母国を追われた草いじり令嬢は、敵国で『宮廷植物医』として新生活を満喫しています~元婚約者様と義妹、お元気ですか? 貴重な植物が全て枯れ、さらに私が渡した大事な園芸書を燃やした?じゃあ、もう無理ですね~
第9話:枯れた花
アトラ王国の宮殿にある第二王子の部屋にて。
昼前の明るい日差しが差し込む中、ギルアンとセリーヌは仲睦まじく身を寄せ合う。
室内には甘ったるい空気が満ちていた。
「ベルナデッタを追い出して一週間か。なんだかあっという間だったな」
「あらやだ、ギルアン様ったらお義姉様に未練がありますの?」
「そんなわけがないだろう。僕の一番大事な女性はセリーヌ、君だけさ」
とっくに公務の開始時間を過ぎているが、ギルアンが動く様子はない。
特に指摘しないセリーヌからもまた怠惰な性格が滲む。
(うるさい兄上が帰ってくるまで、もう少し自由にさせてもらう)
現在、国王に王妃、第一王子は揃って重要な外遊に出ており不在だった。
ギルアンは真面目な第一王子から小言を言われる毎日にストレスを感じていたので、今はちょっとした休暇の気分でいるのだ。
セリーヌもまたのんびりできる、この束の間の休息がずっと続けばいいと思う。
「国王陛下たちはいつ頃帰ってくるのでしょう。というより、今はどちらにいらっしゃるのでしたっけ?」
「隣のノルドハイム王国だよ。父上たちは、エーデル帝国に対する牽制として同盟を結びたいらしい。その下準備の訪問だからまだしばらくは帰ってこないだろうね」
敵対関係にあるエーデル帝国は軍事力に優れるため、国王たちは周辺国との外交に注力している状況だった。
今日の夜は観劇にでも行こうかと話したところで、不意に扉がノックされた。
ギルアンが荒い声で反応すると、執事が申し訳なさそうに入室する。
「し、失礼いたします。ベルナデッタ様にお手紙が届いたのですがどうしましょう……」
「あの女に? 見せてみろ」
執事を追い出し、ギルアンとセリーヌは手紙を確認する。
手触りが非常に上質な紙であり、高位貴族からの連絡だとすぐにわかった。
「あいつに手紙を出す貴族がいたなんてな……っ!」
差出人の名前を見た二人は息を呑む。
ジェフリー・アトラ――ギルアンの大叔父にあたる人物だった。
宮殿から遠く離れた領地を治める初老の男性だ。
国の運営には直接関わっていないものの、宮殿での発言力は他の高位貴族の比ではない。
農業の栄える肥沃な領地は人口も多く、上質な鉱石が多量に産出された。
王都の次に発展した土地を聞かれたら、国民のほとんどがジェフリー領と答えるだろう。
いったい何の連絡かと少々の胸騒ぎを覚えながら、二人は手紙を読む。
「……なるほど、ベルナデッタに花を預けていたみたいだ。それがそろそろ咲くとあいつに報されたジェフリー御祖父様は、実際に宮殿に見にくるらしい。しかし、鈴玲花なんて初めて聞いたな。君は知っているかい、セリーヌ?」
「いいえ、わたくしもまったく知りませんわ」
植物などに興味のない二人は知らなかったが、鈴玲花は音を鳴らすことのできる――非常に貴重な鳴花植物だった。
スズランのように淡いピンク色の鐘の形をした花を咲かせ、揺れるたびに軽やかな鈴の音を奏でる。
植物の中でも繊細な性質で有名で、わずかな環境の変化でもたちまち枯れてしまった。
今では人の立ち入らない深い森の奥にしか咲かない絶滅危惧植物だ。
手紙を読むギルアンは鈴玲花が何か調べようともせず、気怠そうに窓の外を見る。
(ジェフリー御祖父様は怖いから嫌いなんだよなぁ……念のため花を確認しといた方がいいのか?)
