my天の川に流るる

24

◇
 星子(しょうこ)はたじろいだ。そして険しい顔をする七尾を上目で窺った。
「ごめんなさい」
 七尾の前には女子が2人並んでいた。絵舞(えま)ちゃんと鈴(すず)ちゃんだった。彼女たちは7組ではなかった。だが星子や七尾と同市でありながら別地区の小中の出で、昨年は同じクラスだった。
 2人は星子に向かって頭を下げる。
「何に対してごめんなさい、なんだ」
 七尾が腕を組み、2人の女子を見下ろす。
「あ、あ、あ、気にしないでいいよ。平気、平気だから……」
 星子は七尾が非合意の撮影をした者たちを特定するだけでなく、目の前に並ばせ謝罪させるとは思っていなかった。
「ダメだ。犯罪に巻き込まれてたらどうする気だった? で、何について謝ってんだ」
 七尾は星子に一瞥をくれると、女子2人の背中を睨む。
「勝手に撮って……」
「盗撮、だろ」
「うん……」
 顔を上げ、絵舞ちゃんと鈴ちゃんは顔を見合わせた。鈴ちゃんの眼は涙が溜まって今にも溢れ出そうだった。
「あ、わ、わたしは、謝ってもらったら、それで……」
「叔父さんは星子のことを立派に育ててくれた人だろ。その人をバカにされてんだ。赦さなくていいこともあるだろ、この世には」
「だって瑞希(みずき)が、白川さんはパパ活してるって言うから……」
 絵舞ちゃんが唇を尖らせる。
「鷲羽(わしゅう)がね~……」
 七尾は鼻を鳴らした。
「だって白川さんのお兄さんがあんなイケメンだとは思わないじゃん」
「"お兄さん"じゃない。"叔父さん"な」
 星子の訂正する暇はなかった。
「叔父さんだとしてもさー」
 絵舞ちゃんは、泣き出した鈴ちゃんの肩を抱いた。
「マジで悪かったと思ってるけど、瑞希に言ってよね」
「撮ったのは誰だよ。鷲羽か? 逃げんな」
「七尾、怖(こっわ)」
「怖い思いしたのは星子な。おちおち買い物もできねーやな」
 絵舞ちゃんは星子を見た。視線が合う前に逸れた。
「あ、あ、七尾くん、わたし、もう平気だから……! 謝ってもらって、この件はもうおしまい……! ね!」
「………マジであの写真、消せよ」
「白川さんの写真とかフツーに持ってても意味ないしもう消した」
 七尾は絵舞ちゃんを睨み続けている。
「信じるからな」
 彼はそう言って、啜り泣き、目を擦る鈴ちゃんを見遣る。鋭い三白眼がわずかに緩む。
「ちゃんと謝って画像消してくれりゃ、この件はマジで終わりだ。星子もう言ってるし、それなら俺だってもう何か言う資格はない」
 絵舞ちゃんに対する物言いよりも柔らかい。
 鈴ちゃんは何度も頷いた。彼女はどちらかといえば絵舞ちゃんに振り回されがちなのだった。今回の件も主導は絵舞ちゃんであることは想像に容易い。
 2人は去っていく。星子はその後姿を見届けていた。
「……いいか、これで」
「うん……ありがとうね、七尾くん。江藤さんが泣いちゃったこと、七尾くんは気にしないでね……」
「は?」
「あ、あ、ごめん。本当に責めてるとかじゃ、なくて……わたしのせいで七尾くんが注意してくれたのに……」
 七尾は溜息を吐いた。
「まず、お前のせいじゃない。それから、別に気にしてない。自業自得だ」
「そ、そうかな……」
 自業自得だと言い切るほど、彼は冷淡な面構えをしてはいなかった。
「あ~……もう………あ~っ! ……前にコクられたんだよ」
 七尾は呻いた。そして髪を掻き回した。
「え!」
「モテるからな。仕方ないだろ」
「あ、ああ、うん……」
 それは自ら告白せずとも周知の事実だった。
「……だから早くしないと、取られちまうぞ」
「何を?」
「………天然娘」
「天然って?」
