my天の川に流るる
14
「どこ行くんだ」
七尾に呼び止められ、星子(しょうこ)は立ち止まる。今日、3度目だ。必ず教室を出ようとすると、声がかかる。
「3組の子に教科書貸してるから、返してもらいに行くだけ……なんで?」
そして必ず、理由を濁される。七尾は渋面を隠そうともしない。
「別に」
彼は外方(そっぽ)を向いた。膝が速い律動を刻んでいる。非常に機嫌が悪い。
星子は廊下を歩きながら、七尾が何を気にしているのか、彼が何に対して苛立っているのか、彼とのやり取りを省みる。一体彼に何をしてしまったのだろう。
1年生の頃に交流のあった女子から教科書を受け取り、7組に戻ると、渡り廊下で笹森が佇んでいた。人気者の彼が、昼間に一人でいる。色の悪い唇が薄らと弧を描いていた。
「これ、何だか分かる?」
アーモンド色の双眸が細まり、星子を吟味している。長い指には封筒が挟まれていた。茶封筒ではない。横長の長方形で、淡い色味をしている。個人間の手紙で使われる類いのものだった。
「封筒……?」
「そうだよ。星子ちゃんは、"今何してる?"って訊かれたら、"息してる"って答えるタイプなんだ? それは、嫌われるって。友達いないのも納得だよな」
笹森は大仰に肩を竦める。
「じゃあ、何……?」
笹森の手にある長方形の紙について、星子はまったく覚えがない。
「"パパ"からだったりして」
星子は首を傾げる。
「パパ? お父さん? わたし、お父さんいないよ……」
笹森の持ち上がった眉が蠢く。慣れた反応だ。しかし哀れみを誘いたかったのではない。
「あ、生きてはいるんだけれど……それに顔ももう憶えてないし」
ゆえに父親がいないことそのものについての哀しさはないのだ。
「……ばーか」
笹森は呟いた。
「え」
「"パパ"って言われてマジの実父(パパ)だと思うやついる?」
「だってパパって………あ」
呆れ顔を見た途端に理解した。鷲羽(わしゅう)さんが事実無根の噂を笹森に流しているという。
「もっといじめてあげようと思ったのに萎えたわ。つまらな」
笹森は教室のほうへ戻ろうとした。
「それで結局、その封筒は何なの? ラブレターとか?」
それは困る。笹森は咲菜の想人なのだ。しかしラブレターの差出人が咲菜を超える美少女とは限らない。咲菜は構内随一の美少女なのだ。女子の外貌にこだわりのある笹森が、最高峰の美少女を脇に置いて、ラブレターの差出人に色好い返事をすることがあるだろうか。
「とある諺(ことわざ)があるよ」
「え?」
「"マヌケの勘は鋭い、でもズレる。マヌケだから"。ぼく作」
星子はそれ以上、笹森を追わなかった。
昼休み、咲菜と鷲羽さんの横で弁当を食べていると、教室がざわついた。ふと出入り口を見知らない男子生徒が7組を覗いていた。背が高い。顔立ちこそ女子から人気のありそうな甘さがあるが、にきび跡が目立つ。
星子も顔は知っていた。名前は知らない。確かバレーボール部の3年生だったはずだ。表彰されているのを見たことがある。この高校はバレーボール部が強い。全国大会の常連だった。ところが7組にはバレーボール部がいない。
『なんか用すか』
1日中機嫌の悪かった七尾が席を立ち、対応する。
『白川さんって……いる?』
星子はバレーボール部の3年生を見てしまった。目が合う。
『いません』
七尾は明らかな嘘を言った。聞いていた鷲羽さんが口元を押さえて笑いを堪える。
『あの子、白川さんじゃ……』
『違います』
星子は3年生から目を離せなかった。廊下にあと2人ほどいるようだった。窓の曇りガラスに長身の人影が透けている。そのうち1人が、勝手に窓を開けてしまった。7組は動物園や水族館よろしく、展示物と化す。
鷲羽さんを繋ぎに一緒に昼飯を食っていた煌びやかな女子たちが途端に賑やかになる。
『7組レベル高くね』
『ってかあっちの子のほうが可愛いべ』
好奇の眼差しが女子たちの間を彷徨う。
「クーラーの冷気逃げるんで」
七尾は窓を閉めてしまった。彼は星子を一瞥する。
「七尾くん」
何故、七尾は3年生を相手に、白川星子の存在を消したのだろうか。
「お前は黙ってろ」
「えっ………う、うん………」
窓の奥で悪態が聞こえる。7組の女子の値踏みも聞こえた。
『すぐそこにいた髪長い子、良いじゃん』
