執愛隠した策士な御曹司は偽装婚約で激情露わに囲い堕とす
それを聞いた千花は、混乱しながら相手に確認する。
「あの、本日の取材は十一時からだったのでは」
『いえ。十時と鳳栄社さまから伺っております』
取材対象のブランドを待たせてしまっているのだとわかり、千花は静かに青ざめる。
そしてスマートフォンを握る手に力を込め、慌てて申し出た。
「すみません、今すぐそちらに向かいます。タクシーで行くので、三十分、もしくは四十分ほど時間がかかってしまうのですけど、お待ちいただけますか」
『大変申し訳ございませんが、このあと予定がありまして、取材は受けかねます。改めてこちらからご連絡を差し上げるという形でよろしいでしょうか』
「それは……」
『失礼いたします』
通話が切れ、千花は呆然としてスマートフォンを持った手を下ろす。
(今日の取材、わたしは午前十一時からだって聞いていた。なのに十時に変更したのは、一体誰?)
電話の向こうの山瀬は、「十時と鳳栄社さまから伺っております」と言っていた。
今日の取材は雑誌エレナの記事として掲載される予定のもので、スケジュールは担当編集者の怜子がセッティングしたはずだ。彼女とは昨日届いた見本誌の内容で揉めたばかりであり、千花の中に疑念がこみ上げる。
(わたしが書いた記事が無断で書き換えられていたことや、次の締め切りが早まったのを伝えられていなかったこと、そして今日の取材時間の変更。全部が立て続けに起こって、わたしに不利に働いてる。これって一体どういうこと……?)
しかもそれらは別々の発注先で起こったことではなく、すべて鳳栄社の仕事だ。
ぐっと顔を歪めた千花はスマートフォンを開き、怜子に電話をかけた。しかし何度コールしても彼女は出ず、そのまま駅に向かう。
一連のトラブルに怜子が関わっているのは確かであり、その真意を問い質したかった。こんなことが続くのなら、鳳栄社の仕事を受けることはできない。何より友人だと思っていた彼女がなぜ急に嫌がらせのような行動をするのか、理由があるならそれを確かめたくて仕方がなかった。
地下鉄を乗り継いだ千花は、神保町にある鳳栄社の社屋を訪れる。そしてエレナ編集部に入り、近くにいた社員に声をかけた。
「すみません、外部ライターとして契約をしております佐久田と申しますが、大倉さんをお願いできますか」
「少々お待ちください」
応接スペースに通されて待つこと数分、パーテーションの向こうから五十代前半の女性が現れる。
それは編集長の村井で、千花は立ち上がって頭を下げた。
「お世話になっております。本日はお約束もなく訪ねてきて、申し訳ありません。大倉さんは……」
「大倉はただいま外出しております。それより佐久田さん、今日の十時に予定されていたエクリプセラの取材を、連絡もなくすっぽかされたそうですね。弊社がセッティングした案件ですが、先方は大変お怒りです。一体なぜこのようなことになったのか、理由を説明していただけますか」
村井の静かな怒りを感じた千花は、表情を改める。そして背すじを伸ばして説明した。
「エクリプセラの取材につきまして、わたしは本日午前十一時と大倉さんから伝えられておりました。時間変更の連絡は何も受けておらず、先方からのお電話で事態を把握した次第です」
「先ほど大倉に電話で聞き取りをしたところ、佐久田さんには直接お会いした際に時間の変更を口頭で確かに伝えたとのことでした。また、今月号のエレナにご寄稿いただきました記事につきましても、『佐久田さんから「勝手に内容を書き換えた」と言われた』『修正に関しては都度確認を取っているにもかかわらずそのように言われ、非常に困惑している』との報告を受けております。こちらに関してはいかがですか」
どうやら怜子は、千花が村井に話をする前に先回りをして説明をしたらしい。
千花はドクドクと鳴る心臓の音を意識しながら答えた。
「今月号のエレナの記事は、わたしの手元にある最終校から構成や文章が変更されております。見本誌を受領して実際に掲載されたものを確認し、すぐ彼女に連絡を取ったのですが、にべもない対応をされたのです。無断改変は重大な同一性保持権侵害だと考えており、断固として抗議いたします」
作家のみならず、ライターなども含めた著作者は自身が書いたものを〝意に反して改変されない権利〟を有しており、誤字の修正や表記ゆれの統一を超えた内容の改変、構成の大幅変更などがあった場合、ライターが編集部に最終調整権を与えることに同意していないかぎりは違法になる。
