母国を追われた草いじり令嬢は、敵国で『宮廷植物医』として新生活を満喫しています~元婚約者様と義妹、お元気ですか? 貴重な植物が全て枯れ、さらに私が渡した大事な園芸書を燃やした?じゃあ、もう無理ですね~
第19話:宮廷植物医、皇太子と帝都の街を散策する
功績の立役者であるベルナデッタはしばし休んだ後、植物を襲った毒の解毒薬の開発を進める日々をジュリエットとともに送った。
望む結果が出たため、二人はラルフの執務室を訪れた。
「殿下、ベルナデッタでございます」
「あたしもいるよ」
「鍵は空いている。入ってくれ」
入室する二人に、ラルフは報告書を見せながら話す。
「金穂麦の生産は極めて順調だ。生産体制はほとんど元に戻ったと言っていい」
「あの一件を経て、カッセル侯爵は精神的にも強くなられたと聞きました」
主に研究棟にいたベルナデッタの耳にも噂や風聞の類いは入っており、彼の変化に嬉しさを感じるのだった。
「その彼の成長についてだが、本人は君のおかげだと言っている」
「いや、しかし……私は何もしていないと思いますが」
ベルナデッタは少し混乱する。
金穂麦を復活させるため、ただ畑を歩いていただけだ。
それがどうして、と疑問に思う彼女にラルフは告げる。
「脇目も振らず必死に頑張る君に感銘を受けたそうだ」
「……そうでしたか」
――自分の行動が他人に良い影響を与えていた。
それは素直に嬉しく、ベルナデッタはなんとも言い難いじわじわとした温かさを感じるのだった。
傍らのジュリエットも誇らしげな笑顔を浮かべる。
カッセル侯爵領の話が終わったところで、ベルナデッタは本題を切り出した。
「殿下、解毒薬の開発経過を報告します。結論から申しますと、試作品が完成しました。あと少しで最終調整が終わります」
「ずいぶんと早いな、さすがだ。君が来てくれてから、今まで進まなかった問題がどんどん解決できている」
彼女が机上に置いたガラス瓶には澄んだ青色の液体が収められる。
窓から差し込む陽光に反射し、宝石のような煌めきがあった。
この五日間、様々な分野を幅広く検討した結果、ベルナデッタは自身の魔力を薬に閉じ込める方法を考え出したのだ。
実際に植物に作用させたところ有効性が確認され、ジュリエットが応用することで土壌にも効果が示された。
ラルフは大切にガラス瓶を撫でる。
「薬として君の魔力を注がれれば、植物も元気になるだろう。土壌の浄化が可能なら入れ替えも必要なくなるし、備蓄の種も蒔ける」
「今はジュリエットさんと一緒に最終調整を行っている段階です。解毒薬の開発は順調なのですが、毒の散布方法についてはもう少し時間が必要になりそうです。申し訳ありません」
「いや、君が謝る必要はまったくない。カッセル侯爵領の穀倉地帯復活に解毒薬の開発、これだけでも相当な仕事だ。日々、帝国のために尽力してくれる君を労うにはどうしようかと考えたのだが……」
そこで言葉を切ると、彼は普段よりやや硬い表情で切り出した。
「私が帝都の街を案内する、というのはどうだ?」
「ぜひ、お願いしたいです! いつか歩いてみたいと思ってました! しかし、殿下はお忙しくないでしょうか」
「君が活躍してくれたおかげで、だいぶ仕事も落ち着いてきた。街案内するくらいの時間はあるさ。それに、定期的に民の様子を見るのも皇太子の重要な仕事だ。君には特別に言うが、変装してたまに街を訪れている。混乱を避けるため、今回もそうするつもりだ」
(殿下の予定は大丈夫みたいね。解毒薬はどうしようかしら。完成させてからの方が……)
ベルナデッタの疑問を察したかのように、ジュリエットが明るい調子で彼女自身を親指で指す。
「解毒薬のことならあたしに任せな。もう難しい部分は乗り越えたし、ベルナがいなくても完成させられるさ。諸注意もたくさん教えてくれたしね。だから街に行っておいで。ラルフじゃないけど、この国をもっとよく知ることも大事だと思うよ」
「ありがとうございます。では、ジュリエットさんもよろしくお願いします」
今日の午後、さっそく街に繰り出すことが決まった。
ちなみに、散策を提案したときのラルフの表情が硬かった理由は単なる緊張だった。
ベルナデッタがそれを知るのは、もう少し先の話になる。
自室に戻りキャシーに経緯を話すと、今までで一番というくらい彼女の瞳は輝いた。
「いつもよりおしゃれしないと! せっかくこんなに洋服を用意してもらったんだから!」