 七尾の渋い目と目を合わせる。彼の目はコーラを思い出せる。喉が渇く。微細な打ち上げ花火のような刺激が恋しくなる。
 七尾は口を「へ」の字に曲げると、星子の額を小突いた。
「あぅっ」
「あんまりかわいい顔してんなよ」
「何それ」
「なんでもねーよ」
 彼は席へと戻った。だが途中で立ち止まる。コーラ玉は鷲羽さんと笹森を捉えていた。
「お前等もちゃんと謝れよ」
 鷲羽さんは笹森に話しかけ、笹森が七尾を振り返る。
「何を?」
 笹森の横で、鷲羽さんは腰に手を当てた。
「盛り上がってただろ」
「それって七尾が言わなきゃ分からなかったことぢゃね」
 七尾の鼻梁が歪む。笹森はただアーモンド色の瞳を七尾に向けるばかりだった。
「そうだよね、五百鈴(いおり)」
 鷲羽さんが同意を強いる。
「ま、公開処刑で盛り上がるのは今も昔も変わらないよね。どう、七尾。現実で今、公開処刑しちゃった気持ちは?」
「は?」
「絵舞ちゃんと鈴ちゃん、公開処刑してたでしょ。ギロチン下ろすの気持ち良かった?」
「……お前、マジで言ってるのか」
「きっと七尾は正しいよ――」
 笹森は声を張り上げた。
「――それは間違いないけどさ……優しくもないよね。白川さん、板挟みで可哀想」
 七尾の歪みきり、拉(ひし)げた三白眼が星子を捕まえる。
「あ、わた、わたしは……」
 鷲羽さんは口元を隠し、頬を持ち上げ、七尾を見ている。反対に笹森に表情はない。
「女の子には女の子たちなりの"序列(ヒエラルキー)"って習性(もん)があるんだからさ……男子(ぼくたち)が口出すの愚行(リスキー)でしょ。禁止カード使った白川さんが今頃5組の女子でどんな噂されるか考えたことあんの? 怖いよ、女子は。下剋上なんてないし、出る杭は打たれるんだから。あ、女の子たちの悪口言っちゃった」
 笹森は七尾しか見ていなかったが、その七尾は星子を睨みつけていた。
「七尾くんは、悪くなくて……わたしが……」
 すべて七尾に言わせてしまった。やらせてしまった。押し付けてしまった。
「いや、俺が悪い。上手く立ち回れなかった。……悪ぃ」
 七尾の語気が下がっていく。そして首だけで謝った。
「違う、違う、謝らないで……そんな……」
「深町と江藤にも謝ってくる」
「わ、わたしも行くよ……」
「俺が勝手にやったことだ。お前は関係ない」
 七尾は教室を出て行ってしまった。星子は彼の背中を2歩、3歩ほど追った。だが付いていったところで彼の役に立てることはひとつもない。
「星子ちゃん……」
 萎縮した様子の咲菜が傍にやって来る。先程の謝罪劇で肝を潰しているようだった。
「ごめんね、こんなことになっちゃって……」
 教室の空気は雨天だというのに乾ききり、同時に除湿機能が点きながら身体中にぬめりが纏わりついているようだった。
「ううん……星子ちゃんのせいじゃないわ。そうではなくて……言わなくてごめんなさい、その……写真のこと……」
 咲菜は目を伏せた。下がった眉にも、引き結ばれた口元にも困惑が滲んでいる。
「逆の立場だったら、わたしも言わなかったと思う。だから気にしないで」
 咲菜はしかしまだ納得のいかない様子だった。
「だったら、七尾のしたことって酷くない?」
 星子は咲菜とともに鷲羽さんを向いた。彼女の横で座っている笹森も、見上げていた。
「七尾が星子チャンに知らせなければさ、星子チャンは何も知らずにいれたんじゃん。七尾が余計なこと言うからさ、星子チャンだってショック受けてんでしょ?」
 鷲羽さんは片腕を組み、爪と爪を擦り合わせ、頻りに横に揺れている。
