執愛隠した策士な御曹司は偽装婚約で激情露わに囲い堕とす
だが六年の月日を経て再会した奏は、かつてはなかった大人の包容力を身に着けていた。
つらいときに傍に寄り添い、揺るぎなく支えてくれる彼に深く安堵し、整った容姿や落ち着いた物腰に胸がときめいて、そんな自分を必死に自制しようとしていた。
千花がそう語ったところ、奏がふいに向かい側から腕を伸ばしてこちらの手に触れる。そして真っすぐに視線を合わせ、意外なことを言った。
「――だったら俺は千花さんのために、全部捨てるよ」
「えっ?」
「俺の家柄がネックだって言うなら、早瀬の家から出る。今の仕事は辞めて、実家とは関係のないところで一から事業を立ち上げるつもりだ。そうしたら千花さんは、もう一度俺の恋人になってくれる?」
あまりに予想外の発言に面食らい、千花は慌てて口を開く。
「何を言ってるの? 奏は早瀬ホールディングスに入社して、努力の末に結果を出して子会社の代表になったんだよね? それを捨てるだなんて」
「それで千花さんを得ることができるなら、安いものだよ。たとえ実家から離れても、俺は必ず仕事で結果を出して自分の価値を証明してみせる」
彼が「だから」と言って、握る手に力を込めた。
「俺を嫌いじゃないなら、もう一度恋人になってほしい。千花さんのことが誰よりも好きで、傍にいたいんだ」
それを聞いた千花の胸が、ぎゅっと強く締めつけられる。
まさか奏がここまでして自分に寄り添おうとしてくれるとは思わず、何と答えていいかわからなかった。しかしこみ上げてきたのは確かに喜びで、彼の手のぬくもりを感じながら小さく答える。
「わたし……急に奏が『しばらく通訳の仕事はしなくていい』『会社にも来る必要はない』って言って連絡を絶って、どういうことか聞きたくてここに来たの。もしかしたらわたしにアプローチしてきたのは六年前の復讐で、態度が軟化したことに手ごたえを感じた途端、満足してしまったのかもと考えて」
「そんなはずない。社内的なトラブルに巻き込まれて、その対応に当たっていたからだ」
「トラブル?」
――奏は説明した。
このところ、早瀬インベストメント・ストラテジーが上げた稟議に対して本社のグループ戦略本部が差し戻しを繰り返していたこと。
そしてこれまで手掛けた案件企業の懸念ばかりを会議で指摘しては、あたかも「早瀬インベストメント・ストラテジーの案件は、本社のレビューなしでは危ない」という印象操作を行っていたという。
それだけではなく、奏本人についても会社の代表としての資質を疑問視し、「自身の恋人を通訳として雇い、高額な手当を支給している」「会社を私物化をしているのではないか」という噂を流していたらしい。
「そんな、一体誰が……」
「俺の従兄だ。現CEO、つまり俺の伯父の息子で、昔から何かと張り合ってきた存在だった。彼は同じ〝創業者の孫〟という立ち位置の俺が、一足早く有力子会社の代表に抜擢されたことで焦りをおぼえたらしい」
奏が社内でそんな立場に追い込まれていたとは思わず、千花は彼のことが心配になる。
何よりの懸念は、自分の存在が奏の足を引っ張っているかもしれないことだ。千花がそう告げたところ、彼が事も無げに答える。
「千花さんに通訳として仕事をしてもらっていたのは事実だから、何も問題はないよ。噂では会社の経費で高額な金を支出していると言われてたみたいだけど、実際は俺のポケットマネーからだから、まったく事実じゃないしね。俺と千花さんのことを事細かに従兄にリークしていた人物がいるんだけど、それについても目星がついた」
「えっ、誰?」
「俺の秘書の、奥村だ。どうやら従兄から金をもらって、俺の動向を密告していたらしい」
奥村とはこれまで何度も面識があり、千花はショックを受ける。
どうやら奏はその件について調べを進めていて、千花を巻き込みたくないと考え、一時的に遠ざけていたというのが事の真相のようだ。彼が心変わりしたわけではないことに安堵していると、奏が言葉を続けた。