少し離れた場所に、ガラス張りの建物が見える。
王宮植物園だ。
遠目からでも青々とした様子が見え、わざわざ確認しに行く必要はないと思われた。
面倒だから止めるかと思ったとき、セリーヌが令嬢らしからぬ金切り声を上げた。
「ギルアン様、ジェフリー様は栽培のご褒美を持ってくるみたいですよ! ジェフリー領で採れた魔石を使ったネックレスと剣ですって!」
「なにっ、僕にも見せろ!」
追伸部分に褒美について記載があり、ギルアンとセリーヌは気持ちが昂ぶる。
無論、ベルナデッタに対する褒美なのだが、二人の頭は自分が受け取るつもりでいっぱいになった。
(上質な魔石の剣か……悪くないな。振るたびに魔法でも発動したら、令嬢たちの注目を浴びることは間違いない。そろそろセリーヌにも飽きてきたところだ。多少息抜きしてもいいだろう)
(ギルアン様は王子だけど第二なのよね……できれば、第一王子と婚約したいわ。もっと格好よくて地位が高いし。ジェフリー領の宝石で作ったネックレスがあれば気を惹けるかも)
二人は互いがどう思われているかなど露知らず、浅はかな願望に胸が高鳴る。
「面倒だけど一応確認しておこう。別に問題ないだろうけどね」
「きっと元気に育っていますわ。何もしていませんもの」
ギルアンとセリーヌは軽く笑い合うが、ベルナデッタを失った植物園ではすでに深刻な異変が生じているのであった。
植物園に着いた二人は鈴玲花を探して歩く。
花の形はベルナデッタが残した図鑑で確認したので、初見でも判別はできる。
だが、ただでさえ広大な上に植物が多く、興味のない彼らは探索に難儀していた。
「まったく、花はどこにあるんだ。目印でも作っておけ」
「仰るとおりです。お義姉様は怠惰ですわね」
各植物の前にはベルナデッタが作ったわかりやすいネームプレートが挿してある。
それでも、この二人は文句しか言わないのだった。
植物園の中央広場に出ると小屋――ベルナデッタの作業小屋があり、二人は中に入る。
長テーブルが三台に椅子が二脚の他は、植物図鑑など市販の分厚い書物が何冊も収まる本棚、様々な色の試薬が陳列する。
整理整頓された空間の中に花の類いは見当たらない。
「ここにもないな。本当に栽培しているのか?」
「そうですわね。いったいどこに……ギルアン様、これを見てくださいまし」
セリーヌが床の隅に金属の扉を見つけた。
開けてみると階段が下っている。
壁には照明魔導具が続いており明るさはある。
不敵に笑い合った二人は階段を下り、地下室に到着した。
地上の小屋と同じ整った部屋だが二倍弱は広い。
ベルナデッタの功績を讃え、自動で点灯する照明魔導具など国王が整備した特別な空間だった。
地下特有のひんやりとした空気がギルアンとセリーヌを包む。
「こんな場所があったのか。ここは初めて来たな」
「地味なお義姉様にピッタリの空間ですわ。それより、ギルアン様……!」
「ああ、きっとあれがそうだ!」
中央のテーブルには小さなガラスドームが置かれており、その中には花らしい植物が見えた。
我先にと駆け寄った二人はそれを見て愕然とする。
「なんだよ、これ!」
「か……枯れておりますわ!」
ガラスドームの中にある鈴玲花は茶色く萎れ果て、素人の目から見ても枯れてしまっていることがわかった。
環境の変化に機敏なこの花は、温度も湿度も一定な地下室で大切に保存されていたのだ。
しかし、誰も世話をしてくれずとうとう力尽きてしまった。
「どうするんだ、セリーヌ! 枯れているじゃないか! ちゃんと世話をしなかったのか
!? ここの管理は君だろう!」
「私に言われても困ります! 草なんて放っておいても育つ、そう言ったのはギルアン様でしょう!」
信じがたい光景を前に二人は口論を始める。
彼らの頭の中には、責任を押し付けることしかなかった。
しばらく罵り合っていると、ギルアンは思い出した。
水やりの量やタイミング、温度などの厳重な管理方法について、ベルナデッタは本にまとめていたことを。
その事実を思い出した彼は、活路を見出した気持ちでセリーヌに呼びかける。
「ベルナデッタの資料を探せ! 栽培方法をまとめた本がどこかにあるはずだ!」
「ギ、ギルアン様……もしかしてその本とは……あの日燃やしてしまった本ではありませんか?」