「七尾ってあれで意外と優しーからさ、星子チャン、余計なお世話ならはっきり言ってあげたほうがいいんじゃないの」
「パパ活とか言ってた"瑞希"がそれ言うんだ」
 笹森は鷲羽さんだけを見詰めている。
「五百鈴だって信じてたじゃん」
 咲菜は2人を睨んだ。
「笹森くん、瑞希ちゃん。星子ちゃんに謝ったほうがいいよ!」
 星子は目を向いた。反り返り、後ろに倒れそうになった。
 他の教室の面々も咲菜に注目する。
「星子ちゃんが強い子だからって何言ってもいいの? 星子ちゃんが優しいからって何言ってもいいの? 叔父さんは星子ちゃんの家族なのよ。知らない人が間違っちゃうのは仕方ないけど、分かったあとにも何も言わないの?」
「咲菜ちゃん、咲菜ちゃん、いいの……」
 星子は笹森と鷲羽さんのほうに食ってかかる細い肩を引き留める。
 咲菜の立場が危ぶまれる。咲菜は美少女だ。一目置かれている。だが揉め事を起こせば、彼女のような控えめな気質は下に下に据え置かれるのだ。
「あたし、星子ちゃんに変な噂あるの知ってたのに、何も言えなかったわ……」
「ううん、いいんだよ。わたしが傷付かないように、黙っててくれてたんだもんね……?」
「でもそれが良くなかったんだと思うわ」
 咲菜の黒真珠を飾った双眸が煌めいている。教室内の空気は軽石が肌を沿うようだった。それでいて全身を薯蕷(とろろ)の沼に放り込まれたようだったが、この夏の空気に呑まれていない者もいたのだ。
「琴峯(ことみね)さんがそれだけ怒るんじゃ、きっとよっぽどのことなんだよ。謝るよ、白川さん」
 笹森は席から立つと、膝に手を当て、頭を下げた。まるで足元に落ちた消しゴムを拾うかのような所作だった。
「どうしてそんな他人事なの? 星子ちゃんがどれだけ傷付いてるか、分からないの?」
 咲菜は眉根を寄せた。
「男の子だからかな、分からなかった。分からなかったからって、言っちゃダメだよね。反省してる。ゴメンナサイ」
「ちょっと、五百鈴……」
「ぼくが謝ってるんだから、言い出しっぺも謝らなきゃだろ、瑞希」
 鷲羽さんは星子を睨む。笹森が彼女の制服を摘んだ。
「………ごめん」
 星子は何度も頷いた。頭の中は白い。クーラーの音と、外の雨音によって、自分がどこにいるのか分からなくなった。
「あ、頭を……上げてよ………」
「星子ちゃん……」
 今し方の威勢はどこへやら、咲菜の消え入りそうな声が寄り添う。
「謝ってもらえれば、それで十分だから……」
 水泳の息継ぎよろしく鷲羽さんは顔を上げた。笹森は腰を下ろすと、鷲羽さんもまた星子に背を向ける。
 咲菜の眉が吊り上がる。しかし星子は彼女の肩を掴み、2人から離した。
「ありがとう、咲菜ちゃん。それから、ごめんね」
「謝らないでよ、星子ちゃん。どうして星子ちゃんが謝るの?」
「咲菜ちゃんに言わせちゃったから。いつも咲菜ちゃんに助けられてる」
 咲菜は首を振り、首を振った。
「そんなことないわ。あたしだって助けられてる。お互い様よ。それでも星子ちゃんに助けてもらうことのほうがずっと多いわ……」
「そうかな」
 咲菜は頷く。
 星子はふと、時計に目をやった。
「咲菜ちゃん、今日、お迎えって言ってなかった?」
 大きな丸い目が見開かれる。雨天だというのに、彼女の瞳の中には陽だまりがある。
「あっ、いけない。行かなきゃ……じゃあね、星子ちゃん。な、七尾くんにもよろしくね!」
 咲菜が慌てた様子で教室を飛び出していく。笹森と鷲羽さんも帰っていった。2人は方向も帰りの手段も同じだった。
 星子は七尾を待った。彼に言っていないことがある。
 軈(やが)て七尾が戻ってくる。星子を見ると、左右の眉頭が左右の境界を失った。そして外方を向いたまま、席に戻った。