『ばっか、みんな似たり寄ったりだったろ』
『あいつもシュミ悪ぃーなー』
星子は耳を欹(そばだ)ててしまった。
「星子――」
七尾はまだ教室を覗いているにきび跡の3年生を振り返った。
「いや、花子」
「は、はなこ?」
「おとなしくしとけ」
「う、うん……」
七尾は教室を覗いている3年生を追い返す。扉が閉まった。溜息が聞こえた。
「七尾ー! 今の、彦坂(ひこざか)先輩?」
鷲羽さんの声が上擦っている。
「知らん」
大いに疲れたようだった。七尾はどっかりと席に就く。
「何の用で来たのさー?」
「俺が知るかよ」
咲菜が星子を向いた。
「さっきの3年生、星子ちゃんのこと探してなかった?」
「身に覚え、ないなぁ」
1年生には月也という中学時代からの付き合いがある後輩がいるけれども、3年生とはまったく関わりがない。
「わたしが何か、落とし物したとか……?」
「きっとそうだよ。だってあの人、3年生で一番モテるんだよ? 星子チャンに何か用あるわけないじゃん」
鷲羽さんが咲菜に叫ぶ。
「ぼくよりモテんの~?」
笹森が教室に入ってきた。派手な女子たちで固まって食べていた脇を通りかかる。手にはゼリー飲料のパウチが握られていた。
「まーた、アンタはそんなんばっか食べて。もう夏バテしてんの? 男のくせに情けない」
鷲羽さんが勢いづく。笹森は血色の失せた顔で笑っている。細くなった指は長さを際立たせ、パウチを搾る握力が残っているのかさえ定かでない。
「水着の似合う男になるために、絞らなきゃね、カラダ」
「筋トレしろ!」
笹森は笑っている。
「それで? 3年生のモテ男先輩が、どうしたの?」
明るい茶色の眼差しが一度星子に注がれた。そして粘り気を消して鷲羽さんを見る。
「さっき来たんだよねー? 七尾が追い払ってたけど。七尾機嫌悪過ぎ」
「悪くねーよ。飯時にじろじろ見られてたらキモいだろ。7組(ウチ)は動物園じゃねーんだわ」
離れた席にいる七尾が口を挟む。
「とか言って、一軍女子(うちら)のこと根刮(ねこそ)ぎ狩られちゃ困るからっしょ?」
鷲羽さんは七尾と楽しそうだった。星子は目を逸らす。共にいた時間と仲の良さは比例しない。七尾は鷲羽さんには機嫌が悪くない。乱暴な言葉使いや、荒い語気でさえ愛嬌だった。
「マジでウケんのはさー、星子チャンのこと、"花子"とか呼び間違えてて。さすがにヒドいでしょ」
鷲羽さんは嗤った。笹森も嗤っている。呼び間違えではない。七尾は故意にそう呼んだ。しかし星子は肩を落とす。
「へー! 元カノ?」
笹森は徐ろに星子に目配せした。
「ちげーわ」
「どうかな。星子ちゃん、七尾と長いんでしょ。実際のところどうなのよ」
アーモンド色は輝く。どれだけ身体が弱ろうとも、嗜虐的な眼光は衰えない。
一斉に注目を浴びる。
「あ……えっと………七尾くんは昔からよくモテてたから、いたんじゃないかな……カノジョさんの一人や二人くらい……」
七尾は頬杖をつき、指で机を叩いていた。
「だってよー、七尾?」
「2週間」
「は?」
「2週間だけなら付き合ったことある」
「2週間ってお前、コンタクトレンズかよ」
「あー、あいつコンタクトレンズだったのかもな」
「でー? なんで別れたのさ」
鷲羽さんが訊いた。
「帰りは部活の後に妹迎えに行くし、土日も部活。向こうも運動部。他校だけど。いつになったら遊べるの、って愛想尽かされた」
星子は知られざる七尾の女子遍歴を聞きながら、咲菜を窺った。彼は今、想いを寄せているクラスメイトに、その話を聞かれてもいいものなのか。だが、咲菜の興味深そうに七尾を見ている。
「――2週間だし、そんな感じだから、星子が知らないのは無理ねーよ。でも名前は"花子"じゃなかった。名前忘れたけど」
笹森が吹き出す。
「元カノの名前忘れたってマジ?」
「サイテー」
鷲羽さんが嗤う。
「2週間で元カノってカウントしていいものか?」
七尾は苦笑している。
「なんで付き合ったのさ」
笹森が訊ねる。
七尾は三白眼を星子に投げた。けれども彼女は咲菜に気を取られていた。
「ノリ」
「うわー、女の敵だろ、ああいうの」
笹森は彼を指で差し、女子たちに批判を促す。
「とか言って、五百鈴(いおり)も人のこと言えないじゃん?」
