母国を追われた草いじり令嬢は、敵国で『宮廷植物医』として新生活を満喫しています~元婚約者様と義妹、お元気ですか? 貴重な植物が全て枯れ、さらに私が渡した大事な園芸書を燃やした?じゃあ、もう無理ですね~
第7話:宮廷植物医、食事を楽しみ安らかな眠りに就く
通された食堂――"月影の間"は、多くても十人ほどで満員になる規模の大きさだった。
壁と天井は藍色で、星を思わせる銀色の粒子が美しい。
ベルナデッタはラルフとマティアスが座してから、自分も丸テーブルに腰掛けた。
丁寧に撫でつけられた白い卓布は皺一つなく非常に清潔だ。
「静かで落ち着いた空間ですね。夜空に浮かんでいるみたいです」
「ああ、この部屋に入るたび私も同じ感想を抱く。植物騒動が起きてからは専らこの部屋で食事を取っているな。わざわざ大食堂で無駄な準備をさせる必要もない」
「宮殿の角にあるから静かだし、政策や方針を相談するのにちょうどいいんだよね」
二人の会話に、ベルナデッタはアトラ王国での日々が思い出された。
王国の宮殿でギルアンと食事する機会が少なからずあったが、彼はいつも大食堂で食べた。 周囲には大量の使用人を侍らせ、毎回料理の提供が遅いだとか、愛想が悪いだとか強い文句を言うのだ。
萎縮した使用人を見ては、決まって彼は上機嫌になった。
地位が下の者に強く出ることで、自分の優位性を示していたのだ。
一方、目の前のマティアスはもちろんのこと、ラルフだって使用人に厳しく当たることはない。
それでも怖がられているのはわかるが……。
(人間性の違いを感じるな)
などと思う彼女は、運ばれてきた料理を見た瞬間に瞳を輝かせた。
「わぁっ……豪華なお食事ですね!」
温かい湯気が立ち上る琥珀色のスープや、濃厚なソースがかけられた分厚い肉料理、バターの芳しい香りが漂う魚のムニエルなどなど多種多様な食事が並ぶ。
いずれもアトラ王国のものより何段階も上質だと、実際に食べなくともよくわかった。
一方で、野菜を使った料理はなく、パンやガレットといった一般的な主食もない。
ベルナデッタは植物を愛でるのと同じくらい食すのも好きなので、どこか寂しい気持ちを抱いた。
「やっぱり植物はないんですね。緑がないのは寂しいです」
「そうだな、私も彩りの少なさは日々感じている。エーデル帝国は多種多様な動物が育つし、南は海にも面しているので魚も多い。以前は植物も豊富だったのだが、奇病の影響で最近はめっきり食べていない。国民には備蓄用の乾燥野菜を配っているから、むしろ彼らの方がまだ野菜や果物は食べられているだろうな」
「それでも数には限りがあるし、宮殿の備蓄も底をついてきた。いずれにせよ、早急な解決が求められる状況に変わりはないんだ。長期間こんな流通環境だったら栄養も偏ってしまうしね」
二人の話を聞き、ベルナデッタは自然と背筋が伸びた。
(責任重大ね。頑張らなきゃ)
庭園やリーベルの樹を直接見て、現状の厳しさはすでに痛いほどよくわかっている。
彼女の気概が伝わったラルフはわずかに頬を緩ませるが、ベルナデッタが気づくことはなかった。
「では、温かいうちにいただくとしよう。この際だ、君には帝国における食前の祈りの方法を教えておく」
王国では胸の辺りで手を組んだが、帝国では額の前で組むのが正式な所作とのことだった。 祈りを捧げた三人は思い思いの料理を口に運ぶ。
スープを飲んだベルナデッタは、おいしさのあまり目を見張った。
(……おいしい! きっとお肉からスープを取ったのね。香ばしさと甘みが身体に優しく溶け込んでいく。塩加減も絶妙でとても深い味わいだわ。小さく刻まれたお肉も柔らかくておいしい)
味や香り以外にも、澄んだ琥珀色が宝石のように美しくて目を楽しませてくれる。
続けて食べたムニエルもまた絶品であり、ふわっとした軽やかさがありながら、真っ白の身はしっとりと繊細だ。
噛み締めるたびにバターの風味が引き出され、一口食べてはまた次の一口を食べたくなる。