意気込んだギルアンは固まる。
婚約破棄と国外追放を命じた日の光景が思い出された。
――邪魔な女が遺した小汚い本。
暖炉の火に放り込んだとき、たしかに二人はそう思った。
「君はなんて酷いことをしてくれたんだ!」
「ギルアン様も一緒に暖炉に放り込んだでしょう! 私一人のせいにしないでください!」
醜い争いを再開するギルアンとセリーヌの目は、ふと机の上の羊皮紙に引き寄せられた。
整理整頓された手紙のようだ。
ぼんやりと中身を目で追うや否や、二人の心には強い焦燥感が生まれる。
〔この鈴玲花は、花好きの亡き友人から預かった大切な種だ。彼は終ぞ、生きている間は咲く様を見られなかった。弔いとして咲かしてやってほしい〕
想像よりずっと重い事情が明らかとなり、二人は激しい焦燥感に駆られた。
国外追放されたときベルナデッタは鈴玲花の栽培について話そうとしたのだが、ギルアンに脅されたので伝えられなかったのだ。
セリーヌはもはや何も言えず、呆然と佇むばかりだった。
ギルアンも混乱と絶望に囚われそうになったが、ある光景を想像したらよからぬ欲望が生み出した。
上質な魔石を使った剣を振るい、令嬢たちの黄色い歓声を浴びる姿だ。
「なんとしても誤魔化すぞ」
「ギルアンさ……!」
「貴重な褒美を逃してたまるか。君だってネックレスが欲しいんじゃないのか?」
セリーヌはハッとする。
彼女の脳裏には第一王子から求婚される光景が浮かび、焦燥感も忘れて高揚した。
「……たしかにそうですわね。協力して誤魔化しましょう」
褒美が欲しい二人は嘘を吐くことを決め、自らの首を絞める偽装工作を始める。
□□□
後日、ジェフリーが執事とともに植物園を訪れた。
若い頃は金色だった髪は白くなり、澄んだ碧眼はどこかくすんでいる。
それでも、背中がまっすぐ伸びた姿勢の良さと目力の強さは老いを感じさせなかった。
漆黒のステッキと灰色の帽子からは品の良さが漂う。
鈴玲花の現状を知らぬジェフリーは、いたって気さくに挨拶する。
「ギルアン、久しぶりだな。変わりないか?」
「はい、問題ございません。ジェフリー御祖父様もお元気そうでなによりです」
「お前はそう言うが、最近は少し歩くだけで膝が痛くなってたまらんよ。……ところでベルナデッタ嬢に挨拶したいのだがどこにいる?」
ジェフリーの言葉に、ギルアンはあくまでも落ち着いた様子で答えた。
「先日、彼女は体調を崩してしまいまして……フォーセット伯爵家が治める田舎で療養しております」
「おや、それは初耳だな。具合は大丈夫なのか?」
「ええ、疲れが溜まったようです。ただ仕事をできる状態ではないので、今はベルナデッタの義妹――セリーヌが植物園を管理しております」
「初めまして、ジェフリー様。セリーヌでございます。なにぶん、急な体調不良だったので交代のご連絡ができず失礼いたしました」
セリーヌは静々とカーテシーする。
彼女が引き継いだ、というのも嘘の一つだった。
ジェフリーは残念な表情を浮かべる。
「……そうだったか。であれば、また日を改めて訪れることにしよう」
「お待ちください、ジェフリー御祖父様。セリーヌが管理しているので何も問題はありません。一通り見てからお帰りになられてはいかがでしょうか? 鈴玲花もきちんと管理した甲斐があり、元気に咲いておりますよ。なにぶん繊細な花なので、なるべく早く見ていただきたく……」
「それもそうだな。機会を逸してはならん。さっそく案内を頼む」
先ほどから、ギルアンとセリーヌの目は執事が持つ物品に突き刺さっている。
剣を納めているあろう長い箱と、ネックレスが入っていそうな小箱だ。
「失礼ですが、彼が持つのは褒美でしょうか。であれば、僕たちが代わりに預かっておきます。必ずやベルナデッタに渡しますのでご安心ください」
「そうか? だったら非常に助かるが……」
「お任せください。念のため中身を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「よし……おい、開けてくれ」
箱が開けられると、輝かしい光がギルアンとセリーヌを照らした。
剣もネックレスも想像以上の出来映えで、文字通り喉から手が出るほど欲しくなる。
(絶対手に入れるぞ……)
