【1話からの長編大賞用】冴えなかった元彼が、王子様に変身して帰ってきた。
その瞬間、悠里の手に持っていたグラスが大理石でできたカウンターテーブルの上に滑り落ちた。
ガシャンッと鼓膜を刺すようなグラスの割れる強い音と共に、中に入っていたブランデーが波紋のように広がっていく。
ツンとしたアルコールの匂いが鼻を突いたとき、悠里の頭の中は真っ白になった。
「今、なんて……?」
「い、いやいやまずガラスの破片拾うところから始めない!?ほら、奥畑ちゃんのスカートの上にも破片飛んじゃってるから!」
バーの店員と一緒に高元は溢れた液体を拭き取り、グラスの破片をそっと拾い上げた。
いつもなら周りに気を配る悠里だけれど、このときばかりは目もくれずに何度も高元の一言が頭の中を支配していく。
「(社長令嬢と、縁談──?)」
どこかで聞いたことのある内容に、眩暈がした。
ふと思い出されたのは、かつて裕一に呪いのように吐き捨てられた言葉たち。
『その男がいつまで悠里のそばにいてくれると思うの?』
『いずれ、彼も僕と同じ選択をすると思うよ?』
それらが鮮明な声となって悠里の脳内を駆け巡る。
だんだんと呼吸が浅くなって、視界がぐらりと揺れた。足元から床が崩れ落ちていくような絶望感が悠里を蝕んでいく。
「お、奥畑ちゃん?」
「そ、それって……ただの噂、ですよね?」
「いやぁ、それがただの噂じゃないっぽいんだよねぇ。結城紗彩って知ってる?四ツ谷食品の現社長の娘さん」
店員から渡されたおしぼりでカウンターを拭きながら、高元は話を続ける。
「今度、新しく始まるプロジェクトも丹波と社長の娘が関わるらしいし?それにうちの社長自体も丹波のことを結構気に入ってるらしくて、家族や親戚たちとバーベキューするからぜひ参加してくれって言われるとか?」
「そんなっ」
「まぁ、でも優秀なやつほどそうやって上に登っていくんだろうな」
悠里は心の中で何度も自問自答を繰り返していた。
──また私は捨てられてしまうの?
……いや、理人くんがそんなことするはずない。
──でも、裕一さんも言っていたじゃない。いつか自分と同じ道を辿ることになるって。
……理人くんだけは違う。私のこと、絶対離さないって言ってくれたから。
──そんなの、過去に裕一さんだって言っていたでしょ?
……違う、嫌だ、理人くんだけは違う!
浮かび上がってくる心の声を何度も否定した。
けれど、一度植え付けられたトラウマはそう簡単に怯んではくれない。
じわりと滲む涙のせいで、視界が歪んでいく。
目の前で割れたグラスを片付ける高元の姿ですら、今は遠くに感じられた。