君はアイリス
どうしてこんなにも、つい思い出して考えてしまうのだろう。ただの上官にしては、彼のことばかりを考えている気がする。誰一人知人のいない第八宇宙団に異動してきてからずっと、上官と補佐官として関わってきたからだろうか。
だが、基地内で一緒に過ごしてきた時間の長さなら、リースも同じくらいのはずだ。最近はリース以外の隊員たちともコミュニケーションがとれているので、関わりがあるという点では皆共通している。
それなのにフレイザーだけを、ほかの隊員たちとは何かが違うと明確に感じている。何か特別な意味のある存在であると。でも、その理由がわからない。
――リリーン、リリーン。
その時、出入口横の壁に埋め込まれた端末のモニタが淡く光り、静かな呼び出し音を奏でた。エーファはベッドから起き上がり、端末に近付いて応答する。
「はい」
『守衛室です。フレイザー・ベリンガム大尉がお見えです。正門までお越しください』
「ベリンガム大尉が?」
彼は挨拶を終えて、明日に備えて少し早く先に終業したはずだ。今さら女子寮に――いや、部下であるエーファに用があるはずがない。
フレイザーの来訪を訝しがりながらも、しかしエーファはどこか心躍るような感覚を抱いた。制服のままだったが、それで問題ないだろうか。就業時間外なのに制服を着ているなんて、と怒られるだろうか。いや、そんなことはいいから早く行かねば。
胸の中にぽっかりと空いていた穴。埋め方も満たし方もわからなかったその穴は、いま確実にふさがりつつある気がする。でも、どうしてなのだろう。
(大尉……っ)
ああ、そうか。フレイザーに会えるからだ。彼に会いたいと、この心はフレイザーを求めていたのだ。
「ベリンガム大尉、あの、お待たせ、しましたっ」
走ってきたために肩で息をしながら、エーファは女子寮の正門横、歩道に立っていたフレイザーに声をかけた。すっかり陽は沈んで、女子寮の敷地内にある街灯しか光源がないが、それでもフレイザーの少し長めの銀髪はキラキラと輝いて見えた。
「走ったのか。急がなくてよかったんだぞ」
「いえ……」
エーファは深呼吸をして息を整えてから、フレイザーを見上げた。
「あの……何か引継ぎに問題がありましたか?」
仕事上の不備があった。それしか、いまこの時間帯に彼が自分を訪ねる理由が思いつかなかった。
「いや、業務的な問題はない」
「では、何かほかの問題が?」
「そう……ではない」
フレイザーは歯切れの悪い返事をする。
その態度が不思議で、エーファは思わず首をかしげた。
すると次の瞬間、フレイザーは後ろ手に持っていた何かをエーファに差し出した。
「え?」
「アイリス……という花だ。お前にやる」
「花……私に?」
透明なビニールで包まれた一輪の花。茎は太く、先端の花弁は紫と言ってもよい青さ。形の異なる花びらは、植物好きでもなんでもないエーファには、「色のついた葉っぱ」と認識したほうがしっくりくる気がした。
「ふと見かけて、お前みたいだと思ったんだ」
「私みたい……ですか」
失礼かとは思ったが、フレイザーのその感覚は理解不能だった。
この花のどこが、自分のようなのだろうか。花よりも小石を渡されたほうが、まだ自分のようだと思えるかもしれない。エーファはそんな残念なことを思った。
「まあ、三日ぐらいは枯らさずに、水やりをしてみろ」
「え……あ、はい」
それは命令なのかと思ったが、さすがにそんなことは下命しないだろう。
両手でアイリスの茎を持ったまま、エーファはぺこりと頭を下げた。
「あり……がとう……ございます」
これまでの人生で、花をもらったことなどない。しかも、上官であるフレイザーから何かをもらうなど、想像したこともなかった。
しかし、エーファははっきりとわかった。いま自分が感じている感情。それは嬉しさや喜びというものだ。そしてそれは、花をもらったことだけに対してではない。勤務時間外ではあるが、こうしてフレイザーに会えたからだ。今まで自覚したことがないほどに表情筋が動いているのも、きっと自分は嬉しそうに笑っているからだろう。
「ベリンガム大尉……」
「なんだ」
エーファはフレイザーを呼んだが、なんと続ければよいのか言葉が見つからない。何か話をしたいのに。もっと言葉を交わしていたいと思ったのに。
「あの……」
夜道へ視線を落とした小柄なエーファを、フレイザーはじっと見下ろす。そしていつもどおりのぶっきらぼうな口調で言った。
「三カ月で戻る。その先どうなるかはわからんが、お前は俺の事務的な補佐官ではなく、僚機になれるようにせいぜい腕を磨いておけ」
「僚機……ですか」
「ああ」
短く頷くと、フレイザーはエーファに近付く。そして少しだけかがむと、春風がなでるようなふんわりとした感触を、エーファの頬に残した。
「っ……」
「それから、もう少し人間らしくなっておけ。少なくとも、今の口付けの意味がわかるぐらいにはな」
大きく目を見開き、驚きのあまり声の出ないエーファを見下ろして、フレイザーはにやりと笑ってみせる。それはリースに見せるような親しみのほかに、これまでにない何か特別な意地の悪さを感じさせた。
そうしてフレイザーは、「またな」と一言残して女子寮を去っていった。