(わたくしの素晴らしいネックレスが目の前に……)
箱に戻されたところで、二人は案内を開始する。
植物園の中を進むジェフリーは、周囲で育つ貴重な植物に感嘆とした。
「相変わらずここは立派だな。まさしく王国一の空間だ」
ベルナデッタの心血注ぐ丁寧な世話の貯金が少なからず残っており、大部分の植物たちはまだ生存できていた。
よって、表面上の異常は見えなかったのだ。
中央の小屋に向かいながら、ジェフリーはベルナデッタに対する賞賛を口にする。
「お前たちもよくわかっているだろうが、彼女は本当に素晴らしい人物だ。誰も育てられなかった植物を何種類も育て上げ、地上から姿を消した絶滅植物さえ復活させた。これは王国史大変な功績だ。だから、我が輩は鈴玲花の種をベルナデッタ嬢に預けたのだ」
「「ははは、そうでしたか」」
開花を早く見たいとも話す彼の言葉に、ギルアンもセリーヌも渇いた笑いで答える。
例の小屋に入るや否や、ジェフリーは机に置かれた代物に目を輝かせた。
「鈴玲花が咲いたのだな! よくやった!」
「ええ、セリーヌは本当に優秀な女性なのですよ」
「お義姉様よりずっと有能だと自負しておりますの」
ガラスドームに収まるのは、特徴的な鐘の形をした淡いピンク色の小さい花だ。
感動のあまり震えるジェフリーの後ろで、ギルアンとセリーヌは悪意の滲む顔を見合わせる。
二人が考えた策は、鈴玲花と似たような花を用意することだ。
使用人に王国中の植物を調べさせたところ、幸いなことに形が似た花――桃鈴蘭があった。
ガラスドームもわざと光の屈折が強くなるよう特注品を用意し、この日を凌ぐことを決めたのだ。
年老いたジェフリーは目が悪いと聞いていたので、誤魔化せるのは確実だった。
(さあ、花を見たらさっさと帰ってくれ)
(これでもう十分でしょう。早くご褒美のネックレスをくださいな)
欲望を募らせる二人は、ガラスドームを外そうとするジェフリーを慌てて止めた。
「ジェフリー御祖父様、いったいなにを……?」
「危ないですわ。おやめください」
「鈴玲花の音を聞きたいのだ。心が洗われるような美しい音色という。良い機会だ、お前たちも聞きなさい」
「「お、お待ちくださ……っ!」」
回収する間もなく、ガラスドームが外された。
楽しみに胸を躍らすジェフリーは、剥き出しとなった花を優しく揺する。
軽やかに響くはずの音は……まったく聞こえなかった。
揺らし方が悪かったのかと、もう一度丁寧に揺らす。
音は鳴らない。
数回繰り返したジェフリーは全てを理解し、数段重い声で言う。
「これは鈴玲花ではないな?」
声音だけで深い怒りが伝わってくる。
ギルアンもセリーヌも、恐ろしくて彼の顔を見ることができなかった。
床の模様を眺める中、苛だらしげにステッキが叩かれる。
観念したようにギルアンは白状した。
「はい……桃鈴蘭でございます」
「本物の鈴玲花はどこにある?」
今度は、セリーヌが戸棚の奥から別のガラスドームを取り出した。
机に置かれたそれを見て、ジェフリーはくつくつと笑う。
「なるほど、桃鈴蘭か。たしかに、鈴玲花と似ていることで有名だ。音を鳴らさねば儂も気づかなかっただろう…………ふざけるな!!」
小屋の窓ガラスが割れるかと思うほどの怒号が響く。
机上に置かれたのは、見るも無惨な鈴玲花の残骸だった。
「この花はただの花ではない! 亡き友人から預かった大切な花なんだ! それを……それを……枯らしたというのか!」
「い、いえ、枯らしたのではありません! 僕たちが来たときにはすでに枯れており……ベルナデッタの詰めが甘かったのです!」
「そうですわ! お義姉様が引き継ぎをしっかりやらなかったのが原因です!」
「ベルナデッタ嬢はそんなに適当な人間ではないのだ!」
ジェフリーは何枚もの手紙を机に叩きつける。
いずれも鈴玲花の栽培について、ベルナデッタが事細かにジェフリーに共有した手紙だった。
種の保管方法や輸送方法に至るまで、彼女は何冊もの文献を調べ、最適な方法を提案した。 努力の痕跡そのもので、ジェフリーは彼女が蔑まされることにも大変な怒りを感じた。
「よくわかった、もういい。貴様らは儂の友人に二度死ねと、そう言いたいのだな?」
「「違……っ!」」