音を立てないようマナーに気をつけながらも、ベルナデッタは食器が止まらなかった。
そんな彼女にマティアスが楽しそうに微笑みかける。
「帝国の食事は気に入ってくれたかい?」
「はい! 本当にとってもおいしくてしょうがないです。王国とはまた味つけが新鮮でフォークが止まりません。……あっ、すみません。一人でたくさん食べてしまって」
「そんなことは気にしなくていいんだよ、ベルナ嬢。好きなだけ食べてくれ」
ラルフは表情は特に変わらないものの、無言でこくりと頷いた。
しばし食事を楽しみながら、ベルナデッタは彼に頼む。
「なるべく早く帝国に育つ植物の知識を学びたいのですが、本を読ませてもらってもいいでしょうか」
「図鑑の類いは王立図書館に収蔵されている。入室の許可は私が出そう。明日にでも入室できるようにする」
ありがとうございます、と答えたら、マティアスが興味深そうな様子で身を乗り出した。
「ところで、ベルナ嬢は王国では何をしていたの? 薬師とか?」
「宮殿で植物園の管理を任されていました。元は実家のフォーセット伯爵家で運営していたのですが国王陛下に招聘されまして。それ以来、ほとんどを宮殿の植物園で過ごしました」
「へぇー、伯爵家! 育ちがよさそうだなとは思ったけど、ずいぶんと高位の貴族の出身だったんだね」
ベルナデッタは自分の境遇を伝えるべきか逡巡したが、すぐに話そうと決意する。
事情はラルフたちも知っていた方が良いだろうし、元よりそれほど気にしていないこともその理由であった。
「実は、第二王子と婚約していたのですが破棄され……さらには国外追放まで命じられたのです」
衝撃を受けたラルフとマティアスは息を飲む。
一方のベルナデッタは特に取り乱すこともなく、淡々と帝国を訪れるに至った経緯を話した。
「どこに行こうか考えたところ、せっかくなら以前からどんな植物がいるか気になっていたエーデル帝国に行きたいと思ったのです。自分で実際に触れて育てるためにも、早く植物たちを元気にしたいですね」
「わざわざ敵対国に行きたいという話から何かしらの理由があるとは思ったが……。まさか、婚約破棄されていたとはな。今までの対応で失礼があったら謝罪したい」
「どうかお気になさらないでください。相手のことは綿毛ほども好きではありませんでしたし、むしろ婚約破棄されて嬉しかったんです。ようやく自由の身になれたと……植物のことだけを考えられるんだと」
ベルナデッタは本心を伝える。
婚約破棄を告げられたとき、まず彼女が感じたのは爽快感だった。
常になんとなく重かった肩が軽くなった瞬間は記憶に新しい。
明るい笑顔で話すベルナデッタにラルフも安心した。
「そうか、それならよかった。では、帝国と王国が敵対するに至った経緯について話しておこう。君も知っているだろうが、その原因は五十年前の軍事衝突だ。当時、エーデル帝国を治めていたのは先々代皇帝――要するに私の祖父だ。祖父は愛国心の強さが諸外国への圧力に変わる人物だった。衝突の発端は、アトラ王国による国境への誤進入だ」
当時、大雪により国境線が一時的に不明瞭となった。
天候は悪化の一途を辿り、やがて猛吹雪が発生する。
王国の国境警備隊の一人が道に迷って遭難した。
それを助けようと部隊が進んだ先は帝国の領土。
遭難者は見つけたものの霧が晴れたら侵攻だと誤解され、大規模な軍事衝突にまで発展した……。
という経緯を端的に説明したラルフは静かに茶を飲み、ベルナデッタも緊張で渇いた喉を潤した。
「これは誰が悪いという話ではない。吹雪の遭難は不運な事故だし、助けようとするのは当たり前だ。他国の部隊が自国領内にいたら侵攻を疑うのも当然だ。ただ、もう少し冷静な対応ができなかったものか……私は今でも戒めにしている」
「エーデル帝国とアトラ王国はずっとこのままなんでしょうか」
「我が帝国は王国を侵略する意思はないし、むしろ同盟を結びたいと考えている。何度か王国側に歩み寄ろうとしたが、先方は拒絶の意思が硬い。万が一にでも戦争に発展してはまずいから、定期的に演習を行い形式上の牽制をしている状況だ。……国同士の関係とは難儀なものだな」
