じ、徐々に意識が鮮明になる。
 開けた目に飛び込んできたのは上品な深紅の天蓋だ。
 ほんの一瞬ここはどこかと思ったが、すぐに昨晩の記憶が蘇った。

「私は……本当にエーデル帝国に来たのね」

 起き上がったベルナデッタは気兼ねせず背筋を伸ばす。
 眠りに就く前は、起きたら全部夢だったんじゃと少し不安だったのだ。
 ずいぶんと夢も見ないほど深く眠れたようで心も身体も軽い。
 カーテンを開けようとベッドを降りたとき、頃合いを見計らったかのように扉がノックされた。
 鈴が鳴るような可愛らしい声が聞こえてくる。

「おはようございます、ベルナデッタ様。お目覚めでしょうか?」
「は、はい、起きています」

 やや緊張して答えると、メイドの少女がサービングカートを押しながら静々と入室した。
 年は同じくらいだろうか。
 艶のある黒い髪は肩ほどで切り揃えられ、髪と同じ黒い瞳は物静かな雰囲気を湛える。
 かといって暗くはなく、修道女や聖女のような落ち着きだった。
 モノトーン調のメイド服は彼女に似合っており、メイドキャップではなくホワイトブリムであることや、王国とは異なる控えめな裾の広がりから帝国の文化が感じられた。
 少女は静々と歩くと、丁寧な仕草で首を垂れる。

「ベルナデッタ様の身の回りの世話をさせていただきます、メイドのキャシーと申します」
「初めまして、ベルナデッタ・フォーセットです」

 キャシーに合わせて頭を下げた。
 続けて、丁重にお断りの旨を伝える。

「お言葉ですが、あいにくと着替えなどは自分でできます。お手を煩わせてしまうのは申し訳なないです」

 フォーセット伯爵家にいたときも、身の回りの諸々は全て自分で行った。
 他人に余計な世話をかけることは嫌いだったし、いくら貴族令嬢と云えども生きる上で自立性は重要だからだ。
 仮に使用人に手伝ってもらおうとした場合、独り占めしていたセリーヌが許さなかっただろうが……。
 そのような背景に基づくベルナデッタの申し出を、キャシーはこれまた丁重に断った。

「いえ、やらせてくださいませ。できる限りの厚遇をするよう皇太子様から仰せつかりましたので。それに……私自身の希望でもあるのです。リーベルの樹は私も大好きでございました。宮殿に務めてすぐの心細いとき、いつも両親のように私を見守ってくれていました。枯れるしかないと思っていたので、助けていただいて本当に嬉しいのです」

 昨日、リーベルの樹を回復させた瞬間を、彼女はちょうど目撃したという話だ。
 枯死寸前の樹が復活する様子は奇跡のようで非常に感動的だった、大袈裟だが恩人ともいえる人に少しでも恩返しさせてほしい、とキャシーは続けた。 
 彼女の話はベルナデッタの心にじんわりと染み入る。

 ――植物には関わる人たちの様々な背景がある。

 だから、単なる草木では決してない。
 昔から常々思っていることで、異国の地でもそれは正しいのだと実感された。
 キャシーの悩みや心配を払拭できてよかったと思うベルナデッタは、緩やかな微笑みを浮かべる。

「そういうことなら……ぜひお願いします」

 キャシーもまたにこりと笑い、手際よく朝の支度を始めた。
 まずはカーテンを開き空気を入れ替える。
 朝の香りが漂う澄んだ外気と明るさに惹かれ、ベルナデッタは窓に近寄った。
 白い雲が優雅に漂う青い空の下に、赤く茶色い屋根の建物が広がる。
 帝都の街だ。

(……綺麗)

 家々の屋根は陽光に煌めき、青とのコントラストが絵画のような美しさを誇る。
 朝の早い通行人や住民が歩いている様子も遠目に見え、新しい人生を祝してくれているようだった。
 街並みを眺めた後は、顔を洗ったり髪を梳かされたり服を着せられたりしていると、いつの間にか豊かな朝食が並んでいた。

「ベルナデッタ様、どうぞお召し上がりください」
「ありがとうございます。どれも本当においしそうですね」

 昨日の夕食にも負けない食事を目の当たりにして瞳が輝いてしまう。
 パンの代わりに薄く広げた焼きチーズで包んだ燻製肉のパン、魚のスープなどなど……。
 やはり野菜類はないものの、可能な限り栄養に配慮したメニューだ。