古巣の第九宇宙団での謹慎処分自体が取り消され、エーファがパイロットに復帰できたのは、この数日後のことだった。
だが、基地内で一緒に過ごしてきた時間の長さなら、リースも同じくらいのはずだ。最近はリース以外の隊員たちともコミュニケーションがとれているので、関わりがあるという点では皆共通している。
それなのにフレイザーだけを、ほかの隊員たちとは何かが違うと明確に感じている。何か特別な意味のある存在であると。でも、その理由がわからない。
――リリーン、リリーン。
その時、出入口横の壁に埋め込まれた端末のモニタが淡く光り、静かな呼び出し音を奏でた。エーファはベッドから起き上がり、端末に近付いて応答する。
「はい」
『守衛室です。フレイザー・ベリンガム大尉がお見えです。正門までお越しください』
「ベリンガム大尉が?」
彼は挨拶を終えて、明日に備えて少し早く先に終業したはずだ。今さら女子寮に――いや、部下であるエーファに用があるはずがない。
フレイザーの来訪を訝しがりながらも、しかしエーファはどこか心躍るような感覚を抱いた。制服のままだったが、それで問題ないだろうか。就業時間外なのに制服を着ているなんて、と怒られるだろうか。いや、そんなことはいいから早く行かねば。
胸の中にぽっかりと空いていた穴。埋め方も満たし方もわからなかったその穴は、いま確実にふさがりつつある気がする。でも、どうしてなのだろう。
(大尉……っ)
ああ、そうか。フレイザーに会えるからだ。彼に会いたいと、この心はフレイザーを求めていたのだ。
「ベリンガム大尉、あの、お待たせ、しましたっ」
走ってきたために肩で息をしながら、エーファは女子寮の正門横、歩道に立っていたフレイザーに声をかけた。すっかり陽は沈んで、女子寮の敷地内にある街灯しか光源がないが、それでもフレイザーの少し長めの銀髪はキラキラと輝いて見えた。
「走ったのか。急がなくてよかったんだぞ」
「いえ……」
エーファは深呼吸をして息を整えてから、フレイザーを見上げた。
「あの……何か引継ぎに問題がありましたか?」
仕事上の不備があった。それしか、いまこの時間帯に彼が自分を訪ねる理由が思いつかなかった。
「いや、業務的な問題はない」
「では、何かほかの問題が?」
「そう……ではない」
フレイザーは歯切れの悪い返事をする。
その態度が不思議で、エーファは思わず首をかしげた。
すると次の瞬間、フレイザーは後ろ手に持っていた何かをエーファに差し出した。
「え?」
「アイリス……という花だ。お前にやる」
「花……私に?」
透明なビニールで包まれた一輪の花。茎は太く、先端の花弁は紫と言ってもよい青さ。形の異なる花びらは、植物好きでもなんでもないエーファには、「色のついた葉っぱ」と認識したほうがしっくりくる気がした。
「ふと見かけて、お前みたいだと思ったんだ」
「私みたい……ですか」
失礼かとは思ったが、フレイザーのその感覚は理解不能だった。
この花のどこが、自分のようなのだろうか。花よりも小石を渡されたほうが、まだ自分のようだと思えるかもしれない。エーファはそんな残念なことを思った。
「まあ、三日ぐらいは枯らさずに、水やりをしてみろ」
「え……あ、はい」
それは命令なのかと思ったが、さすがにそんなことは下命しないだろう。
両手でアイリスの茎を持ったまま、エーファはぺこりと頭を下げた。
「あり……がとう……ございます」
これまでの人生で、花をもらったことなどない。しかも、上官であるフレイザーから何かをもらうなど、想像したこともなかった。
しかし、エーファははっきりとわかった。いま自分が感じている感情。それは嬉しさや喜びというものだ。そしてそれは、花をもらったことだけに対してではない。勤務時間外ではあるが、こうしてフレイザーに会えたからだ。今まで自覚したことがないほどに表情筋が動いているのも、きっと自分は嬉しそうに笑っているからだろう。
「ベリンガム大尉……」
「なんだ」
エーファはフレイザーを呼んだが、なんと続ければよいのか言葉が見つからない。何か話をしたいのに。もっと言葉を交わしていたいと思ったのに。
「あの……」
夜道へ視線を落とした小柄なエーファを、フレイザーはじっと見下ろす。そしていつもどおりのぶっきらぼうな口調で言った。
「三カ月で戻る。その先どうなるかはわからんが、お前は俺の事務的な補佐官ではなく、僚機になれるようにせいぜい腕を磨いておけ」
「僚機……ですか」
「ああ」
短く頷くと、フレイザーはエーファに近付く。そして少しだけかがむと、春風がなでるようなふんわりとした感触を、エーファの頬に残した。
「っ……」
「それから、もう少し人間らしくなっておけ。少なくとも、今の口付けの意味がわかるぐらいにはな」
大きく目を見開き、驚きのあまり声の出ないエーファを見下ろして、フレイザーはにやりと笑ってみせる。それはリースに見せるような親しみのほかに、これまでにない何か特別な意地の悪さを感じさせた。
そうしてフレイザーは、「またな」と一言残して女子寮を去っていった。
古巣の第九宇宙団での謹慎処分自体が取り消され、エーファがパイロットに復帰できたのは、この数日後のことだった。