最後はため息交じりとなったラルフの話に、ベルナデッタは険しい表情で思う。
王国で聞いた話とはまるで異なったからだ。
帝国は強硬な軍拡を推し進め周辺国への圧力を強めているとか、国民に圧政を敷いているとか、悪い噂ばかりだった。
国交が樹立されていないので情報が入ってこない事情もあるだろうが、王族周辺が悪評を広めている場面をベルナデッタは見た経験がある。
もちろんのこと、ラルフとマティアスは全ての噂を否定した。
(実際に自分の目で見て耳で聞かないと真実はわからない……ってことだわ)
五十年前というと王国は先代国王の統治時代だ。
彼もまた好戦的な人物で知られ、実際にその性格に起因した数々の公式記録が残っている。
良い政策や結果もあったが、そうではない内容の方が多かった。
(誤解が軍事衝突にまで発展したのは、何も帝国だけが原因ではないのでしょうね)
帝国は悪い国だという風潮や余韻が今でも継続しているのは、王族の中で何かのしがらみがあったり、先代国王の遺志などが関係しているのかもしれない。
「両国は仲良くなれないものですかね……。植物関連で私も何か力になれたらいいのですが」
「そうしてくれたら私も非常にありがたい。そして、君には先に伝えておくが……」
ラルフはマティアスを一瞥した後、淡々とした落ち着きのある声音で告げた。
「帝国の植物が枯れた原因は……人為的なものだと私は推測している」
「……誰かが病気を流行らせたということですか?」
「詳細はわからん。まだ、ただの勘にすぎない。君の他はマティアスしか知らない話だから他言はしないでほしい」
「わかりました。誰にも言いません」
照明に照らされた部屋は明るい。
だが、得体の知れない何かが蠢いているような不穏さがベルナデッタの胸にはあった。
三人での食事はあっという間に終わってしまった。
マティアスは一足先に仕事に戻り、ラルフが滞在先となる四階の客室に案内してくれた。
「ここが君の部屋になる。使うことはないだろうが、念のためこれを渡しておこう」
ベルナデッタは銀色の小さなコインを貰う。
金属製の鎖と輪がつけられており、装飾品の一種かと思った。
「あの、これは……?」
「私の魔力を込めた防犯用の魔導具だ。叩きつけたり握り締めたり、強い力を加えると私の元に合図が届く。何者かに危害を加えられそうになってもすぐに駆けつけられる」
「なるほど、防犯魔導具ですか。あまりあちこち出歩かないようにいたします」
「君は仮にも敵国の人間だからな。今後宮殿の人間たちに紹介する機会を設けるが、中には快く思わない者がいるかもしれない。もし奇病の原因が人間だった場合、君が何かしらの目的の邪魔になると考える可能性さえある。宮殿内には警備の騎士が多数いるものの、念のため警戒しておきたいのだ」
「……ありがとうございます」
ベルナデッタはコインをそっと握る。
冷たさの中に温かさがある不思議な感触だった。
「食事のときも話したが、不幸中の幸いか肉や魚などは豊富なので食糧の確保はできている。旅の疲れもあるだろう。数日ほどはゆっくりしてくれて構わん。では、私はこれで失礼する」
「お休みなさいませ」
部屋には小さいながら立派な備え付けの風呂まであり、ベルナデッタは旅の疲れをのんびりと癒すことができた。
潜り込んだベッドは清潔な香りと手触りが身体を優しく包む。
天井を見ながら思い出すのは、今日一日の出来事だ。
(奴隷商人に捕まったときはどうなることかと思ったけど……殿下に出会えて本当によかった)
彼が潜入調査をしていなければ、確実に奴隷としてどこかに売り払われていた。
身の安全が確保された他にも、もう一つ別の安心感がベルナデッタを包む。
(雰囲気は怖いけど、殿下も噂とは違う優しい人だった。少なくとも、"冷眼の皇太子"なんて呼び名にはふさわしくないくらいには……)
胸元のコインを優しく握る。
貰ったこれはいつも首から下げておくことにした。