「いただきます……」

 ベルナデッタは帝国式の作法で祈りを捧げ、丁寧にいただく。
 見た目以上に味が深い料理ばかりで非常に満足できた。

「昨日も美味しかったけど今日のお料理も見事ね。野菜や果物がなくてもこんなに味わい豊かに作れるなんて、この国のシェフは一流よ」
「ありがとうございます。後ほど伝えさせていただきます」

 食べるたびにベルナデッタは感想を話す。
 彼女が思う以上に穏やかで人当たりがいい性格は、知らず知らずのうちにキャシーの緊張を解していった。
 キャシーは一呼吸した後、ベルナデッタなら聞いてもいいかもしれないと、とある質問を尋ねる。
 
「アトラ王国とは……どのようなお国なのでしょうか」

 室内の雰囲気が少しばかり硬くなった。
 エーデル帝国にとっては敵国だという事情がよくわかるベルナデッタは、なるべく警戒させないようゆったりと母国について話す。

「この国と同じ、人が生きて植物が生きる普通の国です。王国にも固有種がたくさんあって……。私はほとんど植物の知識としか触れ合ってこなかったのですけど、とても楽しく暮らすことができました。軍事情報とかはさすがに話せませんが……」

 ベルナデッタはアトラ王国の裏切りにならないよう、情報に気をつけて話をする。
 国外追放を命じられているわけだから本来なら気にする必要もなかったのだが、彼女なりの気遣いだった。
 婚約破棄について話が及ぶと、キャシーはほろりと涙を流してくれた。

「大変お辛い思いをされていたのですね。傷を思い出させるような話をしてしまい、考えが至らず申し訳ありません」
「いやいや、本当に清々したので。元から婚約者様のことが好きではなかったのですよ」

 ベルナデッタの明るい物言いもあって、雰囲気は柔和に変わる。
 何よりキャシーはホッとしたのだった。
 楽しい朝食はあっという間に終わり、食後には紅茶の代わりにホットミルクを出してくれた。
 茶葉も底をつき始めているため申し訳ないと謝罪するキャシーを労い、こくりと一口飲む。 穏やかな甘みが浸透して心が一段と和らいだ。

「ご満足いただけましたか、ベルナデッタ様?」
「ええ、おかげさまですごく満腹になりました。……ところで、一つお願いがあるのですがいいですか?」
「何なりとお申し付けください」

 背筋を伸ばす彼女に、ベルナデッタは先ほどから思っていたお願いを伝える。

「敬語は使わずに接してもらえませんか? 歳もそれほど変わらないでしょうし、……私のお友達になってくれたら嬉しいです」

 アトラ王国でのベルナデッタに友人らしい友人はいなかった。
 植物関連で接する人は年上が多かったし、仕事優先で生きてきたので夜会やお茶会に顔を出す機会もあまりなかった。
 
 ――エーデル帝国で友達を作る。
 
 帝国の植物を見たり育てる以外に、ひっそりと掲げた小さな目標だった。
 彼女のお願いに、キャシーはやや俯きながら思案を巡らしているようだ。

(失礼じゃなかったかな……まだ出会って間もないのに……)

 もう少し仲良くなってからの方がよかったかもしれない。
 どのような返答が来るか緊張する中、キャシーは淡々と答えた。

「それでは、私からも一つお願いがございます。ベルナデッタ様も敬語はお控えください。私たちは……友達なのですから」
「……ありがとう」

 二人はふふっと笑い合う。
 キャシーはサービングカートから何冊もの本を机に置き始めた。

「ベルナデッタ様……いえ、ベルナと呼ばせてもらうわ。これを見て。皇太子様から本を預かってきたの。帝国の植物図鑑や文献の数々よ。特に重要な本を厳選した、って」
「こんなに読んでいいの!?」

 ざっと数えると十五冊ほどもあり、題名からどれも帝国における植物学の根幹にあたる書物だとわかる。
 この国の植物について早く知りたかったベルナデッタにとって、今一番欲しい物といって差し支えない。

(見たことがない植物がいっぱい……! へぇ~、ミルダ草なんて草があるんだ。とても高く成長する草なのね。青色で大きなハート型の葉っぱは可愛いし綺麗。網目状の葉脈も健康的だわ。磨り潰すと栄養が豊富な甘い汁が出るのね。赤ちゃんの離乳食にも使えるくらい安全なんて素晴らしく有益だ)