 彼に見せようと思っていた科学部への入部届がふやけていく。星子は紙切れをしまった。
 七尾は傷付いたに違いない。笹森と鷲羽さんに嘲られ、咲菜の前で頭を下げなければならなくなったのだ。七尾にとって、この非合意な撮影と良からぬ噂は他人事だ。彼は無関係のはずだった。
「七尾く………」
 七尾はまた一度、星子に視線を寄越した。けれども一瞬のことだ。その横面は口を開きかけ、閉じる。眉が蠢いている。彼は机脇の荷物を引っ手繰ると、教室を出ていった。
 後悔しているのだろう。関わらなくても、彼の生活は変わらなかったはずだ。だが関わったがゆえに、彼の評価が、立ち位置が変わってしまった。周囲に知らしめられる形で変容してしまったのだ。想いを寄せる咲菜の目に曝されてしまったのだ。
 星子の足は七尾を追った。だが何を言うべきか決まらなかった。決めるも何も、言葉が浮かんでこなかった。礼を言ったところで彼を救えない。謝ったところで彼の行為を無に帰すだけだ。追ったところで、一体何ができたのだろう。
 肩が落ちた。そして頭が落ちた。気圧が星子の身体を床へ引き寄せる。
 足は重いが帰らなければならない。運動部のクラスメイトが巻いていたアンクルウェイトのようだった。
 教室に戻る。鞄を手に取り、帰路に就こうとした。出入り口に差し掛かったところで目の前が暗くなる。視覚は働いていた。しかし前方が塞がっている。廊下越しに窓が見えるはずだった。裏校舎と木が見えるはずだった。けれども星子の視界を占めるのは男子の制服のシャツだった。
「あ、ごめんなさい……」
 出入り口を塞がれたのではない。星子が行く手を阻んでいたのだった。咄嗟に謝った。そして脇に避けた。だが相手も星子に連動し、同じ方向へ避けた。
「ごめ……」
 微苦笑を浮かべ、顔を見上げた。アーモンド色の双眸が雨空を映しながら星子を見下ろしていた。
「あ……」
 星子は顔を伏せ、また避けた。しかしアーモンド色の瞳の持主は半息分遅れて星子の前を塞いだ。
「え……」
 星子はまたもや顔を見上げた。笹森は星子を見下ろしている。彼の日頃の様子からして、とてもクラスメイトには見せない顔をしていた。
「あ、ご、ごめんね……」
 一口にいって、彼は機嫌が悪そうだった。そして星子には大いに心当たりがあった。彼は咲菜に叱られたのだ。そしてその機を作ったのは紛れもなく、星子だった。咲菜は美少女なのだ。笹森も彼女を憎からず思っているはずなのだ。そこに咲菜から叱られてみれば、笹森の機嫌が好くあるはずはない。
 星子は後退った。だが距離を埋められてしまう。彼女は逃げ方を知らなかった。踵を爪先にして歩く。笹森が追ってきた。一歩下がる。接触。一歩下がる。接触。一歩下がる。接触。一歩下がる。接触……
 下がれなくなった。背中が冷たく固い。軽やかな軋りは、ベランダへ繋がる戸の音だった。
「七尾に庇ってもらって、嬉しかった?」
 数度の衝突で閉じることのできなくなった唇に氷柱が乗る。端から端へ滑っていく。
「あ……ッ、な、七尾くん……」
 星子は笹森の首元の辺りで目を泳がせた。七尾に迷惑をかけるなと、仲の良い彼は言いたいのだろう。
「オレ、七尾じゃないけど」
 笹森の指が唇から離れた。そして星子の肩を突く。
 とす、とす、とすとすとす、ずどす……
「七尾にでこピンされて喜んでたろ」
 肌に、節榑だった人差し指が刺さる。肉と骨を貫通し、今頃ベランダの戸の網入りガラスには蜘蛛の巣が浮かんでいるのではなかろうか。
 星子の身体は震えはじめた。肩に穴が空き、笹森に穿(ほじ)られ、抉られている。死んでしまう!