(こうしておくと気持ちが落ち着くから)
彼女が思う以上に疲れはたまっていたのか、瞳を閉じるや否や眠りに落ちる。
夜空では数え切れないほどの星が瞬いていた。
壁と天井は藍色で、星を思わせる銀色の粒子が美しい。
ベルナデッタはラルフとマティアスが座してから、自分も丸テーブルに腰掛けた。
丁寧に撫でつけられた白い卓布は皺一つなく非常に清潔だ。
「静かで落ち着いた空間ですね。夜空に浮かんでいるみたいです」
「ああ、この部屋に入るたび私も同じ感想を抱く。植物騒動が起きてからは専らこの部屋で食事を取っているな。わざわざ大食堂で無駄な準備をさせる必要もない」
「宮殿の角にあるから静かだし、政策や方針を相談するのにちょうどいいんだよね」
二人の会話に、ベルナデッタはアトラ王国での日々が思い出された。
王国の宮殿でギルアンと食事する機会が少なからずあったが、彼はいつも大食堂で食べた。 周囲には大量の使用人を侍らせ、毎回料理の提供が遅いだとか、愛想が悪いだとか強い文句を言うのだ。
萎縮した使用人を見ては、決まって彼は上機嫌になった。
地位が下の者に強く出ることで、自分の優位性を示していたのだ。
一方、目の前のマティアスはもちろんのこと、ラルフだって使用人に厳しく当たることはない。
それでも怖がられているのはわかるが……。
(人間性の違いを感じるな)
などと思う彼女は、運ばれてきた料理を見た瞬間に瞳を輝かせた。
「わぁっ……豪華なお食事ですね!」
温かい湯気が立ち上る琥珀色のスープや、濃厚なソースがかけられた分厚い肉料理、バターの芳しい香りが漂う魚のムニエルなどなど多種多様な食事が並ぶ。
いずれもアトラ王国のものより何段階も上質だと、実際に食べなくともよくわかった。
一方で、野菜を使った料理はなく、パンやガレットといった一般的な主食もない。
ベルナデッタは植物を愛でるのと同じくらい食すのも好きなので、どこか寂しい気持ちを抱いた。
「やっぱり植物はないんですね。緑がないのは寂しいです」
「そうだな、私も彩りの少なさは日々感じている。エーデル帝国は多種多様な動物が育つし、南は海にも面しているので魚も多い。以前は植物も豊富だったのだが、奇病の影響で最近はめっきり食べていない。国民には備蓄用の乾燥野菜を配っているから、むしろ彼らの方がまだ野菜や果物は食べられているだろうな」
「それでも数には限りがあるし、宮殿の備蓄も底をついてきた。いずれにせよ、早急な解決が求められる状況に変わりはないんだ。長期間こんな流通環境だったら栄養も偏ってしまうしね」
二人の話を聞き、ベルナデッタは自然と背筋が伸びた。
(責任重大ね。頑張らなきゃ)
庭園やリーベルの樹を直接見て、現状の厳しさはすでに痛いほどよくわかっている。
彼女の気概が伝わったラルフはわずかに頬を緩ませるが、ベルナデッタが気づくことはなかった。
「では、温かいうちにいただくとしよう。この際だ、君には帝国における食前の祈りの方法を教えておく」
王国では胸の辺りで手を組んだが、帝国では額の前で組むのが正式な所作とのことだった。 祈りを捧げた三人は思い思いの料理を口に運ぶ。
スープを飲んだベルナデッタは、おいしさのあまり目を見張った。
(……おいしい! きっとお肉からスープを取ったのね。香ばしさと甘みが身体に優しく溶け込んでいく。塩加減も絶妙でとても深い味わいだわ。小さく刻まれたお肉も柔らかくておいしい)
味や香り以外にも、澄んだ琥珀色が宝石のように美しくて目を楽しませてくれる。
続けて食べたムニエルもまた絶品であり、ふわっとした軽やかさがありながら、真っ白の身はしっとりと繊細だ。
噛み締めるたびにバターの風味が引き出され、一口食べてはまた次の一口を食べたくなる。
音を立てないようマナーに気をつけながらも、ベルナデッタは食器が止まらなかった。
そんな彼女にマティアスが楽しそうに微笑みかける。
「帝国の食事は気に入ってくれたかい?」