 さっそく目を輝かせて図鑑を開く彼女に、キャシーはそっと呼びかける。

「じゃあ、私は二つ隣の部屋にいるから何か用事があったら呼んでね。すぐ来るから」
「ありがとう」

(この国で……思う存分植物と触れ合う)

 本に向き直ったベルナデッタは、時間が過ぎるのも忘れて読みふけった。

 ふと気がつくと、すでに日が高く登っていた。
 壁掛け時計を見たら四時間ほど読書に熱中していたとわかる。

(ああ、またやっちゃった)

 昔から植物に関する本を読んだり勉強しているときは時間を忘れてしまう。
 王国ではまだしも、ここでは気をつけようと思う。
 小休憩のため、ぼふっとベッドに横たわった彼女はしばし目を閉じる。
 五分ほどのんびりしていたが、やがて小さなため息を吐いた。
 
(ただ休んでいるだけというのは……落ち着かないものね。殿下から数日くらいはゆっくりしていいと言われているけど……)
 
 仕事人気質のある彼女は、何もせずジッと休んでいるのはどうしても性に合わなかった。
 何より、植物の本や図鑑を読むのは大好きだが、帝国の事情を考えると今すぐにでも行動を始めた方がいいと考える。
 昨晩と今朝の食事を思い出しても、宮殿は元より国民たちの生活も早く元通りにしてあげたい。

(予定より早く植物関連の仕事をさせてもらおう)

 決心した彼女は、反動をつけて勢いよく起き上がる。
 ラルフからは用事があればいつでも訪ねて構わないと言われているが、今どこにいるのかはわからなかった。
 まずはキャシーに聞いてみようと廊下に出る。
 
「キャシー……うわっ」
「どうしたの、ベルナ」

 どこに隠れていたのか、突然目の前に本人が現れた。
 ベルナデッタは驚いたものの深呼吸した後、真剣な瞳で彼女に頼む。

「殿下に伝えてほしいの。今日から仕事をさせてほしいって」
「……あなたらしいわね」

 その後、ラルフは夕方になったら時間が空くという連絡が来た。

(それまで少しでも知識を蓄えなきゃ!)

 ベルナデッタは本を読みながら楽しみに時を待つ。

 □□□

 夕刻。
 約束の時間が来たベルナデッタは、キャシーに案内されラルフの執務室を訪れた。
 宮殿の三階だ。
 全体的に白を基調としつつ、精緻な刺繡が施されたタペストリーや足が沈みそうなほど柔らかいラグなどには、上品な深紅が使われる。
 清潔感と質実剛健さの両方を感じる印象的な空間だと、ベルナデッタは感じた。
 部屋にはすでにラルフとマティアスがいる。

「ベルナデッタ、君はもう仕事を始めたいということだが……いいのか? 昨日我が国に来たばかりだろう」
「お心遣いのほどありがとうございます。温かい食事とベッドのおかげで、旅の疲れはまったくと言ってよいほどなくなりました。むしろ、仕事をしていた方が私は休まるのです」
「……そうか、心強いな。では、さっそく仕事を始めよう。まずは帝国の詳細な植物事情を説明したい」

 マティアスが机上に国内の地図を広げる。
 彼が魔力を注ぐと標高に沿って凹凸が生まれ、たちまち立体的な地理情報に変わった。
 ベルナデッタは驚きを隠せない。

「すごいですね、こんな地図があるんですか。初めて見ました」
「帝国ではこれが一般的なんだよ。見ての通り、立体的に見えるから非常に重宝する。ベルナ嬢にも後で使い方を教えてあげようね」

 マティアスから説明を受けたところで、今度はラルフが地図を指しながら話を続けた。

「赤く染まる場所が奇病にやられた土地で、その場所ではほとんどの植物が枯れている。斜線の上に浮かぶ数字は異変が起きた順番だ。奇妙なことに、異変は飛び地のように広がったのだ」
「……確かにそうですね」

 最初に奇病が確認されたのは、帝都から東に500kmほど行った森だった。
 次は300km南下した森、その次はそこから640km北西に進んだ場所の草原地帯……などなど、まさしく飛び地を思わせる広がり方だった。
 思案するベルナデッタに、ラルフは羊皮紙の束を渡す。

「奇病の症状についてまとめた書類だ。枯れるまでの平均日数や、病気を発症した植物の種類など、記録できるものは全て記録させてある」
「ありがとうございます。確認させていただきます」