「これほど性悪な侮辱を受けたのは我が人生で初めてだ。幸いなことに、鈴玲花の種はまだ残っている。儂はベルナデッタ嬢を探す。やはり、彼女にしかこの仕事はできん。愚かなギルアンにセリーヌよ。この件は国王夫妻にも伝えさせてもらう。……いろいろと覚悟しておくのだな」
吐き捨てるように言うと、ジェフリーは執事とともにさっさと立ち去った。
取り残された二人はしばし呆然と佇んでいたが、じわじわと焦燥感に駆られた。
国王夫妻に報告されたら……と思うと、何をすればいいのかわからないほどだ。
欲しい褒美も貰えなかったことにも怒りを覚える。
「セリーヌ、君のせいで大変な目に遭ったぞ! どうしてくれる! 褒美も無しだ!」
「また、わたくしの責任なのですか!? ギルアン様も同罪でしょう!」
二人は激しい口論を始める。
今は互いを責めることでしか精神を保てなかった。
これ以上の仕打ちはないはずだと互いに思っていたが、単なる破滅の序章にしか過ぎない。
昼前の明るい日差しが差し込む中、ギルアンとセリーヌは仲睦まじく身を寄せ合う。
室内には甘ったるい空気が満ちていた。
「ベルナデッタを追い出して一週間か。なんだかあっという間だったな」
「あらやだ、ギルアン様ったらお義姉様に未練がありますの?」
「そんなわけがないだろう。僕の一番大事な女性はセリーヌ、君だけさ」
とっくに公務の開始時間を過ぎているが、ギルアンが動く様子はない。
特に指摘しないセリーヌからもまた怠惰な性格が滲む。
(うるさい兄上が帰ってくるまで、もう少し自由にさせてもらう)
現在、国王に王妃、第一王子は揃って重要な外遊に出ており不在だった。
ギルアンは真面目な第一王子から小言を言われる毎日にストレスを感じていたので、今はちょっとした休暇の気分でいるのだ。
セリーヌもまたのんびりできる、この束の間の休息がずっと続けばいいと思う。
「国王陛下たちはいつ頃帰ってくるのでしょう。というより、今はどちらにいらっしゃるのでしたっけ?」
「隣のノルドハイム王国だよ。父上たちは、エーデル帝国に対する牽制として同盟を結びたいらしい。その下準備の訪問だからまだしばらくは帰ってこないだろうね」
敵対関係にあるエーデル帝国は軍事力に優れるため、国王たちは周辺国との外交に注力している状況だった。
今日の夜は観劇にでも行こうかと話したところで、不意に扉がノックされた。
ギルアンが荒い声で反応すると、執事が申し訳なさそうに入室する。
「し、失礼いたします。ベルナデッタ様にお手紙が届いたのですがどうしましょう……」
「あの女に? 見せてみろ」
執事を追い出し、ギルアンとセリーヌは手紙を確認する。
手触りが非常に上質な紙であり、高位貴族からの連絡だとすぐにわかった。
「あいつに手紙を出す貴族がいたなんてな……っ!」
差出人の名前を見た二人は息を呑む。
ジェフリー・アトラ――ギルアンの大叔父にあたる人物だった。
宮殿から遠く離れた領地を治める初老の男性だ。
国の運営には直接関わっていないものの、宮殿での発言力は他の高位貴族の比ではない。
農業の栄える肥沃な領地は人口も多く、上質な鉱石が多量に産出された。
王都の次に発展した土地を聞かれたら、国民のほとんどがジェフリー領と答えるだろう。
いったい何の連絡かと少々の胸騒ぎを覚えながら、二人は手紙を読む。
「……なるほど、ベルナデッタに花を預けていたみたいだ。それがそろそろ咲くとあいつに報されたジェフリー御祖父様は、実際に宮殿に見にくるらしい。しかし、鈴玲花なんて初めて聞いたな。君は知っているかい、セリーヌ?」
「いいえ、わたくしもまったく知りませんわ」
植物などに興味のない二人は知らなかったが、鈴玲花は音を鳴らすことのできる――非常に貴重な鳴花植物だった。
スズランのように淡いピンク色の鐘の形をした花を咲かせ、揺れるたびに軽やかな鈴の音を奏でる。
植物の中でも繊細な性質で有名で、わずかな環境の変化でもたちまち枯れてしまった。
今では人の立ち入らない深い森の奥にしか咲かない絶滅危惧植物だ。
手紙を読むギルアンは鈴玲花が何か調べようともせず、気怠そうに窓の外を見る。
(ジェフリー御祖父様は怖いから嫌いなんだよなぁ……念のため花を確認しといた方がいいのか?)