鷲羽さんが言った。
咲菜は家庭教師が早くに来るというので、今日は親が迎えに来るそうだった。慌ただしく帰る彼女を見送ってから、星子は勉強道具を取り出した。
「どこ行くんだ?」
真後ろから話しかけられ、星子は仰け反る。
「図書室。月也くんと勉強するんだ」
「……月也か。呼んでこい。科学部と一緒だけど、悪い奴等じゃない」
「……一応、月也くんに訊いてみるけれど……なんで?」
何故、図書室で勉強してはいけないのだろう。
「なんでも」
「図書室じゃ、ダメなの?」
「どうしてそんな図書室で勉強したいんだ? 誰かいるのかよ? お気に入りのイケメンくんでも?」
七尾は陰険な笑みを浮かべた。
「勉強しに行くんだよ。そんなわけないじゃん。かっこいい人いたら、見ちゃうかもだけれど……」
「ほらな、勉強にならないだろ。それにお前の苦手な数学、化学はどうする?」
「三角関数は、月也くんに教えてもらったもん……」
愉悦に浸っていた七尾の表情が固まる。
「月也は1年だろ。1年がやるのは三角比な」
「でも本当に月也くんにsinθの出し方教えてもらったもん……"七尾先輩に教えてもらった"って……」
「……俺より1年頼んのかよ」
「だって……」
「俺が教えてやる。月也(あいつ)だって自分の勉強に忙しいだろ。その点、俺とお前はテスト範囲が同じだ。それにお前に教えたところで、俺には何の脅威にもならないから、フェアに教えてやれる。メリットしかないだろ。デメリット挙げてみろよ、おら」
「でもわたし、本当に頭悪いから、七尾くんに迷惑かけちゃうかも……」
「月也ならいいのかよ」
「だって月也くんは、教え方上手いし……」
七尾は星子の腕を掴んだ。星子は後退ってしまった。
「俺の教え方が下手だってか」
「七尾くんの教え方は、ある程度分かってる人前提でしょ? わたしはもっと頭悪いんだって……」
彼は溜息を吐く。
「分かった。赤ちゃんでも分かるように手取り足取り教えてやる」
「あ、ありがとう……?」
星子は首を傾げ、月也を呼びに図書室へ向かう。七尾も後ろからついてきた。
図書室を開けると、話し声が聞こえた。窓辺の席を占めた4人が周りの静寂も気にせず喋っている。部屋に入った途端、本棚を背にした男子生徒と視線が搗(か)ち合う。にきび跡の散りばめられた、女子好きのする甘い顔立ちで、アルパカやラクダを思わせる目元が何度か瞬いた。
星子は後ろから引かれ、廊下へ引き摺り出される。宛(さなが)ら電源コードの自動巻取りだった。
「え、ちょ……何さ!」
七尾だ。彼はあっけらかんとしている。
「俺が呼んでくるから待ってろ」
「いいって。いきなり七尾くんが行ったらびっくりするよ」
「俺もびっくりしてるから大丈夫だ」
彼は尤もらしく言うと図書室に入っていった。残された星子は、まるで自明の理のように語られた七尾の言葉を反芻した。彼が驚いているから、月也が驚いても問題がないとはどういう理屈なのだろうか。屁理屈ではなかろうか。しかし彼はまったくそこに齟齬はないかのような物言いだった。
理数系科目が強くなければ分からない理論があるのだとすれば、星子では読み解けない。
星子が疑問符を紐解き、さらに疑問符を増やしている頃に、七尾は戻ってきた。
「すぐ来ると思う」
「ねぇ、七尾くん」
七尾は肩を震わせた。
「な、なんだよ」
「七尾くんがびっくりしてるから月也くんがびっくりしても大丈夫ってどういうこと?」
七尾は三白眼を鋭くする。
「何言ってんだ、お前」
「え? 七尾くんが言ったんじゃ……」
図書室の扉が開く。
七尾の目が爛々と丸くなる。今にも飛びかかる猫かと思うほどの静かな戦慄が走っていた。
「なんですか、七尾先輩」
月也だった。逆立った七尾の毛という毛が萎んでいく。
「ごめんね、月也くん、急に。七尾くんが一緒に、科学部で勉強しないかって」
「科学部? 科学部なんてあるんですか、ここ」
月也の古池のような瞳に、瑞々しい光が射す。
「あるぞ。あと1人辞めたら廃部の憂き目に遭いそうなんだ。部費が出ないが備品は使い放題だから、良かったら入れよ。プログラミングとかできるぞ。スライム作りとか」
「テスト終わったら検討してみます。部活、文芸部や囲碁・将棋部辺りには興味があったんですが、なかなか機会がなくて……科学部があったなんて知りませんでした」