「なんであなたが張り切るの」
カッセル侯爵領から帰った後、いつの間にか服が増えていた。
聞くところによると、ラルフが手配してくれたらしい。
どれも、フォーセット伯爵家でセリーヌが買い占めていた物より数段階上質だ。
準備は自分で行いたかったが、嬉しそうなキャシーを見るとそれは憚られた。
(キャシーが楽しいのなら私も楽しいわ)
ベルナデッタは髪を梳かされ、いろいろな服を当てられ、まるで着せ替え人形のようにお世話される。
そっと握る銀色のコインからは穏やかな温かさが感じられるのだった。
□□□
準備が終わり自室で待っていると、扉の上の方でノックが叩かれた。
場所からラルフだとわかるようになった。
入ってきた彼を見たベルナデッタは思わず感心してしまう。
長い髪は後ろでアップにまとめ、細縁の眼鏡をかけていた。
服装もいつもの正装とは異なり清潔なシャツがラフな印象だ。
(帝国に初めて来たときより、殿下の顔をしっかり見るようになった気がする。どうしてだろう……)
「どこからどう見ても殿下とはわかりません。好青年な雰囲気が素敵です」
「そうか、それならよかった。君も……洒落た格好だな」
ベルナデッタも普段の出で立ちとは違い、緑の髪が映える深紅のワンピースを着ていた。
実はキャシーがこっそりラルフの瞳の色と合わせたのだが、肝心の本人たちが気づくことはなかった。
ラルフは少しばかり無言で佇んだ後、思い出したように告げた。
「街には転送魔法で行こう。私の近くに立ってくれ」
「はい」
ここでも距離の近さを感じながら、ベルナデッタは優しい光に包まれる。
光が収まると路地裏にいた。
石畳の路面にラルフとともに立っている。
「ここは人払いの魔法をかけてあるからいつも人がいない。大通りはすぐそこだ、ついてきなさい」
彼に続いて歩を進め、大通りに出たベルナデッタは歓声を上げた。
「うわぁ……賑やかですね!」
頑丈で広い街道では何台もの馬車が行き交い、方々から通行人や住民の雑多な声が飛び交う。
笑顔を浮かべる人々からは生活の豊かさが伝わった。
家々の壁はベージュや赤土色など様々だが色合いに統一感があり、落ち着いた空気を感じさせる。
人通りは多いがラルフの変装に気づく者はおらず、みな思い思いに街を行き交う。
(アトラ王国の王都より栄えているわね)
住民はベルナデッタに気づくと我先にと駆け寄り、感謝の言葉をかけては歓待した。
「街に降りてくるのは初めてではありませんか? お近くで見られて光栄です」
「あなたがいると思ったら不安も心配もする必要はありませんね」
人だかりが引いた後も反対側の道から手を振る者がいたりと、ベルナデッタに対する住民の熱意がよく伝わった。
「君は人気者だな。皇太子の私より好かれているだろう」
「恐縮です。好きなことをしていただけですので……」
「それがすごいと言うんだ。さて、観光名所と言われる場所はいくつかあるが、どこか行きたいところはあるか?」
「でしてら本屋さんがあったらお邪魔したいです。植物関連の本があればと」
「わかった。街で一番の本屋に案内しよう。ここからそう遠くないところにある」
「お願いします、殿……こほん、フル様」
ベルナデッタは咳払いしてラルフの偽名を言い直す。
(正体がバレないように気をつけないと……でも、なんだか不思議な感じ)
楽しい気持ちを感じながら案内されること、およそ数分。
二人は目的地に到着した。
七階建ての巨大な本屋で、書物を開いたような形の看板が印象的だ。
ここでもベルナデッタは歓待され、ラルフは通い慣れた足で店内を進み、四階の南側で立ち止まった。
「植物に関する本はこのエリアだ。最低でも五百冊はあると聞いた」
図書館と言われても不思議ではない蔵書量にベルナデッタの目は輝く。
「ご、五百冊……これほど立派な本屋さんは生まれて初めて見ました。ああ、植物がいっぱいで夢のような……!」
周囲を見渡した彼女は、とある本を見つけた。
東の山脈地帯に関する植物図鑑だ。
まだ読んだことのない書物であり、非常に興味を惹かれた。
店員の許可を得て試し読みすると、その精緻で美しい挿絵に目を奪われてしまった。
葉脈一本一本に至るまで非常に細かく描かれており、眺めるだけで心が躍る。
軽く目を通しただけで、美しいだけじゃなく学術的にも非常に価値が高いとすぐわかった。
(これは絶対に欲しい! アトラ王国のお金は換金してもらったから手持ちもあるし……っ!)
