君の隣は、呼吸ができる
「……あ、えっと……」

すぐに謝らなきゃと口を開いても、喉が詰まって言葉が出てこない。

真樹はそんな私を黙って見つめて、困ったように眉を下げた。


「若葉、こっちきて」

冷たい声色とは裏腹に、やさしく右腕を引かれる。

「あ……っ」

一歩よろけたところで、足元を見る。
危うく踏みそうになっていた場所には、大きな水溜まりがあった。

真樹のジャケットの袖が私の肩に触れる。

「えっと、……ありがと」

真樹は短く頷くと、掴んでいた私の腕を滑らせて、そのまま私の手を包み込んだ。

「え……」

重なった熱い手のひらに、心臓が跳ねる。
真樹の大きな手は少し汗ばんで、指先に力がこもっているのが伝わった。

彼の親指が私の手の甲に触れて、それがくすぐったい。

(真樹……?)

驚いて見上げると、彼は一瞬目を見開き、弾かれたように私の手を離した。

「……足元、気をつけろよ」

視線を逸らして素っ気なく言うと、私を追い越して一歩前を歩き出す。


彼の耳の先がほんのり赤い。
私もなんとなく恥ずかしくなって、頬に熱が集まった。

一瞬繋がれた右手が、熱を持ったまま宙に浮く。

真樹は、そっと振り向いて、私に合わせようと歩調を落とした。


変わらずやさしい。

いつも通りなのに。

よく分からない違和感が、胸を落ち着かなくさせる。


そして、いつもの通勤ラッシュの洗礼。

押し潰されそうな人混みの中で、私は呼吸をしていたのかも忘れるくらい、ずっとぼんやりしていた。
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