今回のケースでは千花は編集部に最終調整権を与えた覚えはなく、まさに青天の霹靂だ。そう明朗な言葉で伝えたところ、村井は困惑した顔でつぶやく。
「そうですか。でしたら私が大倉から聞いた内容と佐久田さんのご意見に、だいぶ齟齬がありますね」
「取材時間の変更の件を含め、早急に大倉さんに事実確認をお願いしてもよろしいでしょうか。彼女の行動は、周囲にわたしが無責任な人間であると印象づけることを目的としているように感じますし、今後の仕事に差し支えないとは言いきれません」
「わかりました」
編集部を出てエレベーターホールに向かいながら、千花は深く息を吐く。
怜子がまるでこちら側が全面的に悪いかのように村井に伝えていたことがわかり、ショックを受けていた。
(どうして? 帰国後に数年ぶりに再会して、彼女とは上手くやってると思ってた。仕事でもプライベートでも揉めたおぼえはないのに、何でわたしを陥れるようなことをするの)
大学時代からの友人である怜子とは、これまで喧嘩をしたことは一度もない。それだけに昨日からの態度の変化が信じられず、胸が苦しくなる。
その日は何度彼女に電話をかけても繋がらず、エレナ編集部からも連絡がなかったため、千花はひどくやきもきした。おまけに奏からも連絡がなく、何とか他の仕事をして気を紛らわせようとするものの、孤独感が募る。
(奏、急に忙しくなるなんて、何かあったのかな。今まではどんなに多忙でもわたしと会う時間を作ってくれていたのに、それもできないくらいだってこと?)
母親の容体が急変したときに病院に同行してくれて以降、彼とは急激に親密度が増した。
揺るぎなく支えてくれようとする姿勢に頼りがいを感じ、自分の中にあった意地のようなものが消えて、奏を大人の男性として意識するようになった。
一度キスを受け入れると甘いときめきで心が満たされ、今の千花は彼に明確に心惹かれていることを自覚している。だがそうした気持ちの変化を、まだ奏には伝えていない。
(だってわたしたちの格差は、依然として縮まってはいないから。いくら惹かれ合っていても、いずれ奏の周りにいる人たちに交際を反対されるかもしれない)
彼の持つ桁違いの財力、日本有数の大企業を経営する家柄は、庶民で片親育ちの千花には眩しすぎる。
二十歳そこそこの世間知らずならいざ知らず、〝好き〟という気持ちだけで押し通せるほど二十八歳は若くない。下手に世の中を知ってしまった分、いろいろと余計なことを考えてしまい、つい二の足を踏んでしまう。
だがそのときふと千花の中に、「奏が急に態度を変えたのは、わざとかもしれない」という考えが浮かんだ。こちらの態度が軟化し、キスを受け入れるようになったことで、奏が満足してしまったとしたらどうだろう。
(もしかすると、復讐だったのかも。奏は六年前に別れを告げたわたしを本当は恨んでいて、金銭的に依存させて再び恋に落ちる展開に持っていく。そして急に突き放すことで仕返しをしたかったのだとしたら――)
そんな想像が頭をよぎり、千花の胃がぎゅっと強く引き絞られる。
荒唐無稽かもしれないが、そうした思考をしてしまうくらい、彼の態度の変化は唐突だった。経営者である奏が多忙な日々を送っていることはよくわかっているものの、それでも今までは一緒に過ごす時間を作ってくれていた。
会えないときはまめに連絡を寄越し、常にこちらを気にかけていることを言葉や態度で示していたが、昨日からぱったりと連絡が途絶えている。その事実に追い詰められた気持ちになり、じりじりとした焦りに駆り立てられた千花だったが、意図して深く息を吐いた。
(しっかりしなきゃ。わたし、怜子から予想外に悪意に満ちた行動を取られたことで疑心暗鬼になってる。奏の態度まで深読みして悪い方向に捉えるのは、いくら何でもいき過ぎだ)
「あの、本日の取材は十一時からだったのでは」
『いえ。十時と鳳栄社さまから伺っております』
取材対象のブランドを待たせてしまっているのだとわかり、千花は静かに青ざめる。
そしてスマートフォンを握る手に力を込め、慌てて申し出た。
「すみません、今すぐそちらに向かいます。タクシーで行くので、三十分、もしくは四十分ほど時間がかかってしまうのですけど、お待ちいただけますか」
『大変申し訳ございませんが、このあと予定がありまして、取材は受けかねます。改めてこちらからご連絡を差し上げるという形でよろしいでしょうか』
「それは……」
『失礼いたします』
通話が切れ、千花は呆然としてスマートフォンを持った手を下ろす。
(今日の取材、わたしは午前十一時からだって聞いていた。なのに十時に変更したのは、一体誰?)