さりげなく値段を確認したらなかなかの金額だったので、ベルナデッタは深呼吸して気合いを入れる。
「ラル様、少々お待ちいただけますか? お会計をしてきますので」
「その必要はない。私が買おう」
「え? あ、あの……っ!」
ラルフはいとも簡単に回収するとカウンターに持っていってしまった。
止める間もなく会計が済まされ、丁寧に梱包された本が渡される。
「ちょうど、君には実績に見合う贈り物を渡したいと思っていたところだ」
「で、でも、ずいぶんと高かったはずでは……」
「まぁ、私の気持ちだ。受け取ってくれるとありがたい」
ラルフの瞳はほんの僅かに緩む。
険しい表情だったり無表情の多い彼だが、ベルナデッタは自分でも知らぬ間に微妙な違いがわかるようになっていた。
「……そういうことでしたら謹んでいただきます。すごく嬉しいです」
彼女は大切に図鑑を抱く。
紙にはないはずの温かいぬくもりが伝わった。
本屋を出た後は、そろそろ昼食でも取ろうとカフェに案内された。
隠れ家的なコンセプトのある店らしく、深いターコイズブルーの壁と焦げ茶色の床が調和した落ち着きを作る。
テーブルや椅子といった家具も洗練された物が揃う。
センスのいい個室に通され、ベルナデッタは柔らかな椅子に身を沈める。
「大通りの店に比べたら人の出入りは少ないが、料理の味やサービスの質の高さは私が保証する」
「フル様の選ぶお店は素晴らしいに決まっています」
互いにメニューを頼み、大して待つこともなく料理が運ばれてくる。
ベルナデッタが頼んだのはこんがり焼けたローストビーフサンドで、ラルフの前には海鮮豊富なパスタが置かれた。
目を輝かせる彼女に、店員は至極嬉しそうに言う。
「ベルナデッタ様がいらっしゃるなんて、この上ない名誉ですよ。小麦料理が出せるなんていつぶりのことか……。お代は結構ですからね。好きなだけお召し上がりください」
店員はベルナデッタをいつまでも褒め称え、当の本人は恐縮し、ラルフは静かに笑顔を浮かべるのだった。
食前の祈りを捧げ、一緒に口に運ぶ。
カリッとした軽やかな食感とともに、塩気の効いた柔らかい肉の風味が鮮やかに広がった。
「……おいしい。やっぱり、フル様の仰るとおりでしたね」
「気に入ってくれて、私も嬉しい」
二人っきりの食事は静かに、それでいて楽しく過ぎていく。
食事が終わり外を案内されると、公園を思わせる大きな広場に出た。
「ここは中央広場だ。帝都の街で一番最初に建設された」
「へぇー、いいですね。まさしく、憩いの場という雰囲気がのんびりできます。広くて開放感がありますし」
噴水の前ではパンくずを撒く老婆がいて、何匹もの鳥が集まっていた。
鳥たちは我先にと忙しなく路面を歩いてはパンくずを啄む。
微笑ましい光景に、ベルナデッタは自然と頬が緩んだ。
「可愛らしいですね。フォーセット伯爵家の庭でもあんな光景をよく見ました」
「貴重なパンくずを鳥に与えるなど、以前の植物事情ならば考えられなかった。君の恩恵を感じる光景だ」
広場も散策しようと歩を進めようとするのだが、ベルナデッタの目は何かに釘付けになった。
鳥が歩く様子だ。
不思議と視線を動かせない。
(なんでこんなに気になるんだろう。ただ、鳥が餌を食べようと歩いているだけなのに……そうか!)