「厳密には、科学部同好会だけどな。だから大々的には紹介されてない」
七尾は咲菜に向けるようなまろい表情を月也にも向ける。七尾は面倒見がいい。年下の素直な後輩が可愛いのだろう。月也もまた良き兄を得たかのように、瑞々しい面立ちで七尾を見上げている。
「ロボット工学、興味あるんです」
「リグブロックでロボット作れるやつが確かあった。見学ついでにいいんじゃないか」
星子は目の前を歩く兄弟を眺め、頬を緩める。
科学部は理科室の隣の多目的に集まっていた。男子が3人、すでに集まって勉強している。教壇には1年生の頃に物理を教わった穂観(おみ)先生がいた。ラジコンでロボットを動かしている。3人の男子はモーターの音も、タイヤの回る軋りも気にせず、黙々と勉強している。
「少年少女、やぁやぁ」
穂観先生は新しい刺激が来たとばかりにコントローラーを置いた。
「訳あって場所借りる」
七尾は言った。3人の男子が顔を上げた。
女子連れとは裏切り者め。いや、待て、まず訳を聞こう。いやはや、いやはや。やいのやいのと言われながらも七尾は星子と月也を空いたテーブルに促す。
「陽キャに狙われてんだよ。おっかねぇぞ。バレー部の3年生だ」
科学部同好会の部員たちは身震いする。
ならば仕方ない。ならば仕方ないよな。ならば仕方なし。
七尾は笑う。
「と、一応、部活見学も兼ねて、だ」
すると穂観先生は星子と月也のところに駆け寄ってきた。
「科学部、楽しいよ。プログラミング、石集め、野鳥観察、スポーツ観戦、スライム作り、なんでもありだよ」
月也の大人びた顔付きから、角が削がれる。
「まぁ、テスト終わりにまた本格的に見学に来るわ。どうよ、俺。優秀なスカウトマンだろ。ははっ」
3人の部員たちと穂観先生が褒めそやす。
月也は目を輝かせ、始めは集中力を欠いていたが、ノートを開けば没入は早かった。英文が綴られている。
星子も英語の問題集を解いた。
「星子」
「うん?」
「That That構文は解けるようになったかよ。テストに出すって言ってただろ」
以前、課題で出され、星子は七尾や笹森、咲菜に教えられた挙句、結局解けなかった。
「意味はちょっと分かってきたよ。部分点狙う……」
「ダメだ。憶えろ。応用問題だぞ。配点が高い」
月也が顔を上げた。
「僕も解いてみたいです」
「まだ早いんじゃないか? とりあえず問題出すから待ってろ」
【That that he said that day was a lie surprised everyone in the class.】
英語の授業の最後にテスト勉強と復習を兼ねて出された問題の一部が変えられている。
星子はノートに書き写し、"that"の前に斜線を引いていく。一文ずつ、訳していく。
「うわ……」
月也は英文を見た途端に呻いた。
「さすがの月也もお手上げか? 星子、先輩として、たまには教えてやれよ」
七尾は愉しそうだった。
「わたしが月也くんに教えられることなんてないってぇ……」
月也は市内のトップ校を志望していたのだ。ただ万が一のことを考えて、偏差値55のこの高校を選んだに過ぎないのだ。
「"that"で斜線引けばいいんですか」
「うん……この後ろの文章が、前の文章を説明してるって話だったような……気がする。でも文章が繋がらないから、多分、間違ってる……」
「どうなった?」
「"彼が今日言ったあの嘘は、クラスのみんなを驚かせた"」
七尾は頭を抱えた。最初から、頭が悪いことは申告しているはずだ。だが彼の予想を上回った頭の悪さだったようだ。
「ご、ごめん……」
「ああ、この"That"は後ろに名詞がないので、その場合は……」
月也は星子のノートに手を伸ばし、文頭の"That"を丸で囲う。
「"あの"って訳せないんですよ。"あれ"も無理です。代名詞がきているので――」
月也は解説とも独り言とも判じられない呟きを続けながら、星子のノートに書き足していく。
七尾は頬杖をついて外方を向いた。
「ここ一括りで主語になるはずです。文章一塊が主語で、述語がこの後半部分」
「う……」
答えは目前だというのに息苦しい。
「で? 訳してみ」