「はい! 本当にとってもおいしくてしょうがないです。王国とはまた味つけが新鮮でフォークが止まりません。……あっ、すみません。一人でたくさん食べてしまって」
「そんなことは気にしなくていいんだよ、ベルナ嬢。好きなだけ食べてくれ」
ラルフは表情は特に変わらないものの、無言でこくりと頷いた。
しばし食事を楽しみながら、ベルナデッタは彼に頼む。
「なるべく早く帝国に育つ植物の知識を学びたいのですが、本を読ませてもらってもいいでしょうか」
「図鑑の類いは王立図書館に収蔵されている。入室の許可は私が出そう。明日にでも入室できるようにする」
ありがとうございます、と答えたら、マティアスが興味深そうな様子で身を乗り出した。
「ところで、ベルナ嬢は王国では何をしていたの? 薬師とか?」
「宮殿で植物園の管理を任されていました。元は実家のフォーセット伯爵家で運営していたのですが国王陛下に招聘されまして。それ以来、ほとんどを宮殿の植物園で過ごしました」
「へぇー、伯爵家! 育ちがよさそうだなとは思ったけど、ずいぶんと高位の貴族の出身だったんだね」
ベルナデッタは自分の境遇を伝えるべきか逡巡したが、すぐに話そうと決意する。
事情はラルフたちも知っていた方が良いだろうし、元よりそれほど気にしていないこともその理由であった。
「実は、第二王子と婚約していたのですが破棄され……さらには国外追放まで命じられたのです」
衝撃を受けたラルフとマティアスは息を飲む。
一方のベルナデッタは特に取り乱すこともなく、淡々と帝国を訪れるに至った経緯を話した。
「どこに行こうか考えたところ、せっかくなら以前からどんな植物がいるか気になっていたエーデル帝国に行きたいと思ったのです。自分で実際に触れて育てるためにも、早く植物たちを元気にしたいですね」
「わざわざ敵対国に行きたいという話から何かしらの理由があるとは思ったが……。まさか、婚約破棄されていたとはな。今までの対応で失礼があったら謝罪したい」
「どうかお気になさらないでください。相手のことは綿毛ほども好きではありませんでしたし、むしろ婚約破棄されて嬉しかったんです。ようやく自由の身になれたと……植物のことだけを考えられるんだと」
ベルナデッタは本心を伝える。
婚約破棄を告げられたとき、まず彼女が感じたのは爽快感だった。
常になんとなく重かった肩が軽くなった瞬間は記憶に新しい。
明るい笑顔で話すベルナデッタにラルフも安心した。
「そうか、それならよかった。では、帝国と王国が敵対するに至った経緯について話しておこう。君も知っているだろうが、その原因は五十年前の軍事衝突だ。当時、エーデル帝国を治めていたのは先々代皇帝――要するに私の祖父だ。祖父は愛国心の強さが諸外国への圧力に変わる人物だった。衝突の発端は、アトラ王国による国境への誤進入だ」
当時、大雪により国境線が一時的に不明瞭となった。
天候は悪化の一途を辿り、やがて猛吹雪が発生する。
王国の国境警備隊の一人が道に迷って遭難した。
それを助けようと部隊が進んだ先は帝国の領土。
遭難者は見つけたものの霧が晴れたら侵攻だと誤解され、大規模な軍事衝突にまで発展した……。
という経緯を端的に説明したラルフは静かに茶を飲み、ベルナデッタも緊張で渇いた喉を潤した。
「これは誰が悪いという話ではない。吹雪の遭難は不運な事故だし、助けようとするのは当たり前だ。他国の部隊が自国領内にいたら侵攻を疑うのも当然だ。ただ、もう少し冷静な対応ができなかったものか……私は今でも戒めにしている」
「エーデル帝国とアトラ王国はずっとこのままなんでしょうか」
「我が帝国は王国を侵略する意思はないし、むしろ同盟を結びたいと考えている。何度か王国側に歩み寄ろうとしたが、先方は拒絶の意思が硬い。万が一にでも戦争に発展してはまずいから、定期的に演習を行い形式上の牽制をしている状況だ。……国同士の関係とは難儀なものだな」
最後はため息交じりとなったラルフの話に、ベルナデッタは険しい表情で思う。