閃光が煌めいたベルナデッタは手を伸ばし、いきなり握り締められたラルフは激しく動揺する。
「ど、どうした、何があった?」
「今すぐ宮殿に戻りましょう! 毒の散布方法がわかったんです!」
望む結果が出たため、二人はラルフの執務室を訪れた。
「殿下、ベルナデッタでございます」
「あたしもいるよ」
「鍵は空いている。入ってくれ」
入室する二人に、ラルフは報告書を見せながら話す。
「金穂麦の生産は極めて順調だ。生産体制はほとんど元に戻ったと言っていい」
「あの一件を経て、カッセル侯爵は精神的にも強くなられたと聞きました」
主に研究棟にいたベルナデッタの耳にも噂や風聞の類いは入っており、彼の変化に嬉しさを感じるのだった。
「その彼の成長についてだが、本人は君のおかげだと言っている」
「いや、しかし……私は何もしていないと思いますが」
ベルナデッタは少し混乱する。
金穂麦を復活させるため、ただ畑を歩いていただけだ。
それがどうして、と疑問に思う彼女にラルフは告げる。
「脇目も振らず必死に頑張る君に感銘を受けたそうだ」
「……そうでしたか」
――自分の行動が他人に良い影響を与えていた。
それは素直に嬉しく、ベルナデッタはなんとも言い難いじわじわとした温かさを感じるのだった。
傍らのジュリエットも誇らしげな笑顔を浮かべる。
カッセル侯爵領の話が終わったところで、ベルナデッタは本題を切り出した。
「殿下、解毒薬の開発経過を報告します。結論から申しますと、試作品が完成しました。あと少しで最終調整が終わります」
「ずいぶんと早いな、さすがだ。君が来てくれてから、今まで進まなかった問題がどんどん解決できている」
彼女が机上に置いたガラス瓶には澄んだ青色の液体が収められる。
窓から差し込む陽光に反射し、宝石のような煌めきがあった。
この五日間、様々な分野を幅広く検討した結果、ベルナデッタは自身の魔力を薬に閉じ込める方法を考え出したのだ。
実際に植物に作用させたところ有効性が確認され、ジュリエットが応用することで土壌にも効果が示された。
ラルフは大切にガラス瓶を撫でる。
「薬として君の魔力を注がれれば、植物も元気になるだろう。土壌の浄化が可能なら入れ替えも必要なくなるし、備蓄の種も蒔ける」
「今はジュリエットさんと一緒に最終調整を行っている段階です。解毒薬の開発は順調なのですが、毒の散布方法についてはもう少し時間が必要になりそうです。申し訳ありません」
「いや、君が謝る必要はまったくない。カッセル侯爵領の穀倉地帯復活に解毒薬の開発、これだけでも相当な仕事だ。日々、帝国のために尽力してくれる君を労うにはどうしようかと考えたのだが……」
そこで言葉を切ると、彼は普段よりやや硬い表情で切り出した。
「私が帝都の街を案内する、というのはどうだ?」
「ぜひ、お願いしたいです! いつか歩いてみたいと思ってました! しかし、殿下はお忙しくないでしょうか」
「君が活躍してくれたおかげで、だいぶ仕事も落ち着いてきた。街案内するくらいの時間はあるさ。それに、定期的に民の様子を見るのも皇太子の重要な仕事だ。君には特別に言うが、変装してたまに街を訪れている。混乱を避けるため、今回もそうするつもりだ」
(殿下の予定は大丈夫みたいね。解毒薬はどうしようかしら。完成させてからの方が……)
ベルナデッタの疑問を察したかのように、ジュリエットが明るい調子で彼女自身を親指で指す。
「解毒薬のことならあたしに任せな。もう難しい部分は乗り越えたし、ベルナがいなくても完成させられるさ。諸注意もたくさん教えてくれたしね。だから街に行っておいで。ラルフじゃないけど、この国をもっとよく知ることも大事だと思うよ」
「ありがとうございます。では、ジュリエットさんもよろしくお願いします」
今日の午後、さっそく街に繰り出すことが決まった。
ちなみに、散策を提案したときのラルフの表情が硬かった理由は単なる緊張だった。
ベルナデッタがそれを知るのは、もう少し先の話になる。
自室に戻りキャシーに経緯を話すと、今までで一番というくらい彼女の瞳は輝いた。
「いつもよりおしゃれしないと! せっかくこんなに洋服を用意してもらったんだから!」
「なんであなたが張り切るの」
カッセル侯爵領から帰った後、いつの間にか服が増えていた。