「俺は次のグループ経営戦略会議で、噂が事実無根であること、それを主導したのが従兄で、秘書の奥村が彼によって買収されていた事実を証拠付きで報告するつもりでいる。そうして次期CEO争いに王手をかけようと考えていたけど、会社を辞めるなら必要ないかな」
それを聞いた千花は、急いで口を開く。
「奏が早瀬ホールディングスを辞める必要はないよ。今まで何年も努力してきたのに、それをわたしのために全部投げ出すなんておかしいでしょ」
「でも……」
「そうしてもいいくらいに、奏がわたしを想ってくれているのはよくわかった。そんなことを言わせたかったわけじゃないのに、なかなか踏み出す勇気がなくて、本当にごめんなさい」
一度言葉を切り、深呼吸した千花は、目の前の奏を見つめてはっきりと告げる。
「――わたしは、奏が好き。こうして話をして、何もかも捨ててもいいくらいに想ってくれてるってわかって、すごくうれしかった。だからここからは、わたしの気持ちの持ちようだよね」
「……千花さん」
「でも、こっちの知らないうちに手を回して、仕事をセッティングしていたことだけは納得できない。それはわたしの今までの積み重ねを無にするものだから、二度としないで」
すると彼が神妙な面持ちになり、頭を下げてくる。
「……うん。俺は千花さんの仕事を本当に評価しているから、今後は余計な手出しはしないって約束する。それと位置情報アプリで、あなたの動きを監視するのも」
「えっ、監視してたの?」
「いつもじゃないけど、ときどきね。そのおかげで、さっき大倉さんから千花さんとオレール・アルヴィエの仲が怪しいって言われたときも否定できたけど、やっぱりフェアじゃないよな」
奏の会社で仕事をすることが決まった際、スマートフォンに位置情報アプリを入れるように提案されたが、それで自身の居場所が監視されていたのだとわかって千花は呆れてしまう。
そんなこちらを見つめ、彼が再度謝罪してきた。
「本当にごめん。千花さんの怒りはもっともだし、言い訳のしようもない。仕事のアサインはよかれと思ってしたことだけど、六年前と同じ間違ったやり方だったと痛感してるよ。そういう意味では俺は根本的なところで無神経なのかもしれないし、改めないといけない部分だと思ってる」
つらいときに傍に寄り添い、揺るぎなく支えてくれる彼に深く安堵し、整った容姿や落ち着いた物腰に胸がときめいて、そんな自分を必死に自制しようとしていた。
千花がそう語ったところ、奏がふいに向かい側から腕を伸ばしてこちらの手に触れる。そして真っすぐに視線を合わせ、意外なことを言った。
「――だったら俺は千花さんのために、全部捨てるよ」
「えっ?」
「俺の家柄がネックだって言うなら、早瀬の家から出る。今の仕事は辞めて、実家とは関係のないところで一から事業を立ち上げるつもりだ。そうしたら千花さんは、もう一度俺の恋人になってくれる?」
あまりに予想外の発言に面食らい、千花は慌てて口を開く。
「何を言ってるの? 奏は早瀬ホールディングスに入社して、努力の末に結果を出して子会社の代表になったんだよね? それを捨てるだなんて」
「それで千花さんを得ることができるなら、安いものだよ。たとえ実家から離れても、俺は必ず仕事で結果を出して自分の価値を証明してみせる」
彼が「だから」と言って、握る手に力を込めた。
「俺を嫌いじゃないなら、もう一度恋人になってほしい。千花さんのことが誰よりも好きで、傍にいたいんだ」
それを聞いた千花の胸が、ぎゅっと強く締めつけられる。
まさか奏がここまでして自分に寄り添おうとしてくれるとは思わず、何と答えていいかわからなかった。しかしこみ上げてきたのは確かに喜びで、彼の手のぬくもりを感じながら小さく答える。
「わたし……急に奏が『しばらく通訳の仕事はしなくていい』『会社にも来る必要はない』って言って連絡を絶って、どういうことか聞きたくてここに来たの。もしかしたらわたしにアプローチしてきたのは六年前の復讐で、態度が軟化したことに手ごたえを感じた途端、満足してしまったのかもと考えて」
「そんなはずない。社内的なトラブルに巻き込まれて、その対応に当たっていたからだ」
「トラブル?」
――奏は説明した。
