君はアイリス
 後部座席のリースも多少なりとも疲れたようで、往路ほど積極的に話しかけてくることはなかった。
 エーファもフレイザーも自分から話をすることはないので、リースが喋らないと、車内に会話が生まれることはない。窓ガラスの外で空気が流れていく音と静かなエンジン音だけが、唯一のBGMだ。それはまるで子守歌のようで、エーファの瞼は落ち、意識と思考はゆっくりと沈んでいく。

(ベリンガム大尉と……一緒に、いられ……て……)

 生まれて初めての遊園施設での体験が「楽しい」ならば、フレイザーと共に過ごせた体験は「嬉しい」だ。
 なぜそんなふうに思うのか、エーファはその疑問を深掘りする間もなく、しばしのうたた寝を始めてしまった。



「ベルツ少尉、起きろ。隊舎だ」

 鋭い声が聞こえて、ゆっくりと覚醒する。ぼやける視界に数秒間ぼうっとしてから、エーファははっとして運転席を見やった。

「はっ、す、すみません!」
「おい、今は勤務時間中じゃないし、俺は怒ったわけではない」

 エーファが今にも敬礼をしそうな気配を察して、フレイザーはため息をついた。

「リースは所用があるらしいからな。お前だけ先に降りてくれるか」
「はい。あ、あの、行きも帰りも、ありがとうございました」

 決して短いとは言えない距離のドライブを、フレイザーは往路も復路もこなしてくれた。本人いわく、この車を他人に運転させたくない、とのことだったが、その言葉にしっかりと甘えてしまったことは事実だ。

「問題ない。今夜はしっかり休めよ」
「はい。お先に失礼します」
「じゃあね、エーファちゃん。また基地で」

 最後にリースとも別れを済ませて、エーファはフレイザーの車を降りる。
 どうしてもせずにはいられなかったのか、それとも隊舎の入り口だからなのか、見えなくなるまで敬礼の姿勢を続けたエーファに、車内のリースは苦笑した。

「ほんっと硬いねえ。十八歳には見えないぜ」

 フレイザーは特に相槌を打つこともなく、車を走らせる。向かった場所は、基地内の駐車場だった。

「長話ではないんだろうな」
「びっくりするほど長くはないかな。調査結果をちょっと共有するだけ」

 フレイザーは車のエンジンを止める。本当に長い話ではないようで、リースは後部座席から少しだけ身を乗り出して口火を切った。

「まず、エーファちゃんの生い立ちだ。エーファちゃんの家、つまりベルツ家ってのは、第九宇宙団の中でも名の知れた黒服の一族だ。親戚一同、ほぼすべての人間が代々軍人になっている。エーファちゃんの父親はロバート・ベルツ二等星大佐だ」
「珍しくはないな」
「まあな」

 両親共に民間人である民間の子供が、将来の職業として軍人を選び、自らの意思で軍に入るということは珍しくない。私設の軍隊でない限り、軍人というのは基本的に公的な人材、つまり公務員だ。長く働くという意味では安定した職場である。
 そしてまた、軍人同士で結婚し、自分の子供も軍人にさせ、親戚一同軍人であるという家族も珍しくない。なぜなら、親戚や親子というつながりをベースにした一種の派閥を作って、軍内で発言権を持てるようになるからだ。特に黒服と言われるライネヴェジン軍事アカデミー出身者と、白服と言われるシャーラヌス軍学校出身者は、その半分以上が軍人家系である。
 第八、もしくは第九宇宙団の所属という時点で、軍人家系の出身である可能性は想像に難くない。今さらエーファがそうだと聞かされても、フレイザーに驚きはなかった。

「このベルツ大佐がまあ、クセのあるおっさんでさ」

 誰にも聞かれていないのをいいことに、リースは上席者に対する不躾な発言をためらいもせずに口にした。

「いわゆる野心家ってーの? なんかいろいろと、グレーなことをやってるっぽい」
「ずいぶん曖昧な言い方だな。証拠がないのか」
「さすがに別の宇宙団だからな。悪い、調査っつーか、ちょっとつてを使って噂話をかき集めただけなんだわ」
「それでも、聞く価値のある噂話なんだろう」

 普段ならリースの話すゴシップなどに興味を示さないフレイザーだったが、今回は別だった。なぜなら、「ジーニアスの舞踊」の功績を残したはずのエーファが、関係者共々謹慎処分になった経緯に関わることだからだ。

「ベルツ大佐は自分の出世につながるなら、かなり無茶な作戦も立案している。敵が反抗惑星である、ってこともあって黙認されることが多いみたいだが、中には非人道的な作戦もあるみたいだ。その一つが、エーファちゃんが関わった例の作戦だ」
「反抗惑星の不意打ち攻撃は、容赦のない守護星軍への当然の抵抗だったわけか」
「そういうこと。で、当然ながらそんなベルツ大佐をよく思わない(やから)もいるわけだ。んで、以前からベルツ大佐と敵対していたある政治家が、どうやら今回の作戦について世論を扇動したらしい。反抗惑星とはいえ現地人に対しての非人道的な行為は許すまじ、ってな。不利になる証言でもあったのか、ベルツ大佐側は関係者一同に謹慎処分を出して余計な情報流出を防ぎ、作戦の正当性について調査中、ってことにして煙に巻いたみたいだ」
「なるほどな。娘であるベルツ少尉は、ただただ父親に振り回されているだけか」
「そういうこと。そんな父親なもんだからさ、エーファちゃんってば幼少期の頃から軍人教育が徹底されていて、ご覧のとおり、十八歳とは思えない感情の希薄さなわけだ」

 リースはそう言って肩をすくめる。
 エーファと初めて会った日を、フレイザーは無言で思い返した。



 ――初対面のエーファは、実に無機質な少女だった。「よろしくお願いいたします」と挨拶したその表情は変化に乏しく、無駄口をたたかないところは軍人だからだと思った。
 けれど日々接しているうちに、それが彼女の素であると理解した。エーファは一般的な人間の情緒がろくに育まれないまま、つまらない硬質さだけを身にまとって、ここまで生きてきてしまったのだろうと。

「お前には、戦闘データの精査を頼みたい。ものによっては数年分にもなる」
「了解しました」

 エーファに最初に仕事を頼んだ時も、彼女は必要最低限の返答しかしなかった。

「なぜそんなものを、とは訊かないのか。普通はあり得んだろう、解析を放置したデータが数年分も積もっているなど」

 フレイザーが呆れた表情でそう言うと、エーファは無表情で数秒間黙ったあとに、淡々とした声で尋ねた。

「経緯を訊いたほうがよろしいでしょうか。それを知らなければ、作業に支障が出ますか?」
「いや、そんなことはないが……まあ、いい。抽出項目とカッティング項目、それに基本的なデータの処理方法はこのマニュアルに従え」

 フレイザーがそう言ってマニュアルを渡すと、エーファは端末の前に座り、黙々と作業を始めた。その機械的な動きもまた、人間味を一切感じさせなかった――。
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