少し離れた場所に、ガラス張りの建物が見える。
王宮植物園だ。
遠目からでも青々とした様子が見え、わざわざ確認しに行く必要はないと思われた。
面倒だから止めるかと思ったとき、セリーヌが令嬢らしからぬ金切り声を上げた。
「ギルアン様、ジェフリー様は栽培のご褒美を持ってくるみたいですよ! ジェフリー領で採れた魔石を使ったネックレスと剣ですって!」
「なにっ、僕にも見せろ!」
追伸部分に褒美について記載があり、ギルアンとセリーヌは気持ちが昂ぶる。
無論、ベルナデッタに対する褒美なのだが、二人の頭は自分が受け取るつもりでいっぱいになった。
(上質な魔石の剣か……悪くないな。振るたびに魔法でも発動したら、令嬢たちの注目を浴びることは間違いない。そろそろセリーヌにも飽きてきたところだ。多少息抜きしてもいいだろう)
(ギルアン様は王子だけど第二なのよね……できれば、第一王子と婚約したいわ。もっと格好よくて地位が高いし。ジェフリー領の宝石で作ったネックレスがあれば気を惹けるかも)
二人は互いがどう思われているかなど露知らず、浅はかな願望に胸が高鳴る。
「面倒だけど一応確認しておこう。別に問題ないだろうけどね」
「きっと元気に育っていますわ。何もしていませんもの」
ギルアンとセリーヌは軽く笑い合うが、ベルナデッタを失った植物園ではすでに深刻な異変が生じているのであった。
植物園に着いた二人は鈴玲花を探して歩く。
花の形はベルナデッタが残した図鑑で確認したので、初見でも判別はできる。
だが、ただでさえ広大な上に植物が多く、興味のない彼らは探索に難儀していた。
「まったく、花はどこにあるんだ。目印でも作っておけ」
「仰るとおりです。お義姉様は怠惰ですわね」
各植物の前にはベルナデッタが作ったわかりやすいネームプレートが挿してある。
それでも、この二人は文句しか言わないのだった。
植物園の中央広場に出ると小屋――ベルナデッタの作業小屋があり、二人は中に入る。
長テーブルが三台に椅子が二脚の他は、植物図鑑など市販の分厚い書物が何冊も収まる本棚、様々な色の試薬が陳列する。
整理整頓された空間の中に花の類いは見当たらない。
「ここにもないな。本当に栽培しているのか?」
「そうですわね。いったいどこに……ギルアン様、これを見てくださいまし」
セリーヌが床の隅に金属の扉を見つけた。
開けてみると階段が下っている。
壁には照明魔導具が続いており明るさはある。
不敵に笑い合った二人は階段を下り、地下室に到着した。
地上の小屋と同じ整った部屋だが二倍弱は広い。
ベルナデッタの功績を讃え、自動で点灯する照明魔導具など国王が整備した特別な空間だった。
地下特有のひんやりとした空気がギルアンとセリーヌを包む。
「こんな場所があったのか。ここは初めて来たな」
「地味なお義姉様にピッタリの空間ですわ。それより、ギルアン様……!」
「ああ、きっとあれがそうだ!」
中央のテーブルには小さなガラスドームが置かれており、その中には花らしい植物が見えた。
我先にと駆け寄った二人はそれを見て愕然とする。
「なんだよ、これ!」
「か……枯れておりますわ!」
ガラスドームの中にある鈴玲花は茶色く萎れ果て、素人の目から見ても枯れてしまっていることがわかった。
環境の変化に機敏なこの花は、温度も湿度も一定な地下室で大切に保存されていたのだ。
しかし、誰も世話をしてくれずとうとう力尽きてしまった。
「どうするんだ、セリーヌ! 枯れているじゃないか! ちゃんと世話をしなかったのか
!? ここの管理は君だろう!」
「私に言われても困ります! 草なんて放っておいても育つ、そう言ったのはギルアン様でしょう!」
信じがたい光景を前に二人は口論を始める。
彼らの頭の中には、責任を押し付けることしかなかった。
しばらく罵り合っていると、ギルアンは思い出した。
水やりの量やタイミング、温度などの厳重な管理方法について、ベルナデッタは本にまとめていたことを。
その事実を思い出した彼は、活路を見出した気持ちでセリーヌに呼びかける。
「ベルナデッタの資料を探せ! 栽培方法をまとめた本がどこかにあるはずだ!」
「ギ、ギルアン様……もしかしてその本とは……あの日燃やしてしまった本ではありませんか?」
意気込んだギルアンは固まる。
婚約破棄と国外追放を命じた日の光景が思い出された。
――邪魔な女が遺した小汚い本。
暖炉の火に放り込んだとき、たしかに二人はそう思った。
「君はなんて酷いことをしてくれたんだ!」
「ギルアン様も一緒に暖炉に放り込んだでしょう! 私一人のせいにしないでください!」