聞くところによると、ラルフが手配してくれたらしい。
どれも、フォーセット伯爵家でセリーヌが買い占めていた物より数段階上質だ。
準備は自分で行いたかったが、嬉しそうなキャシーを見るとそれは憚られた。
(キャシーが楽しいのなら私も楽しいわ)
ベルナデッタは髪を梳かされ、いろいろな服を当てられ、まるで着せ替え人形のようにお世話される。
そっと握る銀色のコインからは穏やかな温かさが感じられるのだった。
□□□
準備が終わり自室で待っていると、扉の上の方でノックが叩かれた。
場所からラルフだとわかるようになった。
入ってきた彼を見たベルナデッタは思わず感心してしまう。
長い髪は後ろでアップにまとめ、細縁の眼鏡をかけていた。
服装もいつもの正装とは異なり清潔なシャツがラフな印象だ。
(帝国に初めて来たときより、殿下の顔をしっかり見るようになった気がする。どうしてだろう……)
「どこからどう見ても殿下とはわかりません。好青年な雰囲気が素敵です」
「そうか、それならよかった。君も……洒落た格好だな」
ベルナデッタも普段の出で立ちとは違い、緑の髪が映える深紅のワンピースを着ていた。
実はキャシーがこっそりラルフの瞳の色と合わせたのだが、肝心の本人たちが気づくことはなかった。
ラルフは少しばかり無言で佇んだ後、思い出したように告げた。
「街には転送魔法で行こう。私の近くに立ってくれ」
「はい」
ここでも距離の近さを感じながら、ベルナデッタは優しい光に包まれる。
光が収まると路地裏にいた。
石畳の路面にラルフとともに立っている。
「ここは人払いの魔法をかけてあるからいつも人がいない。大通りはすぐそこだ、ついてきなさい」
彼に続いて歩を進め、大通りに出たベルナデッタは歓声を上げた。
「うわぁ……賑やかですね!」
頑丈で広い街道では何台もの馬車が行き交い、方々から通行人や住民の雑多な声が飛び交う。
笑顔を浮かべる人々からは生活の豊かさが伝わった。
家々の壁はベージュや赤土色など様々だが色合いに統一感があり、落ち着いた空気を感じさせる。
人通りは多いがラルフの変装に気づく者はおらず、みな思い思いに街を行き交う。
(アトラ王国の王都より栄えているわね)
住民はベルナデッタに気づくと我先にと駆け寄り、感謝の言葉をかけては歓待した。
「街に降りてくるのは初めてではありませんか? お近くで見られて光栄です」
「あなたがいると思ったら不安も心配もする必要はありませんね」
人だかりが引いた後も反対側の道から手を振る者がいたりと、ベルナデッタに対する住民の熱意がよく伝わった。
「君は人気者だな。皇太子の私より好かれているだろう」
「恐縮です。好きなことをしていただけですので……」
「それがすごいと言うんだ。さて、観光名所と言われる場所はいくつかあるが、どこか行きたいところはあるか?」
「でしてら本屋さんがあったらお邪魔したいです。植物関連の本があればと」
「わかった。街で一番の本屋に案内しよう。ここからそう遠くないところにある」
「お願いします、殿……こほん、フル様」
ベルナデッタは咳払いしてラルフの偽名を言い直す。
(正体がバレないように気をつけないと……でも、なんだか不思議な感じ)
楽しい気持ちを感じながら案内されること、およそ数分。
二人は目的地に到着した。
七階建ての巨大な本屋で、書物を開いたような形の看板が印象的だ。
ここでもベルナデッタは歓待され、ラルフは通い慣れた足で店内を進み、四階の南側で立ち止まった。
「植物に関する本はこのエリアだ。最低でも五百冊はあると聞いた」
図書館と言われても不思議ではない蔵書量にベルナデッタの目は輝く。
「ご、五百冊……これほど立派な本屋さんは生まれて初めて見ました。ああ、植物がいっぱいで夢のような……!」
周囲を見渡した彼女は、とある本を見つけた。
東の山脈地帯に関する植物図鑑だ。
まだ読んだことのない書物であり、非常に興味を惹かれた。
店員の許可を得て試し読みすると、その精緻で美しい挿絵に目を奪われてしまった。
葉脈一本一本に至るまで非常に細かく描かれており、眺めるだけで心が躍る。
軽く目を通しただけで、美しいだけじゃなく学術的にも非常に価値が高いとすぐわかった。
(これは絶対に欲しい! アトラ王国のお金は換金してもらったから手持ちもあるし……っ!)