このところ、早瀬インベストメント・ストラテジーが上げた稟議に対して本社のグループ戦略本部が差し戻しを繰り返していたこと。
そしてこれまで手掛けた案件企業の懸念ばかりを会議で指摘しては、あたかも「早瀬インベストメント・ストラテジーの案件は、本社のレビューなしでは危ない」という印象操作を行っていたという。
それだけではなく、奏本人についても会社の代表としての資質を疑問視し、「自身の恋人を通訳として雇い、高額な手当を支給している」「会社を私物化をしているのではないか」という噂を流していたらしい。
「そんな、一体誰が……」
「俺の従兄だ。現CEO、つまり俺の伯父の息子で、昔から何かと張り合ってきた存在だった。彼は同じ〝創業者の孫〟という立ち位置の俺が、一足早く有力子会社の代表に抜擢されたことで焦りをおぼえたらしい」
奏が社内でそんな立場に追い込まれていたとは思わず、千花は彼のことが心配になる。
何よりの懸念は、自分の存在が奏の足を引っ張っているかもしれないことだ。千花がそう告げたところ、彼が事も無げに答える。
「千花さんに通訳として仕事をしてもらっていたのは事実だから、何も問題はないよ。噂では会社の経費で高額な金を支出していると言われてたみたいだけど、実際は俺のポケットマネーからだから、まったく事実じゃないしね。俺と千花さんのことを事細かに従兄にリークしていた人物がいるんだけど、それについても目星がついた」
「えっ、誰?」
「俺の秘書の、奥村だ。どうやら従兄から金をもらって、俺の動向を密告していたらしい」
奥村とはこれまで何度も面識があり、千花はショックを受ける。
どうやら奏はその件について調べを進めていて、千花を巻き込みたくないと考え、一時的に遠ざけていたというのが事の真相のようだ。彼が心変わりしたわけではないことに安堵していると、奏が言葉を続けた。
「俺は次のグループ経営戦略会議で、噂が事実無根であること、それを主導したのが従兄で、秘書の奥村が彼によって買収されていた事実を証拠付きで報告するつもりでいる。そうして次期CEO争いに王手をかけようと考えていたけど、会社を辞めるなら必要ないかな」
それを聞いた千花は、急いで口を開く。
「奏が早瀬ホールディングスを辞める必要はないよ。今まで何年も努力してきたのに、それをわたしのために全部投げ出すなんておかしいでしょ」
「でも……」
「そうしてもいいくらいに、奏がわたしを想ってくれているのはよくわかった。そんなことを言わせたかったわけじゃないのに、なかなか踏み出す勇気がなくて、本当にごめんなさい」
一度言葉を切り、深呼吸した千花は、目の前の奏を見つめてはっきりと告げる。
「――わたしは、奏が好き。こうして話をして、何もかも捨ててもいいくらいに想ってくれてるってわかって、すごくうれしかった。だからここからは、わたしの気持ちの持ちようだよね」
「……千花さん」
「でも、こっちの知らないうちに手を回して、仕事をセッティングしていたことだけは納得できない。それはわたしの今までの積み重ねを無にするものだから、二度としないで」
すると彼が神妙な面持ちになり、頭を下げてくる。
「……うん。俺は千花さんの仕事を本当に評価しているから、今後は余計な手出しはしないって約束する。それと位置情報アプリで、あなたの動きを監視するのも」
「えっ、監視してたの?」
「いつもじゃないけど、ときどきね。そのおかげで、さっき大倉さんから千花さんとオレール・アルヴィエの仲が怪しいって言われたときも否定できたけど、やっぱりフェアじゃないよな」
奏の会社で仕事をすることが決まった際、スマートフォンに位置情報アプリを入れるように提案されたが、それで自身の居場所が監視されていたのだとわかって千花は呆れてしまう。
そんなこちらを見つめ、彼が再度謝罪してきた。
「本当にごめん。千花さんの怒りはもっともだし、言い訳のしようもない。仕事のアサインはよかれと思ってしたことだけど、六年前と同じ間違ったやり方だったと痛感してるよ。そういう意味では俺は根本的なところで無神経なのかもしれないし、改めないといけない部分だと思ってる」