「は、は、は、は、は、は、は………」
「ワンころりん」
 ベランダの戸に星子を留めていた画鋲か引き抜かれ、彼女の頭を掴んだ。





 教室に足跡が近付いた。星子は前髪の奥に透けた人影を認めると、頭を上げた。教室を覗いている男子生徒は肩の感じからまだ未成熟な感じがあった。
「白川先輩、大丈夫ですか……?」
 月也は駆け寄ってきた。星子は自身がベランダの戸に凭れ掛かり、尻もちをついていることに気付いた。
「月也くん……」
 あどけない面立ちの後輩は首を傾げた。雨天であることを忘れさせるほどの清流を保った黒髪が揺れる。
 眉の位置を決めていた仕付け糸が断ち切られた。視界が滲む。
「大丈夫ですか……? 大丈夫ではなさそうですが……一体、どうしたんですか」
 星子は首を振った。すると、天鵞絨(びろうど)でできた後輩の眼差しが艷やかな光沢さえも赦さなくなった。
「なんでもない。鍵を閉めようとしたら、転んじゃって。雨だし……」
 彼はベランダの戸の三日月錠を瞥見した。そして星子の姿を見回した。
「…………そうですか」
「転んじゃったから、座っていただけ。自分の迂闊(ドジ)さが、嫌になっちゃって……」
「七尾先輩と、何かあったんですか」
 何故、このクラスで起こったことを知る由(よし)のない月也の口から七尾の名前が出たのか。答えはひとつだ。七尾は科学部に向かったのだ。そして月也と顔を合わせたのだ。気の利く月也は七尾の異変を嗅ぎ取り、彼の身に何か起こったのだと察したのだ。彼が想いを寄せるクラスメイトの前で辱められ、仲の良い友人と対立したことまでは分からずとも、敬愛している先輩のことだ。月也のような繊細な感性を持った人には分かるのだろう。
「……な、何も、ないよ………どうして……? 七尾くんに、会ったの……?」
 唇が痺れ、下唇に至っては霜がついているようだった。
「会いました」
「な、七尾くん、どうだった……?」
「今日は帰るとのことでした」
「体調が、悪いとか……?」
 七尾は昔から健康優良児だった。母親や姉妹に心配をかけまいとしている節もあったようが、インフルエンザ以外で休んでいた印象がまったくない。
「体調というか……機嫌が」
「機嫌が……」
「七尾先輩のことはいいです。今は白川先輩です。転んだということは、膝を打ったのでは。立ち上がれますか」
 星子は頷いた。
「いきなり立つと関節を痛めてしまうかもしれないので肩を貸します。腕を回してください」
 彼女は後輩の力を借りて立ち上がった。2年生の小柄な男子よりもまだ小柄な体格に思えたが、力は男子だった。咲菜と抱擁を交わすときとはまったく違う質量と反発があった。
「情けないなぁ、わたし……」
「どうしてですか」
「ちょっと色々あって……クラスの人たちを巻き込んじゃったの……」
「そうなんですね」
「七尾くんは庇ってくれたけれど、それは間違ってるって……他の人が」
「それで実際、間違っていたんですか」
「……分からない。分からないんだ。七尾くんに庇ってもらったのに、わたしは七尾くんを守ることもできないの。嫌ね。七尾くんが可哀想……いつも、いっつも、損ばっかりさせちゃうんだ……」
 星子は俯いた。澄んだ瞳が怖くなった。
「別に七尾先輩は可哀想じゃないと思いますけどね」
「どうして……?」
「七尾先輩は七尾先輩なりの意見をぶつけたはずでしょう。七尾先輩ってそういう方だと思います。おそらくは自説を捻じ曲げてまで迎合しなければならない環境にいるほうが、七尾先輩には気の毒です。あくまで……僕の感じた七尾先輩については」