電話の向こうの山瀬は、「十時と鳳栄社さまから伺っております」と言っていた。
今日の取材は雑誌エレナの記事として掲載される予定のもので、スケジュールは担当編集者の怜子がセッティングしたはずだ。彼女とは昨日届いた見本誌の内容で揉めたばかりであり、千花の中に疑念がこみ上げる。
(わたしが書いた記事が無断で書き換えられていたことや、次の締め切りが早まったのを伝えられていなかったこと、そして今日の取材時間の変更。全部が立て続けに起こって、わたしに不利に働いてる。これって一体どういうこと……?)
しかもそれらは別々の発注先で起こったことではなく、すべて鳳栄社の仕事だ。
ぐっと顔を歪めた千花はスマートフォンを開き、怜子に電話をかけた。しかし何度コールしても彼女は出ず、そのまま駅に向かう。
一連のトラブルに怜子が関わっているのは確かであり、その真意を問い質したかった。こんなことが続くのなら、鳳栄社の仕事を受けることはできない。何より友人だと思っていた彼女がなぜ急に嫌がらせのような行動をするのか、理由があるならそれを確かめたくて仕方がなかった。
地下鉄を乗り継いだ千花は、神保町にある鳳栄社の社屋を訪れる。そしてエレナ編集部に入り、近くにいた社員に声をかけた。
「すみません、外部ライターとして契約をしております佐久田と申しますが、大倉さんをお願いできますか」
「少々お待ちください」
応接スペースに通されて待つこと数分、パーテーションの向こうから五十代前半の女性が現れる。
それは編集長の村井で、千花は立ち上がって頭を下げた。
「お世話になっております。本日はお約束もなく訪ねてきて、申し訳ありません。大倉さんは……」
「大倉はただいま外出しております。それより佐久田さん、今日の十時に予定されていたエクリプセラの取材を、連絡もなくすっぽかされたそうですね。弊社がセッティングした案件ですが、先方は大変お怒りです。一体なぜこのようなことになったのか、理由を説明していただけますか」
村井の静かな怒りを感じた千花は、表情を改める。そして背すじを伸ばして説明した。
「エクリプセラの取材につきまして、わたしは本日午前十一時と大倉さんから伝えられておりました。時間変更の連絡は何も受けておらず、先方からのお電話で事態を把握した次第です」
「先ほど大倉に電話で聞き取りをしたところ、佐久田さんには直接お会いした際に時間の変更を口頭で確かに伝えたとのことでした。また、今月号のエレナにご寄稿いただきました記事につきましても、『佐久田さんから「勝手に内容を書き換えた」と言われた』『修正に関しては都度確認を取っているにもかかわらずそのように言われ、非常に困惑している』との報告を受けております。こちらに関してはいかがですか」
どうやら怜子は、千花が村井に話をする前に先回りをして説明をしたらしい。
千花はドクドクと鳴る心臓の音を意識しながら答えた。
「今月号のエレナの記事は、わたしの手元にある最終校から構成や文章が変更されております。見本誌を受領して実際に掲載されたものを確認し、すぐ彼女に連絡を取ったのですが、にべもない対応をされたのです。無断改変は重大な同一性保持権侵害だと考えており、断固として抗議いたします」
作家のみならず、ライターなども含めた著作者は自身が書いたものを〝意に反して改変されない権利〟を有しており、誤字の修正や表記ゆれの統一を超えた内容の改変、構成の大幅変更などがあった場合、ライターが編集部に最終調整権を与えることに同意していないかぎりは違法になる。
今回のケースでは千花は編集部に最終調整権を与えた覚えはなく、まさに青天の霹靂だ。そう明朗な言葉で伝えたところ、村井は困惑した顔でつぶやく。
