く ち な し―身代わりの恋
大橋の体温を感じて、ようやく私の震えはおさまる。
大橋を部屋にあげ、ネオン進出の件で商店街と衝突が続いている事も話した。

「警察には?」

「……え?」

大橋がお茶で汚れたカーペットを見て繰り返した。

「暴行受けた事、警察に訴えないの?」

ー―″暴行″

今まで無縁だった言葉が事態の重さを物語る。

「……未遂だったから」

「顔は叩かれただろ?」

そうだけど。

″言ったら、今度は町全体であんたを追い込むからな″

服部さんの鋭い目を思い出すと、体が震えて凍てついてくる。

「主人の過去と未来の計画を、とても憎んでる人なの……。これ以上ぶつかると、この町に住めなくなってしまうから」

そうなると。
また選挙が始まった時に多大な影響が出てしまうような気がして、事件を明るみにするのは怖かった。

「この町じゃなくても生きていけるよ」

「……どういう意味?」

大橋はティッシュを何枚か手に取ると、丁寧に濡れたカーペットに染み込ませながら言った。

「そんなに、ここで議員の妻でいる事が大事?」

私を見る目はちょっと冷たい。

「……わ、私だって、どうせなら普通の会社員の奥さんになりたかったの」

祐介が弁護士で留まってくれていたら、どんなに楽だったか。

「そ? なら、また被害に遭わない為にも、出るところに出ていいと思うけどね」

大橋は、お茶を拭き取った重いティッシュを、ポイッとゴミ箱に見事に入れ当てる。

「俺は、いつも側にはいられないから、そうしてくれた方が安心だよ。心配だから」

まるで本物の恋人のような言葉をくれる。


″あの男は、あんたじゃない、名士であるあんたの父さんと結婚したんだから ″

屈辱的な言葉を思い出したら、もう痛くないはずの頬がジンジンと痛み出した。
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