【1話からの長編大賞用】冴えなかった元彼が、王子様に変身して帰ってきた。
「え、奥畑ちゃん大丈夫?」
完全に心ここにあらずといった様子の悠里を見て、これが只事ではないことだけはすぐに理解した。
いくら情報通な男とはいえ、悠里の過去の出来事まで把握していない高元には、たかが社長の娘との縁談の噂にここまで怯えているのかわからなかった。
けれど、高元は傷ついた女の癒やし方と崩し方だけは熟知している。
高元はマスターに新しいカクテルをオーダーすると、しっかりと悠里と目を合わせて口を開いた。
「まぁ、理人ってそんな悪いやつじゃないんだろうけどさ?あぁいう天才は凡人とは違うんだよな、きっと」
「……っ」
「だから悠里ちゃんさ、いっぺん俺のことも見てみるってのはどう?あいつばっかりじゃなくてさ──……」
甘い誘惑と共に、高元の大きな手が悠里の華奢な肩へと伸びていく。
完全に思考を奪われて、避けることすら忘れて硬直する悠里。高元のその指先が、彼女の衣服に触れようとしたそのとき。
バンッと鼓膜を打つような鋭い音をたてながら、壊れるほどの勢いで激しく扉が開けられた。
心地よいジャズの音色に包まれていた大人の空間が、一瞬にして凍りつく。
「──返して、舜」
悠里の耳に、世界で一番安心できる人の声が届いた。
そこに立っていたのは、激しい怒りと焦燥感を隠そうともせず、肩で大きく息をする理人だった。
相当焦っていたのか、髪は乱れ、スーツのネクタイは鬱陶しそうに引き剥がされている。
隙のないエリート王子様の仮面は剥がれ落ちていた。そこにあるのは、悠里と高元の姿を見て怒りを抑えているような、これまで見たことがない様子の恋人の姿だった。
「……ゲッ。もう見つかったのかよ」
そう言葉を漏らして項垂れた高元は、まるで理人がここへ来ることを知っていたかのような口ぶりだった。
理人はそんなおちゃらけた様子の高元を一瞥すらせず、長い歩幅で真っ直ぐに悠里の元へ歩み寄った。
そして、ため息を吐きながら最後の一杯を飲み干す高元を払いのけて、悠里の細い手首を掴む。
「理人、くん……っ?」
その手つきはいつもの理人からは想像もつかないほど強引だった。
「帰るよ、悠里ちゃん」
「あのっ、私……!」
理人は悠里の鞄を自分の肩に掛けながら、カウンターの椅子から悠里を下ろして帰りを促す。
そして高元へと視線を向けて、ひどく冷めた目つきで見下ろした。
「ごめんけど、悠里ちゃんだけは渡せないよ……舜」
「ハッ!その顔、王子の仮面が崩れちゃってるよ理人」
二人の間に流れる張り詰めた空気を切り裂くように、理人はそのまま悠里の身体を抱き寄せるように引き寄せながらバーの外へと連れ出した。
十二月の夜は痛いくらいに冷たかった。
二人の吐息は白く染まっていく。
理人は無言で停車させていた車の助手席を開けて、悠里を乗せる。そして自分も運転席に腰を下ろした途端、間髪入れずに悠里を思いきり抱きしめた。
「理人くん、あの、私、ごめんなさい……っ」
ギュッと力強く抱きしめてくる背中から、理人の身体が微かに震えているのが伝わってきた。
普段の理人からは想像もできないほどの焦り具合に、悠里はその罪悪感が涙を浮かべる。