【1話からの長編大賞用】冴えなかった元彼が、王子様に変身して帰ってきた。
「ですが、過去に一年だけ日本の本社で働いていたとき、周りからはコネ入社だ、何もできないお飾りだ、言われてしまっていて一番苦しかったとき、唯一私を一人の仕事仲間として対等に扱ってくれて、励ましてくれたのが丹波さんでした」
紗彩の大きな瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
理人がどれほど誠実に仕事と向き合って、たくさんの人たちに手を差し伸べて救ってきたのかという証明でもあった。同時にそれは、紗彩と理人の間に、悠里の知らない歴史と絆があるという事実を突きつけていた。
「ずっと、好きだったんです。……こんなこと、丹波さんの恋人である奥畑さんに言ってしまって、本当にごめんなさい。でも、私は……このチャンスを逃したくないって思ってしまうんですっ」
涙ながらに訴えかける紗彩の姿は、同性の悠里から見ても胸が締め付けられるほど純粋で、切なかった。
彼女は決して悠里から理人を奪い取ろうとマウントをとっているわけではない。ただ、長年一人で抱え込んできた本当の想いを、どうしても抑えきれなくなってしまっただけなのだ。
「(理人くんって、やっぱりすごい人なんだな)」
理人の優しさや愛情は、ときに毒となってしまうことがある。
彼の底なしの愛に一度浸ってしまうと、どんどん欲さずにはいられなくなることを誰よりも知っているのは悠里だった。
理人の人間性や為人は、こうしていろんな人の心を惹き寄せてしまう。
悠里にとってそれは彼の最大の自慢であり、最大の弱点でもあった。
ここで「そうですか」と言って身を引けたら、どんなに楽だろう。
二人のほうが自分よりもお似合いだからといって身を引くことができたら、すべて丸く収まるのに。
けれど、それができないくらいに悠里は理人のことを愛してしまっていた。
〝いやぁ、流石に奥畑さん勝ち目ないでしょ〟
〝まぁでも、相手があの王子様ともなれば手放したくはないよねぇ〟
他人からそんなふうに言われても、簡単に納得して別れの選択ができるほど大人でもない。
「どうして……っ」
どうしてこうも上手に恋ができないのだろう。
ただ普通に好きな人と恋をして、結ばれたいだけだ。
「(私は別に、理人くんが王子様じゃなくてもよかったのにっ)」
キラキラした姿を他の人にはみせないで。
他人に優しくしないで、微笑まないで、気遣いだってしないで。
──他の人に、取られてしまうから。
「(こんなことを思う醜い私を知ったら、理人くんも幻滅しちゃうかな)」
その点、紗彩は自分の気持ちを素直に悠里に伝えた。
本来であれば悠里よりも立場の高い彼女が、何度も謝って、それでも諦めきれないのだと率直に自ら言いにきた。
「……結城さんの気持ちは、よく分かりました」
「奥畑さん……っ」
「でも、だからと言って私から別れる……とは言えません」
情けなく声は震えていた。
真っ直ぐに悠里の目を合わせてくる紗彩とは違って、きっと動揺の色さえ隠せてはいなかった。
それでも、この言葉だけは決して曲げなかった。
悠里はそれだけ伝えて一礼すると、立ち尽くす紗彩に背を向けてその場を静かに立ち去った。
今にも泣き崩れてしまいそうな自分を奮い立たせながら、誰にも見られないように──。