さりげなく値段を確認したらなかなかの金額だったので、ベルナデッタは深呼吸して気合いを入れる。
「ラル様、少々お待ちいただけますか? お会計をしてきますので」
「その必要はない。私が買おう」
「え? あ、あの……っ!」
ラルフはいとも簡単に回収するとカウンターに持っていってしまった。
止める間もなく会計が済まされ、丁寧に梱包された本が渡される。
「ちょうど、君には実績に見合う贈り物を渡したいと思っていたところだ」
「で、でも、ずいぶんと高かったはずでは……」
「まぁ、私の気持ちだ。受け取ってくれるとありがたい」
ラルフの瞳はほんの僅かに緩む。
険しい表情だったり無表情の多い彼だが、ベルナデッタは自分でも知らぬ間に微妙な違いがわかるようになっていた。
「……そういうことでしたら謹んでいただきます。すごく嬉しいです」
彼女は大切に図鑑を抱く。
紙にはないはずの温かいぬくもりが伝わった。
本屋を出た後は、そろそろ昼食でも取ろうとカフェに案内された。
隠れ家的なコンセプトのある店らしく、深いターコイズブルーの壁と焦げ茶色の床が調和した落ち着きを作る。
テーブルや椅子といった家具も洗練された物が揃う。
センスのいい個室に通され、ベルナデッタは柔らかな椅子に身を沈める。
「大通りの店に比べたら人の出入りは少ないが、料理の味やサービスの質の高さは私が保証する」
「フル様の選ぶお店は素晴らしいに決まっています」
互いにメニューを頼み、大して待つこともなく料理が運ばれてくる。
ベルナデッタが頼んだのはこんがり焼けたローストビーフサンドで、ラルフの前には海鮮豊富なパスタが置かれた。
目を輝かせる彼女に、店員は至極嬉しそうに言う。
「ベルナデッタ様がいらっしゃるなんて、この上ない名誉ですよ。小麦料理が出せるなんていつぶりのことか……。お代は結構ですからね。好きなだけお召し上がりください」
店員はベルナデッタをいつまでも褒め称え、当の本人は恐縮し、ラルフは静かに笑顔を浮かべるのだった。
食前の祈りを捧げ、一緒に口に運ぶ。
カリッとした軽やかな食感とともに、塩気の効いた柔らかい肉の風味が鮮やかに広がった。
「……おいしい。やっぱり、フル様の仰るとおりでしたね」
「気に入ってくれて、私も嬉しい」
二人っきりの食事は静かに、それでいて楽しく過ぎていく。
食事が終わり外を案内されると、公園を思わせる大きな広場に出た。
「ここは中央広場だ。帝都の街で一番最初に建設された」
「へぇー、いいですね。まさしく、憩いの場という雰囲気がのんびりできます。広くて開放感がありますし」
噴水の前ではパンくずを撒く老婆がいて、何匹もの鳥が集まっていた。
鳥たちは我先にと忙しなく路面を歩いてはパンくずを啄む。
微笑ましい光景に、ベルナデッタは自然と頬が緩んだ。
「可愛らしいですね。フォーセット伯爵家の庭でもあんな光景をよく見ました」
「貴重なパンくずを鳥に与えるなど、以前の植物事情ならば考えられなかった。君の恩恵を感じる光景だ」
広場も散策しようと歩を進めようとするのだが、ベルナデッタの目は何かに釘付けになった。
鳥が歩く様子だ。
不思議と視線を動かせない。
(なんでこんなに気になるんだろう。ただ、鳥が餌を食べようと歩いているだけなのに……そうか!)
閃光が煌めいたベルナデッタは手を伸ばし、いきなり握り締められたラルフは激しく動揺する。
「ど、どうした、何があった?」
「今すぐ宮殿に戻りましょう! 毒の散布方法がわかったんです!」