醜い争いを再開するギルアンとセリーヌの目は、ふと机の上の羊皮紙に引き寄せられた。
整理整頓された手紙のようだ。
ぼんやりと中身を目で追うや否や、二人の心には強い焦燥感が生まれる。
〔この鈴玲花は、花好きの亡き友人から預かった大切な種だ。彼は終ぞ、生きている間は咲く様を見られなかった。弔いとして咲かしてやってほしい〕
想像よりずっと重い事情が明らかとなり、二人は激しい焦燥感に駆られた。
国外追放されたときベルナデッタは鈴玲花の栽培について話そうとしたのだが、ギルアンに脅されたので伝えられなかったのだ。
セリーヌはもはや何も言えず、呆然と佇むばかりだった。
ギルアンも混乱と絶望に囚われそうになったが、ある光景を想像したらよからぬ欲望が生み出した。
上質な魔石を使った剣を振るい、令嬢たちの黄色い歓声を浴びる姿だ。
「なんとしても誤魔化すぞ」
「ギルアンさ……!」
「貴重な褒美を逃してたまるか。君だってネックレスが欲しいんじゃないのか?」
セリーヌはハッとする。
彼女の脳裏には第一王子から求婚される光景が浮かび、焦燥感も忘れて高揚した。
「……たしかにそうですわね。協力して誤魔化しましょう」
褒美が欲しい二人は嘘を吐くことを決め、自らの首を絞める偽装工作を始める。
□□□
後日、ジェフリーが執事とともに植物園を訪れた。
若い頃は金色だった髪は白くなり、澄んだ碧眼はどこかくすんでいる。
それでも、背中がまっすぐ伸びた姿勢の良さと目力の強さは老いを感じさせなかった。
漆黒のステッキと灰色の帽子からは品の良さが漂う。
鈴玲花の現状を知らぬジェフリーは、いたって気さくに挨拶する。
「ギルアン、久しぶりだな。変わりないか?」
「はい、問題ございません。ジェフリー御祖父様もお元気そうでなによりです」
「お前はそう言うが、最近は少し歩くだけで膝が痛くなってたまらんよ。……ところでベルナデッタ嬢に挨拶したいのだがどこにいる?」
ジェフリーの言葉に、ギルアンはあくまでも落ち着いた様子で答えた。
「先日、彼女は体調を崩してしまいまして……フォーセット伯爵家が治める田舎で療養しております」
「おや、それは初耳だな。具合は大丈夫なのか?」
「ええ、疲れが溜まったようです。ただ仕事をできる状態ではないので、今はベルナデッタの義妹――セリーヌが植物園を管理しております」
「初めまして、ジェフリー様。セリーヌでございます。なにぶん、急な体調不良だったので交代のご連絡ができず失礼いたしました」
セリーヌは静々とカーテシーする。
彼女が引き継いだ、というのも嘘の一つだった。
ジェフリーは残念な表情を浮かべる。
「……そうだったか。であれば、また日を改めて訪れることにしよう」
「お待ちください、ジェフリー御祖父様。セリーヌが管理しているので何も問題はありません。一通り見てからお帰りになられてはいかがでしょうか? 鈴玲花もきちんと管理した甲斐があり、元気に咲いておりますよ。なにぶん繊細な花なので、なるべく早く見ていただきたく……」
「それもそうだな。機会を逸してはならん。さっそく案内を頼む」
先ほどから、ギルアンとセリーヌの目は執事が持つ物品に突き刺さっている。
剣を納めているあろう長い箱と、ネックレスが入っていそうな小箱だ。
「失礼ですが、彼が持つのは褒美でしょうか。であれば、僕たちが代わりに預かっておきます。必ずやベルナデッタに渡しますのでご安心ください」
「そうか? だったら非常に助かるが……」
「お任せください。念のため中身を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「よし……おい、開けてくれ」
箱が開けられると、輝かしい光がギルアンとセリーヌを照らした。
剣もネックレスも想像以上の出来映えで、文字通り喉から手が出るほど欲しくなる。
(絶対手に入れるぞ……)
(わたくしの素晴らしいネックレスが目の前に……)
箱に戻されたところで、二人は案内を開始する。
植物園の中を進むジェフリーは、周囲で育つ貴重な植物に感嘆とした。
「相変わらずここは立派だな。まさしく王国一の空間だ」
ベルナデッタの心血注ぐ丁寧な世話の貯金が少なからず残っており、大部分の植物たちはまだ生存できていた。
よって、表面上の異常は見えなかったのだ。
中央の小屋に向かいながら、ジェフリーはベルナデッタに対する賞賛を口にする。
