十秒怪談
内見
不動産会社に勤めるSさんから聞いた話だ。
彼には、客を内見に案内する際の定石がある。
三つの物件を回る場合、一軒目には少し条件の悪い部屋を、二軒目にはかなり条件の悪い部屋を見せ、三軒目に価格帯に見合った本命の部屋をぶつける。
比較によって、三軒目をより魅力的な部屋だと強く認識させ、契約に漕ぎつける手法だという。
その日、Sさんは一人暮らしをはじめる男子大学生を案内していた。
作戦は順調で、二軒目までを見終えた青年はあからさまに落胆した様子を見せていた。
Sさんはすかさず、「次は駅から離れますが、さっきの部屋より築浅ですし、何より希望されていた日当たりに優れた部屋です」などと声をかけ、最後の物件へと車を走らせた。
案内した三軒目は、Sさんがとっておきとして用意していた小綺麗で明るいワンルームだ。きっと気に入ってくれるはずだと、Sさんは期待に胸を膨らませて玄関のドアを開けた。
想定通り、南向きの窓からは強い日差しが差し込んでおり、手狭な部屋の床は半分以上が白く染まっている。
しかし、Sさんは営業スマイルを貼り付けたまま、入り口で固まってしまった。
部屋の中央に、女が立っていたのだ。
背後から光を受けているにしても、異常なまでに、その女の全身は黒い影に沈み込んでいた。
顔の目鼻立ちも判然としないし、着ている服もよく見えない。
シルエットから、彼女がスカートを穿いていることだけはわかった。
立ち尽くすSさんの背後から、「どうしました?」と青年が声をかけてきた。
どうやら彼には、女の姿は見えていないらしかった。Sさんがぎくしゃくとした動きでスリッパを土間に置くと、青年はそれを履き、躊躇なく室内へと足を踏み入れた。彼は窓際へと軽やかに進んでいく。
Sさんが「あっ」と制止の声を漏らしたが青年には届かず、彼の肩が女の腕にぶつかった。
女の身体が、ぐらりと大きく揺れる。
それでも青年はまったく気づく様子がなく、窓の外を眺める。
呆然とするSさんをよそに、青年は振り返って無邪気に笑った。
「景色はなんてことないですけど、本当に日当たりがいいですね」
女はすぐとなりに突っ立っている。
青年の着ていた白いシャツの肩口は、黒く煤けて汚れていた。
Sさんは、それとなく青年を別の物件へと誘導しようと試みた。しかし、皮肉にも定石がうまくはまりすぎていた。
彼は三軒目のその部屋をすっかり気に入ってしまい、そのまま契約に至った。
入居から一ヶ月が経つ。
「今のところ、苦情や相談の連絡は入っていないのですが」
Sさんはそう言って、不安げな顔を見せた。
彼には、客を内見に案内する際の定石がある。
三つの物件を回る場合、一軒目には少し条件の悪い部屋を、二軒目にはかなり条件の悪い部屋を見せ、三軒目に価格帯に見合った本命の部屋をぶつける。
比較によって、三軒目をより魅力的な部屋だと強く認識させ、契約に漕ぎつける手法だという。
その日、Sさんは一人暮らしをはじめる男子大学生を案内していた。
作戦は順調で、二軒目までを見終えた青年はあからさまに落胆した様子を見せていた。
Sさんはすかさず、「次は駅から離れますが、さっきの部屋より築浅ですし、何より希望されていた日当たりに優れた部屋です」などと声をかけ、最後の物件へと車を走らせた。
案内した三軒目は、Sさんがとっておきとして用意していた小綺麗で明るいワンルームだ。きっと気に入ってくれるはずだと、Sさんは期待に胸を膨らませて玄関のドアを開けた。
想定通り、南向きの窓からは強い日差しが差し込んでおり、手狭な部屋の床は半分以上が白く染まっている。
しかし、Sさんは営業スマイルを貼り付けたまま、入り口で固まってしまった。
部屋の中央に、女が立っていたのだ。
背後から光を受けているにしても、異常なまでに、その女の全身は黒い影に沈み込んでいた。
顔の目鼻立ちも判然としないし、着ている服もよく見えない。
シルエットから、彼女がスカートを穿いていることだけはわかった。
立ち尽くすSさんの背後から、「どうしました?」と青年が声をかけてきた。
どうやら彼には、女の姿は見えていないらしかった。Sさんがぎくしゃくとした動きでスリッパを土間に置くと、青年はそれを履き、躊躇なく室内へと足を踏み入れた。彼は窓際へと軽やかに進んでいく。
Sさんが「あっ」と制止の声を漏らしたが青年には届かず、彼の肩が女の腕にぶつかった。
女の身体が、ぐらりと大きく揺れる。
それでも青年はまったく気づく様子がなく、窓の外を眺める。
呆然とするSさんをよそに、青年は振り返って無邪気に笑った。
「景色はなんてことないですけど、本当に日当たりがいいですね」
女はすぐとなりに突っ立っている。
青年の着ていた白いシャツの肩口は、黒く煤けて汚れていた。
Sさんは、それとなく青年を別の物件へと誘導しようと試みた。しかし、皮肉にも定石がうまくはまりすぎていた。
彼は三軒目のその部屋をすっかり気に入ってしまい、そのまま契約に至った。
入居から一ヶ月が経つ。
「今のところ、苦情や相談の連絡は入っていないのですが」
Sさんはそう言って、不安げな顔を見せた。