「そうですか。でしたら私が大倉から聞いた内容と佐久田さんのご意見に、だいぶ齟齬がありますね」
「取材時間の変更の件を含め、早急に大倉さんに事実確認をお願いしてもよろしいでしょうか。彼女の行動は、周囲にわたしが無責任な人間であると印象づけることを目的としているように感じますし、今後の仕事に差し支えないとは言いきれません」
「わかりました」
編集部を出てエレベーターホールに向かいながら、千花は深く息を吐く。
怜子がまるでこちら側が全面的に悪いかのように村井に伝えていたことがわかり、ショックを受けていた。
(どうして? 帰国後に数年ぶりに再会して、彼女とは上手くやってると思ってた。仕事でもプライベートでも揉めたおぼえはないのに、何でわたしを陥れるようなことをするの)
大学時代からの友人である怜子とは、これまで喧嘩をしたことは一度もない。それだけに昨日からの態度の変化が信じられず、胸が苦しくなる。
その日は何度彼女に電話をかけても繋がらず、エレナ編集部からも連絡がなかったため、千花はひどくやきもきした。おまけに奏からも連絡がなく、何とか他の仕事をして気を紛らわせようとするものの、孤独感が募る。
(奏、急に忙しくなるなんて、何かあったのかな。今まではどんなに多忙でもわたしと会う時間を作ってくれていたのに、それもできないくらいだってこと?)
母親の容体が急変したときに病院に同行してくれて以降、彼とは急激に親密度が増した。
揺るぎなく支えてくれようとする姿勢に頼りがいを感じ、自分の中にあった意地のようなものが消えて、奏を大人の男性として意識するようになった。
一度キスを受け入れると甘いときめきで心が満たされ、今の千花は彼に明確に心惹かれていることを自覚している。だがそうした気持ちの変化を、まだ奏には伝えていない。
(だってわたしたちの格差は、依然として縮まってはいないから。いくら惹かれ合っていても、いずれ奏の周りにいる人たちに交際を反対されるかもしれない)
彼の持つ桁違いの財力、日本有数の大企業を経営する家柄は、庶民で片親育ちの千花には眩しすぎる。
二十歳そこそこの世間知らずならいざ知らず、〝好き〟という気持ちだけで押し通せるほど二十八歳は若くない。下手に世の中を知ってしまった分、いろいろと余計なことを考えてしまい、つい二の足を踏んでしまう。
だがそのときふと千花の中に、「奏が急に態度を変えたのは、わざとかもしれない」という考えが浮かんだ。こちらの態度が軟化し、キスを受け入れるようになったことで、奏が満足してしまったとしたらどうだろう。
(もしかすると、復讐だったのかも。奏は六年前に別れを告げたわたしを本当は恨んでいて、金銭的に依存させて再び恋に落ちる展開に持っていく。そして急に突き放すことで仕返しをしたかったのだとしたら――)
そんな想像が頭をよぎり、千花の胃がぎゅっと強く引き絞られる。
荒唐無稽かもしれないが、そうした思考をしてしまうくらい、彼の態度の変化は唐突だった。経営者である奏が多忙な日々を送っていることはよくわかっているものの、それでも今までは一緒に過ごす時間を作ってくれていた。
会えないときはまめに連絡を寄越し、常にこちらを気にかけていることを言葉や態度で示していたが、昨日からぱったりと連絡が途絶えている。その事実に追い詰められた気持ちになり、じりじりとした焦りに駆り立てられた千花だったが、意図して深く息を吐いた。
(しっかりしなきゃ。わたし、怜子から予想外に悪意に満ちた行動を取られたことで疑心暗鬼になってる。奏の態度まで深読みして悪い方向に捉えるのは、いくら何でもいき過ぎだ)