「お前たちもよくわかっているだろうが、彼女は本当に素晴らしい人物だ。誰も育てられなかった植物を何種類も育て上げ、地上から姿を消した絶滅植物さえ復活させた。これは王国史大変な功績だ。だから、我が輩は鈴玲花の種をベルナデッタ嬢に預けたのだ」
「「ははは、そうでしたか」」
開花を早く見たいとも話す彼の言葉に、ギルアンもセリーヌも渇いた笑いで答える。
例の小屋に入るや否や、ジェフリーは机に置かれた代物に目を輝かせた。
「鈴玲花が咲いたのだな! よくやった!」
「ええ、セリーヌは本当に優秀な女性なのですよ」
「お義姉様よりずっと有能だと自負しておりますの」
ガラスドームに収まるのは、特徴的な鐘の形をした淡いピンク色の小さい花だ。
感動のあまり震えるジェフリーの後ろで、ギルアンとセリーヌは悪意の滲む顔を見合わせる。
二人が考えた策は、鈴玲花と似たような花を用意することだ。
使用人に王国中の植物を調べさせたところ、幸いなことに形が似た花――桃鈴蘭があった。
ガラスドームもわざと光の屈折が強くなるよう特注品を用意し、この日を凌ぐことを決めたのだ。
年老いたジェフリーは目が悪いと聞いていたので、誤魔化せるのは確実だった。
(さあ、花を見たらさっさと帰ってくれ)
(これでもう十分でしょう。早くご褒美のネックレスをくださいな)
欲望を募らせる二人は、ガラスドームを外そうとするジェフリーを慌てて止めた。
「ジェフリー御祖父様、いったいなにを……?」
「危ないですわ。おやめください」
「鈴玲花の音を聞きたいのだ。心が洗われるような美しい音色という。良い機会だ、お前たちも聞きなさい」
「「お、お待ちくださ……っ!」」
回収する間もなく、ガラスドームが外された。
楽しみに胸を躍らすジェフリーは、剥き出しとなった花を優しく揺する。
軽やかに響くはずの音は……まったく聞こえなかった。
揺らし方が悪かったのかと、もう一度丁寧に揺らす。
音は鳴らない。
数回繰り返したジェフリーは全てを理解し、数段重い声で言う。
「これは鈴玲花ではないな?」
声音だけで深い怒りが伝わってくる。
ギルアンもセリーヌも、恐ろしくて彼の顔を見ることができなかった。
床の模様を眺める中、苛だらしげにステッキが叩かれる。
観念したようにギルアンは白状した。
「はい……桃鈴蘭でございます」
「本物の鈴玲花はどこにある?」
今度は、セリーヌが戸棚の奥から別のガラスドームを取り出した。
机に置かれたそれを見て、ジェフリーはくつくつと笑う。
「なるほど、桃鈴蘭か。たしかに、鈴玲花と似ていることで有名だ。音を鳴らさねば儂も気づかなかっただろう…………ふざけるな!!」
小屋の窓ガラスが割れるかと思うほどの怒号が響く。
机上に置かれたのは、見るも無惨な鈴玲花の残骸だった。
「この花はただの花ではない! 亡き友人から預かった大切な花なんだ! それを……それを……枯らしたというのか!」
「い、いえ、枯らしたのではありません! 僕たちが来たときにはすでに枯れており……ベルナデッタの詰めが甘かったのです!」
「そうですわ! お義姉様が引き継ぎをしっかりやらなかったのが原因です!」
「ベルナデッタ嬢はそんなに適当な人間ではないのだ!」
ジェフリーは何枚もの手紙を机に叩きつける。
いずれも鈴玲花の栽培について、ベルナデッタが事細かにジェフリーに共有した手紙だった。
種の保管方法や輸送方法に至るまで、彼女は何冊もの文献を調べ、最適な方法を提案した。 努力の痕跡そのもので、ジェフリーは彼女が蔑まされることにも大変な怒りを感じた。
「よくわかった、もういい。貴様らは儂の友人に二度死ねと、そう言いたいのだな?」
「「違……っ!」」
「これほど性悪な侮辱を受けたのは我が人生で初めてだ。幸いなことに、鈴玲花の種はまだ残っている。儂はベルナデッタ嬢を探す。やはり、彼女にしかこの仕事はできん。愚かなギルアンにセリーヌよ。この件は国王夫妻にも伝えさせてもらう。……いろいろと覚悟しておくのだな」
吐き捨てるように言うと、ジェフリーは執事とともにさっさと立ち去った。
取り残された二人はしばし呆然と佇んでいたが、じわじわと焦燥感に駆られた。
国王夫妻に報告されたら……と思うと、何をすればいいのかわからないほどだ。
欲しい褒美も貰えなかったことにも怒りを覚える。
「セリーヌ、君のせいで大変な目に遭ったぞ! どうしてくれる! 褒美も無しだ!」
「また、わたくしの責任なのですか!? ギルアン様も同罪でしょう!」
二人は激しい口論を始める。
今は互いを責めることでしか精神を保てなかった。
これ以上の仕打ちはないはずだと互いに思っていたが、単なる破滅の序章にしか過ぎない。