 枯死した植物の分類も詳しくまとめられており、大変見やすい資料だった。

(病気が確認されてから、枯死するまでの期間は短くて1日。長くても3日を過ぎればほとんどがやられてしまうのね。種類に関係なく発症するのか。症状は均一……つまり、葉や茎、根などに限定的じゃないということ)

 特定の株にだけ発症するわけでもないようで、今まで経験したどの植物病害とも異なる。
 心臓が冷たくなるようなひやりとした感触が薄気味悪かった。

「……どうだ、ベルナデッタ。アトラ王国でもこのような奇病はあったか?」
「いえ、ありませんでした。ずいぶんと急速に進行する病気、という印象です。植物に対する宿主特異性もないとしたら、かなり深刻な病気ですね」

 植物の病気は花なら花、稲なら稲と決まっているものだ。
 種の分類を跨ぐ病気なんて非常に危険だとベルナデッタは懸念する。
 書類を見ながら地図を隅々まで注視する彼女は、ある不思議な事情に気づいた。

「高山地帯の植物は無事なんでしょうか?」
「よく気づいたな。そうだ。山の植物も奇病に侵されているが、いずれも低地に育つものばかりだ。他にもこの辺り……毒魔物が多く住む湿地帯や、火山の噴火口周辺の植物も無事だ」
「そうですか。完全に全滅したわけではないのですね」
「不幸中の幸い、といったところか。ただ、どの場所も人間が踏み入るには厳しい環境だ。植物事情の改善にはほど遠い。このままでは、動物や魔物の生態系にも悪影響が出るだろう。家畜の飼育は備蓄の飼料で対応できているがそれにも限界がある」

 ベルナデッタはこれまで得た情報を頭の中で整理する。

(高い場所に病気は届かなかったのかしら? 高山や噴火口の環境は地上よりずっと厳しいからそれは理屈が通る。でも、毒魔物が住む湿地帯に広がらなかったのはなぜ?)

 飛び地様の拡大と同じく、何とも表現し難い妙な違和感が引っかかった。

「問題は多々あるが一番は穀倉地帯の壊滅だ。我が国の主要な穀物――金穂麦が軒並み不作だ。備蓄もだいぶ限界を迎えつつある。あと数ヶ月持てばいい方だな。金穂麦というのは……」
「幅広の不定根により地面に強く根付くことが特徴で、葉脈は平行脈、草丈は一メートルを超える程度が一般的で、栄養が詰まった穂は黄金色に輝くため金の名を冠する小麦ですね?」
「……君は帝国の植物も知っていたのか?」
「貸してくださった本で学びました。個人的に興味を惹かれたのは、三十七年前に報告された突然変異の個体です。穂が銀色に輝いた理由はおそらく……」

 そのまま、ベルナデッタは先ほど読んだ十五冊の本に跨がる知識や見聞、自身の推論などを滔々と説明する。
 しばらく話したところで、彼女はハッと口を押さえた。

「長く話してしまい申し訳ありません」
「そんなことは気にするな。どうやら、君は私たちが想像する以上に記憶力も優秀なようだ」
「これからはもっとたくさんの本を手配した方がいいみたいだね」

 恐縮するベルナデッタをラルフとマティアスは笑って応じた後、地図の説明に戻った。
 帝国の穀倉地帯は十数カ所あり、いずれも別々の貴族が治めている。
 水で洗い流したり様々な薬を使ったりいろいろと試行錯誤を繰り返しているが、芳しい結果は出ていなかった。
 静かに話を聞き、思索を重ねたベルナデッタは一つの可能性を伝える。
 
「奇病ということですが、もしかして毒の類いではないでしょうか。病気であれば陸続きに広がるはずなので。仮に同時多発したといっても、飛び地様の感染というのはやはり不思議です」
「ああ、私もそう思うのだが、我が国の植物学者は奇病と推測している。というのは、病原に侵された植物や枯死したサンプルから毒が検出されないのだ」
「毒が……検出されない……」

(だとしたら、やっぱり病気ってこと?)

 今まで学んだ知識や得た経験を総動員して考えるベルナデッタに、ラルフは扉の方を見るよう促す。

「その点については彼女に直接聞いた方が早いだろう。ちょうど来たようだ」

 コツコツとノックが叩かれ、ラルフが答える。
 キャシーに連れられ、件の植物学者が部屋に入った。
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