「そう………かな」
 月也のうさぎの毛並みのような眼差しに、星子の顔面が大波を打つ。
「あのね……隠し撮りされちゃって。七尾くんが怒って、撮った人に謝ってもらったの。でも、それはわたしのためにも本当は良くないことだって、他の人が七尾くんのこと責めたの……」
 彼は黙って頷くだけだった。
「それで……あのね、七尾くんには絶対に言わないでね。絶対に絶対に言わないでほしいんだけれど……七尾くんには好きな子がいるの」
 カラスアゲハの翅を切り抜いたような眉が片方持ち上がる。星子はそのことに気付いたが、話を続けた。
「その子の前でそんな目に遭ったものだから……きっと落ち込んでいるんだと思う……」
 月也が見たのは七尾のその姿だ。
「落ち込んでいるという感じではありませんでした。怒っているような……」
 星子は目を回した。
「そうだよね、七尾くんなら、落ち込むより、怒るよね……」
「白川先輩に対して怒っているんですか?」
「うん……」
 月也は巨大な水溜りを作る校庭を遠く眺めていた。
「ごめんね、こんな話して……」
「いいえ……」
「入部届出すからって……来てくれたんだよね」
 入部届に名前を書いたときは、七尾を怒らせるとは微塵も考えていなかった。昨晩の予定では、今頃は科学部の面々に挨拶をして、活動について考えているはずだった。
「七尾先輩が怒っているとしたら……それは本当に、白川先輩にですか」
 星子は頷いた。他に七尾が怒る理由はない。
「そうですか……」
「入部届のことは、ちょっと考えさせてね。七尾くんにもまだ言えてないから、七尾くんに黙って入部するのも、なんだか悪くて……時間割いて来てくれたのに、ごめんね」
「僕は大丈夫です。白川先輩に会えましたから。下駄箱まで送ります」
「ありがとう、月也くん……」
「隠し撮りの件は、解決したんですよね」
「うん。消してくれるって」
 叔父との買い物を援助交際と誤解されたことについては七尾が解決させた。咲菜も助力した。そうなれば、非合意に撮られた写真を持ち続ける理由はない。
「それならよかったです」
 月也に連れられ、星子は玄関ホールへ向かった。彼は簀子(すのこ)まで降り、靴を履き替える星子を見ていた。
「ありがとうね、月也くん。帰り、気を付けるんだよ」
「白川先輩」
 真正面から対峙する。まだ発育途上の躯体が落とす影から、また別の大柄な影が生えてきそうだった。思わず、後退りそうになった。だが黒猫のような出で立ちが彼女を引き留める。
「うん……?」
「白川先輩のために謝らせたことが、白川先輩のためにならないって、ちょっとおかしい気もします。僕は」
「掻い摘んで話しちゃったから……」
「別に暴力を振るったとか、力尽くで……というわけではないですよね」
「七尾くんはそんなことしないよ」
「それなら尚更、七尾先輩が指摘されるのはおかしい気がしました。もちろん、僕はその場にいなかったので、話を聞く限りの意見に過ぎませんが」
「ありがとうね、月也くん。わたしもよく分からなくて」
「白川先輩は嬉しかったんですか」
 月也に顔を覗き込まれる。古池に小さな波紋が窺えた。
「嬉しかった……すごく。すごく、嬉しかった……」
「……じゃあ、お疲れ様でございました。白川先輩が入部すること、僕も七尾先輩も首を長くして待っています」
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