王国で聞いた話とはまるで異なったからだ。
帝国は強硬な軍拡を推し進め周辺国への圧力を強めているとか、国民に圧政を敷いているとか、悪い噂ばかりだった。
国交が樹立されていないので情報が入ってこない事情もあるだろうが、王族周辺が悪評を広めている場面をベルナデッタは見た経験がある。
もちろんのこと、ラルフとマティアスは全ての噂を否定した。
(実際に自分の目で見て耳で聞かないと真実はわからない……ってことだわ)
五十年前というと王国は先代国王の統治時代だ。
彼もまた好戦的な人物で知られ、実際にその性格に起因した数々の公式記録が残っている。
良い政策や結果もあったが、そうではない内容の方が多かった。
(誤解が軍事衝突にまで発展したのは、何も帝国だけが原因ではないのでしょうね)
帝国は悪い国だという風潮や余韻が今でも継続しているのは、王族の中で何かのしがらみがあったり、先代国王の遺志などが関係しているのかもしれない。
「両国は仲良くなれないものですかね……。植物関連で私も何か力になれたらいいのですが」
「そうしてくれたら私も非常にありがたい。そして、君には先に伝えておくが……」
ラルフはマティアスを一瞥した後、淡々とした落ち着きのある声音で告げた。
「帝国の植物が枯れた原因は……人為的なものだと私は推測している」
「……誰かが病気を流行らせたということですか?」
「詳細はわからん。まだ、ただの勘にすぎない。君の他はマティアスしか知らない話だから他言はしないでほしい」
「わかりました。誰にも言いません」
照明に照らされた部屋は明るい。
だが、得体の知れない何かが蠢いているような不穏さがベルナデッタの胸にはあった。
三人での食事はあっという間に終わってしまった。
マティアスは一足先に仕事に戻り、ラルフが滞在先となる四階の客室に案内してくれた。
「ここが君の部屋になる。使うことはないだろうが、念のためこれを渡しておこう」
ベルナデッタは銀色の小さなコインを貰う。
金属製の鎖と輪がつけられており、装飾品の一種かと思った。
「あの、これは……?」
「私の魔力を込めた防犯用の魔導具だ。叩きつけたり握り締めたり、強い力を加えると私の元に合図が届く。何者かに危害を加えられそうになってもすぐに駆けつけられる」
「なるほど、防犯魔導具ですか。あまりあちこち出歩かないようにいたします」
「君は仮にも敵国の人間だからな。今後宮殿の人間たちに紹介する機会を設けるが、中には快く思わない者がいるかもしれない。もし奇病の原因が人間だった場合、君が何かしらの目的の邪魔になると考える可能性さえある。宮殿内には警備の騎士が多数いるものの、念のため警戒しておきたいのだ」
「……ありがとうございます」
ベルナデッタはコインをそっと握る。
冷たさの中に温かさがある不思議な感触だった。
「食事のときも話したが、不幸中の幸いか肉や魚などは豊富なので食糧の確保はできている。旅の疲れもあるだろう。数日ほどはゆっくりしてくれて構わん。では、私はこれで失礼する」
「お休みなさいませ」
部屋には小さいながら立派な備え付けの風呂まであり、ベルナデッタは旅の疲れをのんびりと癒すことができた。
潜り込んだベッドは清潔な香りと手触りが身体を優しく包む。
天井を見ながら思い出すのは、今日一日の出来事だ。
(奴隷商人に捕まったときはどうなることかと思ったけど……殿下に出会えて本当によかった)
彼が潜入調査をしていなければ、確実に奴隷としてどこかに売り払われていた。
身の安全が確保された他にも、もう一つ別の安心感がベルナデッタを包む。
(雰囲気は怖いけど、殿下も噂とは違う優しい人だった。少なくとも、"冷眼の皇太子"なんて呼び名にはふさわしくないくらいには……)
胸元のコインを優しく握る。
貰ったこれはいつも首から下げておくことにした。
(こうしておくと気持ちが落ち着くから)
彼女が思う以上に疲れはたまっていたのか、瞳を閉じるや否や眠りに落ちる。
夜空では数え切れないほどの星が瞬いていた。