七尾はなげやりだった。
「この文頭の"That"が手強いです」
七尾が知っているということは、星子も授業でやったはずなのだ。ノートを見返す。七尾は何も言わない。2ページ前に、赤いペンで書いている。
「これだ!」
月也が覗いた。そして回答する。
「"彼がその日言ったことが嘘だったということは、クラスのみんなを驚かせた。"」
七尾は渋面で、正解だと告げる。
「ね、ね、でもさ、"This is a pen"みたいに、"That is a pen"って言うじゃん。でも、"ペンということです"とは訳さないでしょ? なんで……?」
三白眼に睨まれる。
「さっきの月也の解説聞いてたか?」
「あれは僕の独り言ですから。"That"の後ろにheとかsheとか、代名詞が来たら文章が来るはずなので、その場合はさっきのとおり、名詞節になるんです」
「名詞節って何?」
「お前、それで授業――」
「文章そのものが名詞になることですね。国語だって十品詞は厄介なのに、英語でなんてさらに難しいですよ」
月也は星子の書き写した英文の主語に線を引いた。そして「S」と書き足す。
「数学もできて英語もできるんだ……!」
「いいえ……僕、英語が一番苦手なんです」
「う、嘘だ……」
「本当ですよ」
「前に課題で出た問題はね、もっと難しかったの。でも簡単なこれも解けないなんて……わたし英語は、結構得意なつもりだったんだけれど……」
「英単語はな」
七尾が口を挟んだ。
「うぅ……」
「英単語からですから。構造が分かっても、英単語が分からなければ部分点ももらえませんよ」
「月也くん、優しい……!」
「モチベーション上げていきましょう」
「おい、ふざけんなよ、星子。俺だって優しいだろうが……」
彼はまだ外方を向いている。
「う、うん。優しい……と思う」
「なんだよ、思うって」
「先生みたいな、優しさだよね! そう、こう……難しい問題を出す優しさ?」
「素直に優しいって、言え」
「優しい……」
「そうだよ、俺は優しいんだよ。ちゃんと見とけ。テスト期間はここで勉強しろ。図書室はやめとけ。俺が教えてやるから」
「え、でも……」
放課後、共に勉強することについては月也に誘われているのだ。後輩を窺う。
「月也も来いよ」
「助かります。3年生が、ずっと関係ないこと話してばかりで騒がしくて……勉強の話なら仕方ないと思ったんですが……」
七尾は月也を見た。
「背の高い、バレー部? にきび面の……」
星子も心当たりがあった。図書室に入ってすぐの窓際の席を占めていた。
「そうです、そうです。騒がしいのはその連れの人たちなんですが……」
「昨日もいたのか」
「昨日もいましたけど、昨日は1人だけだったと思います」
七尾はふとどこでもないところを見詰めた。
「どうかしたんですか」
「今日、あの人たちが7組に来て、七尾くんが追い返したの」
「何故?」
「1年には聞かせられねー話だな」
「ああ、女子を見に来たってこと?」
星子が答えた。彼等は確かに女子の品評をしていた。比較され、貶された。だが誰が誰を差しているか分からないのは救いでもある。だが、特定されているも同然だった。「7組の女子はレベルが高い」とは専らの評判だった。そして7組の女子たち、殊(こと)に派手な女子グループは自ら口にすることがあった。
「え……ちょっと、なんか……嫌ですね、それ」
月也は眉を強張らせる。
「でも7組の女子は、可愛い子多いのは本当なんだよ。3年生が見に来るのも分かるな。ただ、あんまり、あれこれ言われると、ちょっと傷付いちゃうけれど……」
「何か言われたんですか?」
「多分、あんまり可愛くないってこと……そんなの自分で分かってるのにね。アハハ。でも実際、人から言われると、響いちゃうな」
「……白川先輩は綺麗だと思いますよ。お世辞ではなく、本気で」
双(ふた)つの鏡面に、星子は吸い寄せられてしまった。
「人の見た目をジャッジして口にするのは失礼ですから今まで言いませんでしたが、白川先輩が自分を誤解しているのなら……」
机が叩かれる。
「たらし。傷心中のお姉さん口説くなよ」
七尾が口を挟む。
「アハハ、でも、ありがとうね、月也くん。嬉しいよ」
「本気なんですけどね」
「星子、調子乗るなよ」
「うん」